快眠業者 Ⅶ
「ですから、胸を張ってください。そして」
快眠請負人は、机の下でなにやらごそごそと手を動かしていた。
「……これは?」
加奈はきょとんとして訊ねた。
「手切れ金です」
「えっ」
「……もう、私には会わないことをお勧めします。この通り快眠を押しつけるしか能のない女です」
突然だった。既に加奈は、快眠請負人なしではどうしようもないところにまで来ているというのに。
「そんな、急すぎます! わたしは快眠さんに助けられて…不眠気味だったのが改善されて、それで…友だちにも明るくなったねって言われたりして、なのに」
「……今日は」
加奈の訴えを遮るように、快眠請負人はぴしゃりと言い放った。
「お帰りください。私は近いうちにこの街を
そう言うと、快眠請負人はにっこりと微笑んだ。しかし、柔和な表情に対して目線は鋭く、圧があった。
「……ありがとうございました」
納得はいかない。いかないが、頭を下げるより他にない。加奈は短い感謝を述べた。
「わたしも、楽しかったです。本当にお世話になりました…それと」
札束を突き返す。快眠請負人は、少しの逡巡の後、それを受け取った。
「……受け取れません。快眠さんは、そうゆうのじゃないと思うので」
では、と一礼して、快眠業者の事務所を辞した。
外に出た瞬間に涙が溢れた。拭っても拭っても、鼻水と一緒に溢れてくるそれに辟易した。それでも、やっぱり泣いた。泣くことにした。親しい友人との別れが、こんなに辛いことだとは思わなかった。ひとしきり泣いて、自分にとってどれほど快眠業者が心の中で大きな存在だったかということに気づいた。
『私は近いうちにこの街を発ちます』『どうか探したりなさらないで』……永劫の別離を表すかのような言葉が、ずっと胸の底に残り続けている。おそらく彼女は本当に姿を消すだろう。真意も、目的も、なぜそんな能力が使えるのかということも、何一つ明かさないまま。
(……そんなのは、嫌だ)
泣き腫らしたあとは妙に風が心地いい。自販機でミネラルウォーターを購入して、喉を潤した。少しは火照りがマシになって、思考が冴える。
(……考えろ)
考えろ、長瀬加奈。糸口はどこかにあるはずだ。
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