宵闇の一幕

 酒場を脱して半刻はんとき、アリーザは暗い夜の路地で、ふと足を止めた。

「――いるんでしょう」

 振り返らず、闇に向かって問いかける。風のない夜に空気が歪んだ。りゅう。一級魔術師の中でも限られたものにしか与えられない称号だ……そいつが今、アリーザの目の前にいる。

『さすがだな、“急な拷問者サドンリートーチャー”。その二つ名は伊達ではない、ということか』

 流気師は男とも女ともつかぬ声で話しかけてきた。大気が歪むだけで姿は見えない。声も音の方向はわからない……まさに空気を流す者の名に相応しい腕前だった。否、。音は空気の波だ。普通は距離が離れれば消えてしまうそれを、元の音量を保ったままアリーザの耳に届けることも可能かもしれない。気配にしてもそうだ。空気の塊を動かせば……。

「何か用?」

 考えるのはやめだ。アリーザは音もなく剣を抜いた。月の光も薄い闇の筈だったが――刀身は、ルビーのように赤黒く煌めいた。

『抜いたか』

 流気師が笑ったように感じられた。哄笑か嘲笑か……一体何をもってして、この夜にアリーザに喧嘩を売ったのか。


 アリーザがかつて「拷問人」として名を馳せたのは、そのほとんどがなりゆきによるものだ。闇医者の父の影響か、幼い頃から人体の構造に詳しく、またアカデミーでは心理学を専攻。剣技に秀で、頭の回転も速い優等生。

 転機は自宅に侵入した賊だった。両親と違って武術の心得のあったアリーザは一瞬で敵を打ち倒し、独断で拷問を開始した。それはもはや本能といってもいい手際であり、締め上げられた賊を捕らえた保安官によれば、「人のやる仕打ちではない」――アリーザは家族を守った英雄であると同時に、その血濡れた才能をに生かさねばならなかった。


 拷問した数は覚えていない。法の闇をかいくぐった連中を捕まえ、吊るし上げ、晒した。「急な拷問者」に逆らう者はいなかった。いつの間にかアリーザは生ける都市伝説として有名になった。

『私は流気師だ。わかるな?』

「そんなこともわからないやつは、この世界では用なしだわ」

 幾多の血を啜った愛刀が、生き物ではないそれが…鈍く、赤い霧を纏い始める。

「流気師相手に拷問が通じるか……見物ね。一応もう一回訊いておく、?」

『くくっ、面白いやつだな。元よりわかっておろう? 浮世は一夜の夢……なればこそ、人の世界は面白い』

 通じているようで微妙に噛み合わない会話。

 


 アリーザの剣が閃いた。

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