肉球譚

「おいで」

 手を拡げてやると、うにゃあ、とひとき。彼女はツリーから降りてくる。

 わたしは彼女を抱き留め、頭から背中にかけてを撫でてやる。彼女はすぐにゴロゴロと喉を鳴らし、頭頂をわたしの顎に擦りつけてきた。

 もはや説明の必要もないとは思うが、彼女、というのは猫である。二人称単数は万国共通で性別のあるすべての生き物に適用されるだろう。今年3歳になるめす猫を彼女と呼ばずしてなんと呼ぶ。


 3年前、友達と遊びに行った帰りに思いっきり降られ、雨宿りに寄ったバス停で縮こまっているこの子を見つけた。まだ生まれてひと月も経っていないような仔猫だった。一人暮らしに少しの心細さを覚えていたわたしは即決でこの子を拾い上げた。以来、その友達にも助けてもらいつつ、彼女と悠々自適の一人と一匹生活を送っている。


「ニャー」

「はいはい、どうしたの」

 猫というのは概ね2歳か3歳で成猫になるのだという。とすれば、彼女は既に大人のオンナということになる。それにしては妙に甘えん坊だ。わたしが甘やかしているからこんなことになるのだろうか。彼女はもう野生には戻れまい。そう思いつつキャットフードを皿に盛る。

 スマートフォンを起動する。この子の写真をSNSにアップするわけではない。そんなことをしたら身バレしてしまう。単にニュースのチェックと、この子の写真を撮るのが目的だ。

 はぐはぐとご飯を貪る彼女に、こっち向ーいて、と甘えた声をかける。無論、効果はない。彼女は気まぐれで有名な猫様であらせられる。人間風情の意に沿うような真似など滅多にしない。仕方なく人間であるわたしが動き、彼女のご尊顔を撮影させていただく。ぱしゃり。

「ニャー!」

 顔を上げて、しかも少し強めに鳴かれた。ごめんってば。急いでスマホのカメラロールを見直すと、頭と鼻くらいしか映っていなかったが、可愛いのでよしとする。


 猫のために随分と我が家も様変わりした。壁紙を張り替えたり、コード類にカバーを付けたり……ペットOKなワンルームマンションというだけあって家賃も高いのに、輪をかけて出費が嵩む。予防接種や歯磨きガム、定期健康診断など、まず間違いなくわたしの身体よりもお金がかかっている。


「みゃあ」

「どした? 寝れないの? おいで」

 布団の中に誘う。気まぐれだけど寂しがり屋……とはずいぶん難儀な性格だ。甘えるのも気分次第ではあるが。

 猫を抱いていると、いつの間にか微睡んでいる。わたしは猫と呼吸を合わせ、心地よい眠りに落ちていった。

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