星空

 起床と同時、素早く荷物をまとめて野外に出る。

 満天の星、時刻は午前3時。都会と違って空気が綺麗で、カシオペア座もよく見える。スマートフォンどころかコンパスすらろくにない時代から、人類は星を頼りに海をわたっていた。私は先人たちの偉業に敬意を払いつつ、くさむらに隠しておいた250ccのオフロードバイクに跨った。


 1週間前の雨の影響か、地面は泥濘ぬかるみ、時折タイヤが取られるのには苦労させられた。スロットルは絞っているが、大型の野生動物を刺激しないか冷や冷やした。私は強盗対策の拳銃しか持っていないからだ。


 ここはウクライナ、故郷の日本から8000キロもの距離を隔てた極寒の大地である。民話『てぶくろ』もこの地が発祥と言われている。私はこの『てぶくろ』が大好きで、幼い頃は何度も読み聞かせてもらった。成長してからは私が読み聞かせる側に回ったが、それでも好きなことに変わりはなかった。

 私はここに、NPO法人の活動の一環で訪れていた。険悪な雰囲気が続くロシア国境近くにおける市民生活のボランティア。野生動物の他、軍事行動に巻き込まれる危険も伴う。それでも私は志願してこの地に降り立った。泣きすがる孤児院の子たちや寮母さんや、親友を振り切って。


 適当に開けた場所に降り立った。バイクを停め、デジタルカメラを取り出す。コートの内側に仕舞い込んでいたおかげか、マイナス10度の外気温でも正常に動作した。さすがは日本製……夜空に向かってシャッターを押す。

「…………すごい」

 息を呑む。夜空のビロードに無数の星が散らばっている。天の河を空に流れるミルクと表現したのは何の話だったか――大自然に圧倒されるまま、私は夢中でシャッターを押した。


 寝床に戻り、デジカメのメモリーカードをノートパソコンに突き刺してデータを整理する。この地で学んだことは多い。銃を持った兵隊の人と一緒に撮った写真もある。異郷と思っていたが、人の営みはどの土地でも変わらない。私の質問と引き換えに、日本のこともいくつか訊かれた。答えられる範囲でしか答えられなかったが。

「……よし」

 メールに高解像度の画像を添付して、日本に送る。孤児院のアドレス宛。本当はNPOのボランティアはここまで面倒を見てくれることはないので、これは私のわがままだった。


 ウクライナから8000キロ、極寒の美しい夜空はデータの塊にしかならないが――それでも、日本の空と隔てなく存在しているのだ。

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