迷宮より愛を込めて

 勇者は剣を向けた。仲間であるはずの夢魔サキュバスに向けて、魔を斬り邪を断つ正義のきっさきを。

 勇者は年端もいかない少女であった。震える手で剣を握るその勇者の足元には、はらを押さえてうずくまる仲間の僧侶の姿があった。

 『蝿の王』が支配する迷宮の底。勇者の仲間たちパーティからは、夢魔の能を持つ離反者が出ようとしていた。

「ルイ……ザ……………」

 魔力を幾重にも織り込んだ僧侶のローブは易々と穿つらぬかれ、彼女の臓腑を抉り、そして背にまで孔は達していた。

「リュリア、もういい! 喋るな!」

 僧侶リュリアは口から黒い血を垂らしていた。回復魔法を撃つほどの魔力は、ルイザには残っていない。

 サキュバスは答えず、そのあかい魔眼でルイザを見下ろした。手には血の滴る杖を握っている。そして、双眸には暗澹たる光が宿っていた。

 念紋の浮き出た、形の良い指がすらりと生えた右手を勇者に翳す――勇者ルイザは、その愛剣を手放した。

「えっ」

 乾いた音が響く。

 手に、膝に力が入らない。ルイザは糸が切れたように、地に這いつくばった。

「貰うわ」

 感情のない声だった。元から自分のものだったとでも言いたげに、サキュバスは杖を捨て聖剣を奪う。一、二度と素振り、彼女は剣を片手に、倒れた仲間たちに背を向けた。

「………貴様ぁっ……!」

 鉛のように重い腕が、震えながら空を切る。

「いい剣ね。このグローブがなければ私はとうに灰よ」

 独り言のようだが、はっきりと響く声でサキュバスは言った。

「……何が言いたい」

「この剣は特別製。悪しきすべてを焼き尽くす為の、人類の希望。けれど」

 サキュバスの視線が此方を捉えた。

「――こんな剣より、

「どういう…………」

 ルイザの意識は途切れた。



「毒を以て毒を制す……然るに、魔を以て魔を制す。しかし、私だけの力では『蝿の王』には及ばない」

 対聖具用グローブ越しにも、焼けるほどの熱が伝わってくる。痛覚を軽減してもなお、痛い。

「――この聖剣があれば、話は別」

 サキュバスは目を閉じる。ルイザ、リュリア……仲間は3人だけだったが、限りなく愉しく、快い日々だった。敵であり人を誑かす悪たる自分を窘め、力ずくで光の差す元に連れ出してくれた。魔に従う以外の生き方を教えてくれた。

 だが。

「……もしも、生きて帰れたら」

 目を開く。

「また3人で、ルイザの故郷の村に行きましょう。リュリアの街でもいいわ。ケーキを食べて、搾りたての牛乳を飲みましょう――きっと!」

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