「罪の匂いだ」

 喫茶店の卓子テーブル席で、彼女は角砂糖を溶かした珈琲コーヒーをかき混ぜながら呟くようにそう言った。彼女は蝙蝠こうもりのような漆黒の外套を羽織り、あちこち擦り切れた学生帽を被っていた。傍から見れば男だと勘違いしても可笑しくはない風貌だ。しかし、その顔かたちについて論じるならば、彼女は間違いなく女性で、それもなりの美人、ということになる。紅色の頬、少しばかり太い眉、まつ毛の長い切れ長の双眼、瑞々しい朱色の唇。淑女おとなの色香と少女こどもの艶を持った彼女が男装もなしに街を歩けば、たちまち注目の的となってしまうだろう。

「罪なの?」

 私は問う。

「そうではないと?」

 彼女は問い返す。お芝居の男役のひとのように、低く抑揚のない声だ。

「――いいえ。たしかに罪だわ」

 私はちいさくくびを振った。

「ただ、ゆるされざる罪ではないと、そう言おうとしていたのよ」

「成る程」

 彼女は珈琲のカップにミルクを注ぐと、とうといばかりの仕種でそれを飲んだ。

「貴女はやはり優しい」

「からかうのはよして。貴女だって、その罪からひとを救おうとしているじゃない」

「……そう言われると、返す言葉もないのだけれど」

 彼女は困ったように頬を掻き、それから珈琲の残りを飲み干すと、近くにいた店員を呼びつけた。二言三言耳打ちをすると、店員は驚きの表情とともに奥へと引っ込んだ。


 この店の店長が、息子の難病を治す為にやくざ者と繋がって野球賭博をしている、という噂は九割がたの確率で真実ほんとうだった。しかし、決定的証拠には欠けている。警察は探偵である彼女に、調査への協力を持ちかけたのだ。

 自首をすれば、店長の罪も軽くなる。皆にとって損のない取引というわけだった。

 程なくして、店長が姿を見せた。親か教師せんせいからの叱責を待つ子どものように、背を縮こめて現れ、捕縄を望むかのように両手を突き出していた。

「私は探偵ではありませんから」

 彼女は笑って、しかし数秒のちには真剣な面持ちに戻った。

「しかし、どのような理由があっても罪は罪です。然るべき裁きと罰を受けなくてはなりませんわ」

 店長は項垂れて、何度も首肯した。

 店の前には警察の自動車くるまが停まっていて、店長を乗せていった。


「罰を受けるかしら」

「店長が?」

「えぇ。厳しい罰を」

「さぁ……詳しくはないけれど、そこまで重い量刑にはならないのではないかしら。情状酌量というやつね」

 ちゃっかりとお代りした珈琲を飲みながら、彼女は笑う。脅かさないで。文句をつけようとする気分も、解れるように霧散していった。

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