宵酔

 磯臭い風の吹く港町にやって来た。夜逃げ希望サイトの管理人とは私のことであり、自身を雁字搦めに縛り付けるコミュニティ……会社、友人、学校、家族からをも抜け出す計画を、先払いの現金と共に手伝うのが私の仕事だ。

 寂れたところだった。夜逃げ希望の女性はまだ20代前半。ここで腐るのは惜しいと自覚したのだろう。

 指定した時間に、彼女はやって来た。暗い茶色の髪と縁有りの眼鏡、ブラウスの上からくたびれたカーディガンを羽織ったその女性は、ももと名乗った。偽名だろうが、呼び名に困らなければそれでいい。

 車を出す。


「お酒、ありませんか」

 走り始めてすぐ、桃子は言った。私は天井の物入れに仕舞ってあったスキットルを取り出し、桃子に渡した。ありがとうございます、と細い声で言い、背を丸めていた彼女はぐびり、と豪快に飲んで、せた。

「お酒……きっつい……! 」

 のウォッカで、いざというときは火炎瓶にもなる、と知識を披露しつつ、ミネラルウォーターを手渡す。桃子は息を荒げながらそれをガブ飲みした。


「……訊かないんですか」

 何を?

「なんで私が逃げたいのか」

 訊かないルールだから。訊いたほうがいいというのなら、そうするけど?

「……いえ」

 桃子は内向的なようだが、意志の強い娘には違いなかった。今どうしてここにいるのか、筋道の論理を立てて考えた結果の選択をとっているのだろう。


 東海道を進む暫くの間、沈黙は続いた。


「……借金のカタに」

 県境あたりで、桃子が口を開いた。

「売られたんです、私。実の親にですよ? それで、年功序列の会社で朝から晩まで雑用と肉体労働で」

 堰を切ったように言葉が出てくる。

「高校も中退なんです。だから、働き口があるだけマシなんだとばかり……もうウンザリ。捨ててしまいたい」

 もうすぐ捨てられるよ。相槌を打つ。朝まで走り通せば、京都にいる私の仲間が桃子を引き取ることになっている。

「……そうですね」

 声が濡れていた。

 桃子は、黙ってウォッカを傾けた。今度は噎せなかった。


 京都に着く頃には、顔を真っ赤にした桃子がすっかり眠りこけていて、仲間と一緒に助手席から引きずり出すのに苦労した。目を覚ました桃子はバッタみたいにぺこぺこと謝り通していたが、やがて酔いも治まったのか、晴れやかな笑顔になった。

「ありがとうございます。本当に」

 お礼をいわれる筋合いはないが、一応、別れ際に手を振っておいた。バックミラーの向こうに見えなくなるまで、桃子は笑っていた。

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