都にて

 彼女は無口な旅人だった。

 旅装は簡素で、麦藁を編んだ帽子の他には麻のシャツに綿のズボン、革のマントと、これでもかというくらい往来に溶け込む出で立ちで、あえて目立たないことを徹底しているようだった。それでも目深に被った麦藁の下から覗くかおは、まばたきも忘れるほどの途方もない美人だった。


「お茶、お持ちしました」

 生まれてこのかた、見たこともないような美貌の彼女――髪も短く、無口なために女性と気づくのには時間を要した――に、たかが一介の宿屋の娘である私は大いに怖気づいた。いつもなら何気なく出すお茶も、面白いくらいにトレイごと震えた。

 ありがとう、彼女は細く呟き、微笑を浮かべた。

「他に、ご用命は」

「食事を頂けると」

「す、すぐに! 」

 厨房にとんぼ返りし、目を回しながらひよこ豆のスープを作った。味に自信はなかったが、せめてもと真心を込めた。

「お待たせ、しました」

 手どころか声すら震わせながら、豆と野菜と香辛料を合わせ煮たスープを出した。旅人は優雅な所作で匙を扱い、私が作ったスープを口に運んだ。

「……おいしい」

 私はほっと胸を撫で下ろした。深々と頭を下げ、再び上げると……笑顔の彼女と目が合った。琥珀色の、知性と気品の滲み出た、美しい瞳。思わず見とれていると、彼女は意外なことを言い出した。

「一緒に食べましょう? 」

 相変わらず小さな、しかし柔らかい声音で、彼女は私を誘った。

「そ…その……」

「あら。嫌なの? 」

「いっいえ! そんなことは……! 」

 正直、このときのことは記憶にあまりない。けれど、とても幸福な時間だったことだけは覚えている。






 ある日、唐突に彼女は宿をった。人目につかない夜半、物を何ひとつ残さず、幻のように姿を消した。いつかその日が来ることを予期してはいたが、一抹の寂しさを覚えずにはいられなかった。

 王家の紋章入りの馬車がうちの宿に乗り付けたのはそれから間もなくのことだった。馬車には王の使いが乗っていて、消えた第一王女の行方を追っていた。王都に出て以降の足取りが掴めないらしい。しかし、うちの宿の記帳に記された名は王女がよく使う偽名であったために、彼女の此処への逗留が判明した。

「お妃様と仲がよろしくないもので」

 王の使いは困り眉で苦笑を浮かべた。租税や軍備について、互いに考えを譲らないらしい。



 使者が去って間もなく、差出人の名のない手紙が届いた。民生の便箋だったが、格式高く私への感謝の言葉が綴られていた。私はそっと便箋にくちづけを落とした。

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