天狗斬り

「姉の仇か。それで、その兄弟の名は」


「兄は辰巳たつみ金造きんぞう、弟は銀二ぎんじ


「ほう、筒井つつい家の足軽大将ではないか。器量のよいおなごを見ると見境がないとは聞いていたが……。なるほど、あやつらには柳生家も手が出せまい」


 筒井家と柳生家はかつて大和国を巡って戦場で鍔競り合った敵同士だった。だが今は両家とも畿内の覇者、織田信長に服従し、臣下になっている。つまり体面上は味方ということになっている。味方の他家の足軽大将を斬るにはそれなりの理由が必要になるだろう。


「もちろん筒井家には沙汰に掛けてもらいました。ですが、物証がないと突っぱねられました」


「よしんば証拠があったところで、はぐらかされたかもしれんな。辰巳兄弟の武名は聞いておる。いくらかの素行の悪さを我慢してでも、筒井家はやつらを手放したくなかろう」


「誰も手を下せないなら、あたしが自分の手で斬るしかありません」


 明音は柳生の里の出身ではない。仇討ちを咎められても、宗厳たちにまで累は及ばないだろうと踏んでいる。問題は、己一人で仇討ちが成るか否かだ。その考えを先回りするように、道意が続けた。


「おぬしも多少剣を使えるようだが、辰巳兄弟とは相手が悪すぎる。あやつらはどちらも槍の名手であるうえ、片方が目を閉じているときはもう片方が目を開けておる。常に二人一組で動くゆえ、付け入る隙がないと聞くぞ」


「わかっています。力比べでは勝負は見えているし、尋常な方法では太刀打ちできないでしょう。かくなるうえは、道理を超えた奥義を身につけるのみです」


「それが天狗斬りということか」


 明音はうなずいた。岩をも断つ一撃が放てれば、男女の体格差や槍の防御など問題ではない。間合いで剣を振るだけで敵を倒せるのだ。ならば勝機はある。


 だが、道意はため息をついてこう言った。


「なんという救いなき道をゆくおなごだ」


「坊さまらしく、復讐はなにも生まないとか言うつもりですか。そういうのはお師さまから嫌というほど聞かされていますから、おかわりはいりませんよ」


「そうではない。天狗斬りなどというまやかしに踊らされ、道なき道を歩もうとしているのが哀れだと言うておる」


「まやかしだなんて。一刀石を見たことがないのですか。あの鋭利な切り口を神業といわずしてなんというのですか」


「あれか。あんな芸、わしの手にかかれば柄杓ひしゃく一つでできるぞ」


 明音は歩みを止め、振り向いて道意と目を合わせた。老人のまなざしは穏やかで、虚勢も戯れの気配もない。どうも本気で言っているらしい。明音はここに至って初めて、眼前の老人の不気味さに気づいた。


「道意さん。あなたが会いに来た人とは、誰だったんですか」


 老人は答えず、ただ微笑みながら首を振った。


「宗厳に学んでも復讐は果たせぬ。わしならおぬしの望みを叶えてやれるのだがな」


「結構です」


 とっさにそう答え、明音は道意を置いて、跳ねるように道を下りた。これ以上老人と話していると、自分が得体の知れない世界に飲み込まれてしまう気がした。


「もう、里は目の前ですから。ここで失礼します」


 距離を取ってから山道を見上げると、道意は一歩も動かず、こちらを見てにこにこと笑っていた。夕闇の木陰に体が半分隠れており、顔だけが浮いているように見えた。


 身震いを抑え、明音は一礼して振り向かずにその場を走り去った。

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