東屋
数日後、宗厳は
そこには先客がいた。数人の従者を従えた武士が、招かれざる訪問者をにらむ。従者の人数といで立ちを見るに、織田軍の中でも城主を任される高位にある者だろう。
宗厳が一礼して名乗ると場の緊張は解けたが、代わりに不審げな空気が流れた。
「失礼ながら、こちらで
宗厳が言うと、男たちの脇をすり抜けて老人が姿を現した。
「おお、宗厳か。わざわざ足労をかけたのう」
「なんのこれしき。道意さまこそ、先日はわれらの里まで足をお運びいただいたそうで」
「おぬしにその名で呼ばれるとしっくりこんな。昔の呼び方で構わぬぞ」
「では、
老人は鷹揚にうなずいた。霜台とは
久秀は同席していた武士に、宗厳と少し話をしていきたいと伝えた。事情を知った武士は表情を和らげて承諾したものの、宗厳にはちらりと冷たい視線を投げてよこした。柳生家は織田家に臣従しているものの、当主の宗厳は里に篭って隠棲しており、表舞台に姿を見せることはなくなっている。それがこうして姿を現したのを怪訝に思っているのだろう。
二人は武士の一団がいる東屋から離れ、適当な木陰の河原で腰を下ろした。まずは宗厳が切り出す。
「先日のご用件をお伺いしてもよろしいですかな」
「澄ました顔でなにを言うか」
久秀が苦々しい顔で、扇で東屋を指した。武士の従者たちがちらちらと宗厳たちの様子を伺っていた。
「おぬしがここに現れたことで、わしの目論見はすでに潰えてしまったわい」
やはりそうか。宗厳はひそかに嘆息した。久秀が供も連れず密かに宗厳に会いに来たということは、織田家に知られたくない謀議があったということだ。あの日、天狗面の明音が現れたので、用心した久秀はしばらくその場から離れたのだろう。宗厳にとっては幸いだった。暗殺か、調略か、戦の助勢か。どのような謀議にせよ、宗厳は久秀に手を貸すつもりはなかった。先触れもなく自らここへ赴いたのは、織田軍に警戒を促し、久秀を牽制するためだった。
「かつての主従のよしみで、目障りな筒井の当主を始末してほしかったのだがな」
監視している従者たちに気取られぬよう、久秀は穏やかな微笑を浮かべたままそんなことを言った。宗厳も合わせて、素知らぬ顔で首を振った。
「拙者、戦国の世から身を引く所存にて」
久秀は苦笑いでうなずいた。
「ならばあの弟子は破門しておいたほうがよいのではないか。筒井の辰巳兄弟を討つつもりだぞ。いかに里の者ではないとはいえ、事と次第によっては追及を免れまい」
「仇討ちはさせませぬ」
予期していた返答の一つだったのだろう。久秀は意外そうな顔も見せず、楽し気に目を細めて言葉の先を促す。
「明音には才がありまする。ゆえに、おのずと彼我の力量差を悟っております。辰巳兄弟を超えるための研鑽はとても数年では終わりますまい。この乱世のこと。研鑽を積むうちに、あの兄弟はどこぞの戦場で果てることでしょう」
「それであの娘の気が済むのか。天狗の斬り方は教えてやらぬのか。あやつは一刀石の前でうっとりとその日が来るのを夢想していたぞ」
「いかに才があれども、そればかりは」
「教えてやらぬのではなく、教えてやれぬのではないか」
宗厳はしばし口を閉ざした。この老人の手に乗ってはいけない。言葉巧みに相手の心中を
「どの道、仇討ちを為そうが為すまいが、それが成ろうが成るまいが、あの者の姉は戻ってきませぬ。怨嗟の声を胸中に鎮め、明音は己の生を全うすべきなのです。それが亡き姉への供養ともなるはずです」
「ふん、わしより坊主臭いことを言うのう。だがおぬしは一つ忘れておる。あの娘は呪いにかかっておるぞ。姉を死なせたのは自分であるという思いに囚われているゆえ、兄弟の首を獲って姉に詫びねばどうにも収まらぬのだ。あの呪いを解かねば、己の生に立ち戻ることなど到底できまい」
恐るべきは久秀。一度会っただけの娘の思惑をどこまで見透かしているのか。
やはり、これ以上関わらせてはいけない。宗厳は立ち上がり、東屋に向かい一礼した。
「客人をこれ以上お待たせしては心苦しい。拙者はそろそろお
さりげなく言ったが、刀の柄に乗せた手には殺気を忍ばせた。筒井家を疎んでいる久秀が、明音を己の策に巻き込まぬとも限らない。
宗厳の殺気をそらすように、久秀はつるりと禿げ上がった頭を撫でて笑った。
「よっぽどあの娘を気に入ったと見える。ま、そこまで言うなら約束しよう。会いに行ったりはせぬよ」
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