開眼のとき

 久秀と会って以来、明音はこれまで以上に一心不乱に稽古に打ち込むようになった。


 脳裏には、天狗斬りをまやかしと断じた久秀の笑みがあった。あの笑みが、これまでの明音の研鑽をあざ笑い、積み上げてきたものを瓦解させていく気がした。


 自分は間違っていない。新陰流を学び、天狗斬りを身につければ、必ずあの兄弟を倒せる。そのためなら、いかに困難な技であろうと己がものとしてみせよう。


 久秀の誘いは、かえって稽古への傾倒、新陰流への信奉へつながっていった。これまではにわかに信じられなかった、殺気を持たずに剣を振るう術についても、師の教えを忠実に守ることで、動きだけはなぞることができるようになってきていた。


 そしてひと月後、開眼のときは唐突に訪れた。兄弟子を相手に後の先を取り、一本を奪ったのだ。


「今のは……」


 明音は己の両手をまじまじと見つめ、その手ごたえを反芻した。今まで取ってきた一本とは明らかに違う一本だった。守りを固め、打ち込める隙を一つだけ残し、そこに攻撃を誘う。ゆえに相手の動きは見る前に見切れており、機先を制した一撃を放つことができた。


「見事。活人剣の境地を垣間見たか」


 宗厳から賞賛の言葉をもらったのは初めてだ。しかし無邪気に喜ぶことはできなかった。己の気づきを確かめるため、師に問う。


「お師さま。辰巳兄弟に活人剣で挑めばどうなるでしょうか」


「さて。奴らも武辺者ゆえ、真正直に打ち込みはすまい。誘いを外すよう工夫するか……あるいは、仕切り直すやもしれんな」


「あたしもそう思います。活人剣は磨けば磨くほど、相手が攻められなくなる剣です」


「左様。攻めることも攻められることもなくなり、争わずして勝つこともできるようになる。戦なき静寂こそが活人剣の真髄」


「だったら、あたしの仇討ちはどうなるのですか」


 間抜けな問いだ、と明音は自分でも思った。仮に自分が辰巳兄弟を倒せるほど強くなれたとして、彼らは守りに入った明音を置いて逃げるだけだろう。自明のことではないか。


「あたしが欲しいのは復讐の術です。辰巳兄弟の命を奪う剣です。岩をも断ち切る天狗斬りを求めて、新陰流に入ったのです」


 宗厳は目を閉じ、首を振った。明音はすべてを悟った。


「天狗斬りを教えるつもりはなかったんですね」


「明音、仇討ちのことは忘れてこの里の者となって生き直さぬか」


「今さら、なにを」


「空を見よ。青く澄んでおる。里を見よ。稲穂が垂れておる。なぜ血に塗れた道を歩もうとする。不憫なことだが、もはやそなたの姉君は戻らぬ。無為に命を捨てるには、その剣の才はあまりに惜しい」


 言葉を切り、宗厳は首を振った。


「いや、そうではないな。今となっては娘同然のそなたに修羅の道を歩んでほしくない、それだけなのだ。頼む。仇討ちをあきらめてはくれまいか」


 弟子たちがざわついた。明音も思わず息を呑む。宗厳が頭を下げている。首を切り落とせる体勢を自ら差し出す、剣士としてこれ以上の懇願の礼はない。

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