鐘を鳴らして

藍澤 廉

第1話


 ──もしも、死んだ人間にまた会えるとしたら、人はどうするだろう。迷わず会う選択をするのだろうか。それとも、迷って会わないという選択をするのか。もし自分だったら、どうするだろうか。




 町田まちだ圭介けいすけは、目の前の梵鐘を見上げながら、そんな事を考えていた。

 修学旅行で訪れた京都で、班員の後を付いていき辿り着いた商店街の先。景色の中に溶け込むように存在していたその小さな寺に何故だか気を惹かれ、一歩足を踏み入れると、先ほどまでの喧騒が嘘のように遠くなった。まるで、この中だけ世界が切り離されているような、一人だけ取り残されたようなそんな孤独感が身を包む。町田は、たくさんの絵馬や地蔵に囲まれたその空間を進み、その梵鐘の前で立ち止まった。

『送り鐘』と呼ばれるその鐘は、先祖をあの世へと送るために撞かれる鐘なのだそうだ。反対に、先祖をこちらへ迎えるために撞かれる『迎え鐘』というのも存在するらしい。班員の誰かがそんな事を言っていたような気がする。

 町田は、ポケットからスマホを取り出して、一枚の写真を見た。そこには、ジャージ姿の自分ともう一人、女の子が一緒に写っていた。同じクラスの江藤えとう若菜わかなという子だ。物静かで、教室の隅で本を読んでいるのが似合うような地味な女の子。第一印象はそんな感じだった。特別仲良くなることは無い、そう思っていた。けれど、気が付けば良く話すような仲になっていた。仲良くなったきっかけは良くは覚えていない。この写真は、体育祭の時、場のノリに乗じて一緒に撮ったものだ。この時、初めて自撮りをしたので写真が少しぶれてしまい、それを見た彼女は笑いながら自分のスマホで撮り直して送ってくれたのだ。意外にも彼女は自撮りに慣れているんだなと驚いた記憶がある。──確かに記憶があるのだ。

 町田は自分の中にある記憶を肯定するように頷いた。彼女との記憶は間違いなく残っている。彼女の声も表情もはっきりと思い出せる。

 町田がこんなにも江藤との記憶を気にかけるのには理由があった。


 元々、彼女も修学旅行を一緒に行動する班員の筈だった。だが、彼女は修学旅行の二週間前に、事故で亡くなった。何の予兆も無く、呆気なく目の前から姿を消した。そしてそれから三日後、彼女は俺を除いた全ての人の記憶の中から跡形もなく消え去ってしまったのである。

 彼女が亡くなったと知らされた翌日、彼女の机の上にはたくさんの花やお菓子などが置かれた。俺も彼女が好きだったお菓子を置いた。その翌日も彼女の机の上には溢れんばかりの物が置かれていた。だが、その翌日から世界が変わってしまった。いつものように教室に入ると、すぐに異変に気付いた。彼女の机の上に何も載っていなかったのだ。その事を近くにいた男子生徒に尋ねると、何の話だ、と彼は首を傾げた。

「江藤なんて女子、このクラスにはいないだろ?」

 そう言われた時は流石に言葉を失った。冗談かと思った。だがそれは冗談ではなかった。クラスの誰もが彼女の事を知らないと言った。彼女と仲の良かった女友達も、彼女の隣の席だった男子も、担任の先生でさえも。更に、クラスの名簿からも彼女の名前は消え、クラス全員で撮った写真からも彼女の姿は消えた。まるで最初から存在していなかったかのように、彼女の家があった筈の場所は空き地になっていて、彼女がバイトをしていた筈のコンビニは違う店になっていた。この世界から、彼女の存在は完全に消えてしまったのだ。


 それなのに、彼女と撮ったこの自撮り写真には、彼女が写っている。記憶の中には確かに彼女は存在している。どうしてなのだろうか。どうして自分だけが彼女の事を覚え続けているのだろうか。

「……町田。ここにいたのか」

 不意に背後から声がかけられた。振り返ると、班員の一人である水野みずの晋太郎しんたろうだった。バドミントン部に所属する、高身長でイケメンのモテ男。そんな男は、意外にもいまいち冴えない町田の親友であった。

「いきなり居なくなったから驚いたよ。何をしてるんだ?」

「いや、何か無意識に惹かれてさ。この鐘を見てた」

 町田は苦笑いを浮かべながらそう返した。水野はそれを聞いて、先ほどまでの自分と同じように鐘に視線を移した。

「送り鐘……か。そういえば足立あだちが何か言ってたな」

 思い出すように水野が呟く。足立というのは、今回の修学旅行でうちの班の班長である足立美香みかの事だ。気が強く、班長や、委員長など長の付くものに率先してなりたがる子で、今回、班で回るところもほとんど足立が決めた所だ。一応班員にも行きたい所など尋ねていたが、それらが反映された部分は微々たるものだ。責任感があると言えば聞こえがいいが、要は人の上に立って自分の思い通りに物事を進めたい女子だ。あまり好きではないが、敵に回すと面倒くさいのであまり逆らわないようにしている。

「ご先祖を迷わずあの世に送る為の鐘だっけ?」

 水野が、そう言いながら鐘の方へと歩いてくる。町田の横に立って、撞木から垂れる手綱を掴んだ。

「今これを鳴らしたら、俺たちがあの世に送られたりして」

 水野は笑いながらそう言った。町田もつられて笑う。

「そんなわけないだろ。俺たち死んでるわけじゃないんだから」

「でも、もしかしたらあるかもしれないだろ? 『鐘を鳴らして異世界転生!』みたいな?」

「あっはっは! 新しいなそれ」

 笑いながら町田は、ふと心の中で思った。もし、本当に鐘を鳴らしてあの世に行けたら、また江藤に会えるのではないか、と。

「せっかくだし、鳴らそうよ」

 水野が、手綱を振り、撞木が鐘にぶつかる。ゴーン、と大きく重々しい音が、辺りに響き渡った。思いのほか大きな音で、町田は思わず体をのけぞらせた。

「いきなり鳴らすなよ。びっくりするだろ」

「悪い悪い。でもやっぱ異世界行けなかったわ」

「当たり前だろ」

 町田が言うと、水野は、「お前も鳴らしとけ」と、町田に手綱を握らせる。

「俺もかよ」

 面倒くさそうに呟きつつ、町田は鐘に目を向けた。

 あの世になんて行けるわけがない。そんなことは分かっている。ただ、何かをあの世に送れるのだとしたら、思いを届けてほしい。彼女が何者だったかなんてわからいけれど、まだ俺は彼女の事を覚えている。もしかしたら、もうすぐ俺も彼女の存在を忘れてしまうのかもしれない。ならば、今のうちに、彼女に言えずにいた想いだけでも送れたらありがたい。

 町田は、自分の想いを乗せて、思い切り鐘を鳴らした。その瞬間、鈍器で殴られたような衝撃と共に轟音が頭の中に響いて、目を閉じる。直後、グラっと世界が傾くような錯覚を覚えた。

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