第13幕 探偵との密約
どいつもこいつも、箱、箱、箱。
いい加減にしてほしい、と零次は思う。
あのパズルボックスに何の価値があるのだ。
いや、あるからこそ、ミイラの頭部なんて場所に隠してあったのだろう。
「あの箱って、どういう物なんですか」
「僕が正直に話すと思うのかい? 君が宝に目を眩ませ、競争相手として名乗り出る愚を犯すと?」
「ぼくはマルヤが助かるなら、全事が万事一切合切それだけでいいです」
エルロックは不思議そうに零次を見た。
「海藤マルヤ。君にとってはただの使用人だろう」
「親友です」
向こうもそう思ってくれているかは知らないが、少なくとも零次にとってはそうだ。
探偵は困惑したような、あるいは泣き出しそうな、複雑な表情を浮かべ、さっとハンチング帽で顔を隠した。
「夷民のことを心から親友と言い切る士族を、僕は初めて見たような気がするよ」
そしてしばらく沈黙した後、探偵は独り言のように話しはじめた。
「……ざっと百年前、この都市に72人の忍者が現れた」
(用心のためだ、忍者に関しては知らないふりをしたまえ)
伯爵がそう忠告した。ので、零次は首を
「はい、知ってます」
(零次君……)
「では、彼らがどこから来たのかも知っているかな?」
「
「百点満点の解答だ。君、学校じゃお利口な生徒だろう?」
お利口、という言葉を素直に褒め言葉と受け取るような年齢ではない。
むっと口を尖らせた零次に、探偵は笑った。
「怒らないでくれたまえ。ストレートに誉めてるんだよ。実は僕は、君が
零次はふんと鼻を鳴らした。
ほら、伯爵の言うとおりにするべきではないのだ。
「それで忍者と箱にどういう関係が?」
「あの箱は
「…………」
「そして忍者を崇拝する者たちにとっては、あれは御神体になる」
「忍者を、崇拝?」
忍者は侵略者である。陰陽師によって捕獲されるまで、街に大きな被害を与えた。
アンダー・ダンジョンに今も眠る旧世界の遺産などはその一例だ。
そんな連中を崇拝するなんて。零次にはにわかに信じがたい。
「おかしいことかい? 銀兎会をはじめ今の社会を憎む者たちにとって、忍者は強固な体制側に一矢報いたアンチヒーローなんだよ。そう考える連中の手にマルシャの箱が渡ったらどうなる。きっと彼らをものすごく調子づかせてしまうだろうね」
「…………」
「僕は箱の回収を市長直々に命じられている。だからマルシャの箱捜索のためだという理屈さえあれば」
「マルヤを、助け出すことも可能……?」
「そうだ」
「あの箱は……」
「伊勢湖が持っている。ああ、知っているとも袴田君」
「だったら、今すぐ――」
探偵は首を横に振った。
「彼も馬鹿じゃない。出せと言われてハイどうぞとはいかないよ。そんなものは持っておりません、お疑いでしたらどうぞ気の済むまでお探しになってください――そして、見つからない。僕は赤っ恥をかいてスゴスゴ退散する羽目になるって寸法さ」
「じゃあ、もっと人を集めて、くまなく探せば……」
「いや。実際、彼はそれで2度も危機を乗り越えている。警察だって彼が違法探索者ギルドに関わってることくらい見抜いている。強制捜査を行ったことだってあるんだ。だがあの事務所から物的証拠を発見することはできなかった」
隠し倉庫だよ、と探偵は続ける。
「彼はいつも隠し倉庫に盗んだ品を保管し、その場所は磁駒衆の誰にも明かしていない。そうだね?」
「そんなものがあるってことすら知りませんでした」
自分たちが盗んだものがどうなっているか、零次は知らない。
磁駒衆が関与するのは伊勢湖金融に運び込むまで。そこから先はノータッチだ。触れようとも思わなかった。
他のメンバーにしても興味はなかっただろう。あるとすればマルヤだ。その可能性はある。
いつか伊勢湖に取って代わろうとしていたマルヤなら。
「……マルヤなら、知っているかもしれません! 今すぐマルヤを助けに行きましょう!」
「いや、彼は知らないよ」
「なぜ断言できるんです?」
「直接聞いたからだ、彼に。居場所を知ってるって言っただろう?」
零次は後頭部をシートに叩きつけた。
「そう残念がるなよ。君が見つけてくれればいいんだ。そうすれば、僕も君の献身に応えよう。そのために、ここで君を逮捕はしない」
探偵は零次の背中に手を伸ばした。
ナイフでも持っていたのだろう、ぶつんと音がして、テープでがんじがらめにされていた零次の腕は自由を取り戻す。
「僕のアドレスを教えるから、場所がわかった時点で連絡してくれ。現物を手に入れてくれるなら、もっといい」
「ぼくにできるんでしょうか……」
やるんだよ、と探偵は言った。
「袴田家との約束はあと3日、しかし伊勢湖の口ぶりだと、オークションで箱を競り落とした相手に箱が渡るのはそう先のことじゃないようだ。もしそれを逃したら、もう3日じゃ手に入るまい。時間との勝負だ。それも厳しい戦いになる。だからって君は、友達をあきらめるのかい?」
「……冗談じゃありませんよ!」
そうだ、不安になっている場合じゃない。やるのだ。
零次は己の身体にまだ絡みついているテープを力いっぱい剥ぎ取った。
マルヤは、助けても何の値打ちもない零次に救いの言葉を投げかけてくれた。
彼がそうしなければ、零次は今でも部屋に引きこもっていただろう。
ひょっとしたら、命を絶っていたかもしれない。
「マルヤはぼくを見捨てなかった。だからぼくもマルヤを見捨てない! 命に代えてもマルヤを救ってみせます!」
「いい返事だ。頑張りたまえ」
「はい!」
スカイスクリーンが映し出す空は、いつの間にか茜色に変わっている。
毎日同じ雲模様と色合いで描かれる夕焼け空に。
「では袴田君、吉報を待っているよ。君の勇気に幸あれ」
生まれて初めて大人から応援されたような気がする。
走り去る探偵の車を、零次はずっと見送っていた。
(あの男は信用しないほうがいい)
伯爵が遠慮がちに口を開いた。
「あなたより信用できない人なんて、そうそういるとは思えませんけど?」
(信用できないという意味では、逃走中のコソ泥も相当なものだと思うがね)
「え……?」
(今まで世間の大人たちが君に優しくしてくれたのは、君が上級士族のお坊ちゃまで、金払いもよかったからだ。だが今の君は『無一文のコソ泥』なのだよ。彼が君を信用し、道を示し、大事な仕事を託し、取引に応じてやる根拠はなんだ?)
「それだけ、いい人ってことでしょう。さすがは偉い立場にいらっしゃる方だ、自称怪盗伯爵と違って人間ができている」
(私を信じたくないからって、私以外を信じなきゃいけないという道理はないよ?)
「心の汚れた人にはなんでも疑わしく見えるものなんですね」
伯爵が、やれやれと言わんばかりに溜息をつく気配があった。
(はいはい。それで、どうする?)
「社用車の電夢境に潜入します」
零次たちが違法探索者業に使うワンボックスカーも例外ではない。
表の金融業と違法探索。それ以外で定期的に同じ場所へ往復している記録が残っていれば、そこが隠し倉庫だ。
(さすが零次君。私に文句を言いながらも、私の力を平気で使うとは)
「うるさいですよ」
(いや、誉めているのだよ。その割り切りは怪盗に必要なものだ)
「……言っておきますけどね、決闘から逃げたこと、許してないですから! 適当に間を置いたり雑に誉めたりすれば、なあなあで誤魔化せると思わないでくださいよ!」
(ちっ)
それにしても、と零次は思う。
母がこれを欲しがる理由がわからない。
忍者を崇拝するようなアウトローを集めなくとも、彼女には充分すぎるほどの人脈がある。社会の落伍者たちが優秀な手駒たりえるだろうか。頭数にしたところでたいしたものではあるまい。むしろ袴田家の品格を下げる。
そういえば肝心なことを訊くのを忘れた。
探偵はあの箱自体の価値については語ってくれたが、中身については語らなかった。
振ったときに音がしたし、なにかが入っているのはほぼ間違いないだろう。
それはいったい、なんなのか?
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