第14幕 赤い忍者の雷光


 マリウス・グリモア最大の弱点は、それを使っている間、使用者の身体が無防備になることだ。

 治安の悪い夷民街で無抵抗の身体を晒すほど、零次は無鉄砲ではない。

 そのため、いったん平民街までの後退を余儀なくされた。


 動かない星空の下、公園の遊具の影に零次は身を隠す。

 周囲に人影がないのを確認し、マリウス・グリモアを起動。


 侵入先は伊勢湖金融の社用車――磁駒衆の足にもなっている、ワンボックスカーの電夢境だ。

 足を踏み入れた途端に襲いかかってきたセキュリティを一刀のもとに斬り伏せ、電算式神コンピューターに記憶された走行ログを閲覧する。


(……ない)


 違法探索者活動に使ったログは残っていたが、それ以外はどれもバラバラだ。


「表の業務に使っただけみたい。隠し倉庫なんて本当はない……?」

(削除した可能性は?)

「その痕跡はありませんし――」


 そこまで言いかけて、今絶交中なのを零次は思い出した。


「――話しかけてこないでください」

(はいはい)


 子供をあやすような態度が、更に癇に触る。

 いや、今は伯爵などに思考回路を振り分けている余地はない。


 伊勢湖は表のスタッフに裏稼業を隠していた。しかし社用車は1台だけだ。

 盗品を車に積んだままにはしておけない。かといってあの狭いガレージに物を置く場所などない。

 隠し場所は必ず必要だ。

 なのにそこに向かった記録がまったくない――。


(ログを残さず移動するなら、タイヤを回さずに移動させるしかないな)

「だから黙っていてと――」


 そこで、零次の動きが止まった。


「ああ――そうか」


 しばらくして零次は現実空間に帰還する。

 タイミングよく、思考チャットに新着メッセージが表示された。

 相手はエルロックだ。


Herlorck:どうかな、状況は?

Rage:隠し倉庫の場所が、わかったかもしれません。

Herlorck:ほう?

Rage:エレベーターです。あのガレージの床全体が、昇降機になっていたんです。


 車ではなく、床を動かした――それなら走行ログは記録されない。


Herlorck:しかし、あのビルの建設記録に地下室はなかったはずだ。

Rage:御存知ありませんか。溝鼠横丁は違法建築が無数にありまして。

Herlorck:そういえばそうだったね。

Rage:早速今から向かおうと思います。

Herlorck:そうか。気をつけたまえ。


 通話は終了した。

 零次は夷民街に向かって歩き出す。

 伊勢湖金融ビルに明かりはなかった。終業時間にはまだ早いはずだが、好都合だ。


 ガレージにはシャッターが降りていたが、零次にとって障害ではない。

 ヘアピンを鍵穴に差し込んで、開錠。子供1人が腹這いになって通れる程度にシャッターをそっと持ち上げ、内部に転がり込む。


「……なるほど。エレベーターの床とそうでない部分の床の溝をどう隠しているのか不思議だったけど、壁と壁の間隔が床より狭いのか……」


 エレベーターと床の境界は突き出た壁の下にある。これまで2回あったという強制捜査ではそれで気づかれなかったらしい。


(強制捜査で見つからなかったということは、エレベーターの操作はボタンやスイッチなどではあるまい)

「操作方法は、社長の個人電算式神に侵入して突き止めました。床の裏面に思念認証センサーがあります」

呪的機械マジンナリィか。思紋・・の複製は難しいぞ。どうするね、零次君)

「簡単です。ぼくの目的は扉の向こうに行くことであって、鍵を開けることそれ自体じゃない」


 ――開かない鍵なら、丸ごと取り換えてしまえばいい。


 ガクンと床が身を揺すり、静かに沈みはじめた。

 同時に壁からはダミー床が伸び、エレベーターの下降でできた穴を隠す。


「電夢境で思念鍵の存在を知った時点で、設定を新しいものに書き換えておきました」

(力技過ぎる。『床に直接穴を掘る』の次くらいにエレガントじゃないぞ。怪盗のやることとはいえない)


 渋面の伯爵を無視して、零次はエレベーターが降りきるのを待つ。

 地下階は思ったより深いところにあった。上から靴で踏みつけたくらいでは、足元に空洞があるとはわかるまい。


 わずかな衝撃とともにエレベーターが停止する。

 車の尻がある方向に、4畳半ほどのスペースが口を開けていた。天井からは剥き出しの電球がぼんやりした光を放っている。エレベーターが降りきると自動的にスイッチが入る仕組みだ。


(ちょっとした隠れ家だな。いい。これはいい。住みたい)

「ぼくはあんまり長居したいとは思いませんね」


 壁に沿って木製の棚が並んでいる。

 棚はガラガラで、金の装飾が施された小箱を見つけるのは、そう難しくなかった。


「……こんなものが」


 マルシャの箱。

 零次の母やエルロック、そして他にも大勢の人間が追い求める小箱。

 手の平に乗るほどのちっぽけなそれに御大層な価値があるとは、零次にはやはり思えない。


 零次は細い眉をひそめる。パズルに対する彼の勘が、この箱を開けるには気の遠くなるほど複雑な手順を要すると告げていた。

 そうなればむしろ好奇心と挑戦心をくすぐられるのが人情というものだ。


 零次は箱を両手で持ち、じっと見つめた。

 いつもならここでパズルを解く手順が頭の中にイメージとして浮かび上がってくる。だが今回はそれがどうにも曖昧だ。そればかりか、気を抜くと霞のように消え去ってしまいそうになる。


(ヒントは要るかね?)

「いえ、結構です」


 伯爵は満足げに微笑んで、零次の気が散らないように口を閉ざしてくれた。


 まず、零次は箱の右側面、底面近くのパーツを奥へスライドさせる。

 次は正面、左、底面、天辺――。

 そこでイメージが途切れる。どうしたものかと悩んでいるうちに、なんと箱は勝手に元の状態に戻りはじめた。


「……時間制限まであるのか!」

(そう、パーツを動かしてから一定時間操作されないと箱は自動で元に戻る。なお猶予時間は箱の開放に近づくごとに短く――)

「ヒントは要らないと言ったでしょう」


 零次は眉間をもみほぐす。思った以上に難敵だ。


(その箱を作ったのは私の友人でね。私もそこそこ謎解きには堪能なほうだが、彼の仕掛けを解き明かせるかは運次第だった。そんなだから、友人の細工物には誰も手を出さなくなった。はるか異国の地でそんなにも真剣に挑戦してくれる者が現れたことを知ったら、彼はきっと泣いて喜ぶだろうな)

「友人、いないんじゃなかったんですか」

(現世には、ね)


 それっきり会話が途絶えた。零次は再び箱開けに専念する。

 もはや彼の頭の中には箱を開ける以外のことはない。マルヤのことすら綺麗さっぱり抜け落ちてしまっていた。それを見守る伯爵もまた、忙しく動く零次の指先と、少しずつヴェールを剥がされていく箱に意識を奪われていた。


 だから。


(――しまった! 零次君!)


 突然頭上から落ちてきた稲光に、零次は対応できなかった。

 棚まで弾き飛ばされた零次の手から、小箱が飛ぶ。

 元の形を取り戻しながら宙を舞う小箱を、何者かの手がつかみ取った。


「不意打、失礼」


 マルシャの箱を左手で弄びながら、そいつは囁くように小さな、だがよく聞こえる声で言う。

 鍛えあげられた肉体を、血の色に似た忍者装束で包んだ男だった。

 頭頂から目元まで覆う金色の兜。口元を隠す覆面の、余った布端がマフラーのようにたなびく。

 小箱を持っていない右手に、紫電がまとわりついてスパークを起こす。


(赤い忍者……!)


 冗談としか思えないその姿に、零次は目を見開く。


 異世界から来た人間、マロウドの命を狙うという暗殺者。

 だが零次はマロウドではない。赤い忍者の狙いはおそらくマルシャの箱だ。いったいなぜ。

 まさか、マロウドと箱に、なにか関係があるのか。


「ボフリーという。数ある名前の1つに過ぎんが、抱いて死ぬには充分だろう?」


 ボフリーと名乗ったしのびが右手を突き出す。

 そこからいかずちが迸った。

 転がった零次の横を雷光が通過し、棚に直撃。棚が弾け飛び、そこに積まれていた書類の山が炎の蝶のように舞う。やがて紅蓮は木製の棚にまで広がりはじめた。


「これは愉快」


 忍者は肩を揺らす。

 エレベーターが起動。床がせり上がり、忍者と車を上方へ押し上げていく。

 燃え上がる地下室に零次を残したまま。


「辞世の句を詠む時間くらいは与えてやろう。それが君の頑張りへの報償だ!」


 エレベーターの上昇は緩やかだ。

 しかし電撃に麻痺した零次の身体はそれに追いつけない。


か、る、か」


 零次は右手を忍者に向けた。その手の中の空間がぐにゃりと歪んだように見えた直後、そこには彼が電夢境で使っていた小型拳銃が出現する。


 銃口が火を噴く。だが銃弾は忍者に届かなかった。

 ボフリーを守るかのように出現した黄金の岩塊が、銃弾を弾いたからだ。


「やれやれ……死に急ぐこともあるまいに」


 ボフリーの右手が発光。

 やられる。本能的恐怖が死の直視を拒んだ。零次は顔を伏せて最期の衝撃に備える。

 だが、予想した苦痛は彼の上に降ってこなかった。少し手前の地面に落ちて、爆ぜる。


「時間を与える約束だったからな」


 その声を最後に、忍者の姿はエレベーター孔に呑み込まれた。

 エレベーターの底部が天井に蓋をする。


 炎は棚全体を包み込んでいた。肌をじりじりと焼くその熱よりも、急速に消費されていく酸素のほうが問題だ。

 零次はエレベーターを呼び戻そうと試みたが、昇降機構そのものが壊れたようにうんともすんとも言わない。


「……ここはぼくの入りたい墓穴じゃない!」


 死んでもいいと思っていた。いや、思っている。

 だがここでは駄目だ。これではマルヤを助けられない。マルヤと一緒に死ぬことすら。


(零次君、前を!)


 さっきまでエレベーターが降りていたところに、マンホールの蓋があった。


「アンダー・ダンジョンの入口か」


 熟練探索者でさえ出てこられなくなるときがある地下迷宮。

 それでもここに留まっていれば、待っているのは確実な死だ。

 零次はマンホールまで這い、蓋を開けた。

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