第12幕 ぼくもおまえもトカゲの尻尾
『海藤マルヤ、スティナ・ドゥーゼ両名の身柄について物申したければ、マルシャの箱を持って3日以内に袴田家に戻ってきなさい』
提示されたタイムリミットは3日。
――なぜ、3日なのか?
普通に考えれば『今すぐ』または『今日中に』だろう。
こちらを油断させる作戦だろうか。3日間なにもしないとは書かれていない。まだ時間があるとこちらが気を抜いた瞬間、刺客が背中を斬りつけてくるのかもしれない。
そして疑問はもうひとつ。
なぜ、母がマルシャの箱を欲しがるのだろう。欲しがっていたという話も聞いたことがない。
とにかく、マルヤを助けなければならない。
でもどうやって?
あのときのように、自分がいいと思って取った行動が、多くの人に損害を与えるものであったなら――。
(怖いのかな?)
いつまでも足を踏み出さない零次を伯爵が笑う。
(兎にも角にも、マルシャの箱を手に入れなければどうにもなるまい?)
(わ、わかってますよ、そんなこと! 黙っててください!)
箱を手に入れる。まずは伊勢湖に会いに行かねばならない。箱を譲ってもらおう。そしてあわよくばマルヤ救出の方法を考えてもらおう。
断わられはしないはずだ。いくらあの社長ががめつく自分勝手であっても、優秀な部下を救うためなら快く渡してくれるはず――。
「駄目だ」
「えっ……?」
1時間後。伊勢湖金融ビルに辿り着いた零次は、伊勢湖のにべもない拒絶に膝から崩れ落ちそうになった。
アジト代わりの倉庫には、磁駒衆の面々も集められている。だが「マルヤを助けよう」と呼びかける零次に対し、彼らは静観を決め込んでいた。
「ですから、社長があの箱を渡してくれれば、マルヤが助かるんです!」
「悪いが、あの箱には買い手がついた」
「嘘でしょう? 昨夜盗ってきたばかりですよ」
「ああ。今朝サイトに載っけた途端に競りがはじまってな。俺も驚いてる」
「いったい誰が……?」
「クライアントの情報をおいそれと明かすわけにはいかねえな」
こういうときだけ優良企業みたいなことを言う。
「……だったら箱はいいです。こうなったら実力行使でマルヤを助けに行きましょう」
「アホか、おまえ!」
伊勢湖は壁を叩きかけて、やめた。
表の金融事務所で働いているスタッフには、違法探索者ギルドのことは秘密にしてある。
「……サツならまだよかったが、袴田家じゃな。上級士族にケンカは売れねえよ」
「相手が警察なら、助けてくれるんですね!」
「どうするつもりだ?」
「匿名で通報します。袴田家が自分たちの名誉のため、犯罪者を闇に葬ろうとしているって。そうすれば警察が2人の身柄を――」
「おまえなあ。自分の家がどれくらい力を持ってるか、知らんのか?」
「ただの剣術道場ですよ」
「袴田家は門下生を保安課に数多く就職させてる。つまりけっこうな数の警官や軍人が、おまえんとこの道場のOBだってわけだ。そこへ現師範から融通を利かせてくれって頼まれりゃ、魚心に水心ってやつよ」
「社会正義はどうなるんですか!」
「これが連続殺人鬼だったらサツだって首を横に振るだろうが、おまえら程度のコソ泥じゃな。意地を張る労力のほうが高くつく」
「…………」
「袴田家を敵に回せば都市保安課も敵に回すってことだ。あのガキ1人のためにヤバい橋を渡れるか」
零次は一抹の希望を抱いて、磁駒衆を振り返る。
だがそこにあったのは冷笑だけだ。
「どうしたんだよ、お坊ちゃま? いつもみたいにカネで解決すりゃいいじゃねえか?」
「……今は、お金は持ってない」
銀行口座は早くも凍結されていた。ここまで来るのに1時間もかかったのは、交通機関を使えなかったせいである。
無論、マリウスの力を使えば口座の凍結をとくことも、なんなら街中の金を手に入れることだってできる。
「ははは! カネのないおまえって、もう存在価値ないんじゃね?」
嘲笑するジャルジーに、他の子供も追従した。
「ぼくの存在価値に関して異論はないけど、マルヤは違うでしょ。みんな、マルヤに引っ張られてここまで来たんじゃないの?」
「だけど、もういなくなった。あいつももうおしまいだよ」
マルヤの言った通りだと、零次は思う。
必要とされる人間はいない。今はそうでも、なにかあればすぐに切り捨てられる――不要とされる。
図らずもマルヤは自分自身で自説の正しさを実証してしまったわけだ。
「――だったら、もう頼まない」
「あん?」
「力づくで、あの箱をいただいてゆく」
零次は本気だ。既にマギアプリを起動させている。
だが伊勢湖も大人しく従うような人間ではない。
「やってみろや、小僧」
口は嘲笑を型作りながら、目には殺意を燃え上がらせ、伊勢湖は唸り声を上げる。
彼の歩んできた血生臭い炎の道が、その肩越しに見えるようだった。
磁駒衆の子供たちが怯えたように1歩後退る。
「こちとら、てめえが産湯に浸かる前から世間の荒波に揉まれてんだ。眼ェ見りゃ違いがわかる。肝心なときに手を下せる奴と、下せねえ奴のな。でもっておまえは後者だ。目の奥に腑抜けの虫が見えてんぜ、坊や」
だが零次は、薄笑いを浮かべた。
「老眼鏡でも買ったほうがいい――」
(零次君、後ろだ!)
「え?」
ゴッ!
臆病の虫ごと眼球が押し出されるような衝撃が、零次の後頭部を襲った。
冷たく固いコンクリートの床に倒れながら零次は振り返る。
空のビール瓶を逆さに握ったジャルジーが、勝ち誇るように立っていた。
「この期に及んでガキどもが仲間だと思ってっから、おまえはお坊ちゃんだってんだよ。おい、そこのテープ持って来い」
子供たちは零次をマスキングテープでグルグル巻きにしていく。
零次は飛びそうになる意識を繋ぎ留めるので精一杯だ。
「目が覚めたときには箱の受け渡しも済んでる。そうすりゃあきらめがつくだろ。なに、おまえにはまだ使い道がある。マルヤの時よりいい目を見せてやるから、ここは大人の言うことを聞いて大人しくしとけ。な?」
――駄目だ、ここで気絶しては――。
「失礼しますよ」
囁くような、しかしはっきりとした声がした。
「誰だ、てめえは!」
零次は伊勢湖の視線を追う。
その先にいたのは。
「僕はエルロック・ショルムズ。公儀探偵です」
「公儀探偵……?」
「ずいぶん愉快な場面に出くわしてしまった。児童虐待ですか、ミスター伊勢湖?」
エルロックは手帳を見せた。
伊勢湖の闘気が見る見るうちに萎んでいく。
「いえ、こりゃ……。それより、お役人様がこんなところに何の御用で……?」
「最近、なにかと物騒でしょう?
「は、はあ、おつかれさまです」
「その少年を連れて行ってもよろしいかな? 聞きたいことがありまして。まさか善良な市民であるところのあなたが捜査の邪魔をしたりはなさらないでしょうが」
「え、ええ、ええ、もちろんでございます」
「さすが、あなたは僕の思ったとおりの立派な市民だ」
探偵は縛られたままの零次を片腕でつまみ上げ、旅行鞄のように運び出す。
「ちょ、待ってください、刑事さん」
「公儀探偵だ。いいから静かにしてくれたまえ」
伊勢湖金融ビルから少し離れた路上に、レトロな乗用車が1台停まっていた。
遠隔操作でドアが開き、エルロックはその副車主席に零次を押し込む。
「ぼくは有益な情報を持っている!」
「ほう」
探偵はまったく興味なさげだ。副車主席のドアを閉め、車主席に乗り込む。
駄目だ、このまま警察に連行されたら、もうどうしようもない。
「聞いてください! あなたが追っている銀髪の少女と、海藤マルヤの行方です!」
「それはもう知っているよ、袴田零次君」
「知ってる……? なら話は早いです。袴田家は2人を殺すか、都市外へ追放しようとしています。一介の士族が法の裁きを無視し、私刑を行う。法の番人が許していいんですか?」
「よくないね」
「あなたは公私混同する輩にも負けない権力と、捜査能力を持っている。袴田道場のOBでもない」
「そうだね」
「だったら……!」
「もう1つ、僕のデータに付け加えておきたまえ。『エルロック・ショルムズは法の番人であり、遵法者である』とね。なんなら生年月日と血液型も聞いておくかね?」
「え……?」
「磁駒衆の逮捕は、本来僕の仕事じゃない。僕が強権を発揮するには、別の口実が必要ってワケだ」
「別の口実……」
わかっているくせに――とエルロックは笑みを浮かべる。
そこにそこはかとない底意地の悪さを見いだしたのは、零次の
「君らが
またか。またそれか。
零次は車の天井を仰いだ。
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