第7幕 公儀探偵エルロック


「どうしたのですか、2人とも?」


 ワイズチップを持たないスティナには、当然ニュース記事も見られない。冷や汗をかく2人と危機感を共有できないでいた。


「えっと、昨夜ぼくたちのやったことが、ニュースになってて……君がバッチリ写ってる。警察は、君を重要参考人として捜索中だ」

「まあ」

「『まあ』じゃねえよ……。どうすんだ?」

「どうするもなにも、わたくしが盗みを働いたわけではないので。正直に話して、保護していただこうかと」

「おめえのことを訊いたわけじゃねえ、オレたちのこった! なあ零次、オレたちがここに帰ってくるまで、誰にも見られてなかったよな?」

「…………」

「なんとか言えよ零次ィ!」


 来客を告げる鐘の音が、零次の部屋まで飛び込んできた。

 マルヤが部屋を飛び出していく。数秒後、血相を変えて戻ってきた。


「逃げるぞ、零次」

「え?」

警察サツだ。見られてたんだよ、オレらがこのガキ連れて帰るとこ!」


 写真から、磁駒衆の面々の体格と身長を割り出せる。

 スティナと一緒にいて、しかも身体データが一致するとなれば、もう言い逃れは利くまい。零次は早くも己の腕にかかる手錠の重みを感じていた。


(始業時間もまだだろうに。この都市の警察は優秀で勤勉だ)


 伯爵がどこか楽しげなのがカンに障るが、言い争う暇はない。

 聞き慣れない足音がまっすぐこちらへ向かってくる。


「ぼーっとしてる場合じゃねえぞ。逃げるんだよ、お坊ちゃま!」

「逃げるってどこに……?」

「んなこたぁ、逃げてから考えろ!」

「流石だね、マルヤは」


 マルヤは一目散に部屋を飛び出す。スティナの手を引いて。零次も後を追う。

 だが、角を曲がったところで彼らは足を止めた。

 零次の4つ年下の妹、三果みつかが立っていたからだ。

 咄嗟に零次とマルヤはスティナを背に隠す。


「どちらへいらっしゃるのですか、れーにいさま、それにマルヤも。じきにケイコのじかんでは?」

「稽古……。その、今日はちょっと、具合が――そう、具合が、悪くて」


 困った顔で腹を撫でる零次の演技は、しかし5歳児さえ騙せない。

 三果は濃い眉をひそめ、ことさらに大きく溜息をつく。


「サボるとまた、しかられますよ」

「……叱られない。誰もぼくに期待してないもの。知ってるだろ」

「キタイはしてないでしょうが、シメシがつきません」

「母上みたいなことを言うようになったな」

「ふふん」


 誉められたと思ったのか、三果は自慢げに胸を張った。

 そのまま動かない。

 三果に立ち止まられていられては、どうやったってスティナの姿が見られてしまう。

 背後からは廊下を踏み鳴らす音がどんどん近づいてくるというのに。


「……三果? 三果こそ華道はなでも舞踊おどりでも薙刀でも、早く行ったほうがいいんじゃないかな」

「そのまえに、れーにいさまのうしろにいらっしゃるかたに、ごあいさつさせていただこうかと」

「……気づいてたのか」

「なぜ、バレないとおもわれました?」


 平均より低い自分の身長を、零次は呪った。

 振り込みアプリを起動。


「あー、三果。おこづかい、足りてるかな? 今日のぼくのぶんのおやつも食べていいよ」

「…………」


 往生際の悪い兄に対し、三果はゴミを見るような目を向けた。

 観念して、零次はスティナの姿をさらす。

 銀髪の幼女を見た途端、三果は目を輝かせる。


「ああ……すごい! おひめさまみたい!」

「ごきげんよう、三果。スティナと申します」


 スティナは優雅にスカートの端をつまんで一礼。いかにも慣れた所作だった。三果にとっては本物の姫君に見えたことだろう。


「三果、わたくしはお忍びでここにまいりました。ですが、警察のふりをした悪者に追われております。匿ってはもらえないでしょうか?」

「わるもの……! それは、たいへん!」


 三果は背筋を伸ばし、自室の入口を開け放つ。


「ひめ、こちらへ!」


 部屋に飛び込んだ零次たちの背中で障子戸が閉まった直後、零次の部屋の障子戸が勢いよく開け放たれる音がした。ノックもなしだ。おそらくはもう、零次とマルヤが磁駒衆の一員だと警察は看破している。


 しばらくの間をおいて、警察は三果の部屋にも来た。こちらはノックしたうえで丁重に入室許可を乞う。

 入るなとは言えない。三果はわずかに障子戸を開けた。


 戸の隙間から顔を覗かせたのは、金髪碧眼の男性だった。

 年齢は零次の父と同じくらいだろう。仕立てのいいスーツに包まれた筋肉質の肉体をまっすぐ伸ばし、ハンチング帽を胸に当てお辞儀する。

 腰にぶら下がった一振りのサーベルが、男が保安課の人間であることを示していた。


「朝早くからゴメンね、お嬢さん。僕はエルロック・ショルムズ。公儀探偵だ」

「こうぎ、たんてい……? けいさつでは、ないのですか?」

「うん、ちょっと違うね。お巡りさんが動きやすいよう、露払いをしてさしあげるのが僕の役目だ」


 エルロックは帽子を持っていないほうの手をそっと差し出す。

 手首を振ると、ミニサイズの造花が忽然と現れた。


「まあ!」

「お近づきの印に、どうぞ」


 たわいない奇術で幼女の気を惹き、公儀探偵は鋭い目で室内を覗き見る。


「お兄さん……2番目のほうだが、今どこにいるか知らないかな」

「いいえ、けさはあっておりません」


 三果はまったく涼しい顔で嘘をつく。

 隠れて聞いていて、零次は背筋が寒くなった。


「じゃあ、僕と同じ金髪にエメラルドの目をした夷民の使用人がいるはずだ。彼は?」

「さあ」

「長い銀髪の女の子に見覚えは?」

「いいえ」

「では」


 ここからが本番だというように、探偵の声は真剣な声音を帯びた。


「2番目のお兄さんか使用人が、こう――手の平に乗るくらいの、箱を持っているのを見たことないかな? 黒と金の小箱だ」

「いいえ」

「……そうか。それじゃ――最後に、ちょっと部屋の中を見せてもらってもいいかな?」

「あの!」


 案内役の女中が、後ろから咎めるような声を出した。


「いくらあなたが警察の方で、お嬢様がまだ幼子といってもですよ? 殿方が女子おなごの部屋を覗こうなど、いささか非常識ではありませんか?」

「警察ではなく公儀探偵です。すみませんが、これも仕事でして」

「いいのですよ、よしの。そうさへのきょうりょくは、しみんのぎむです」

「しかし、お嬢様」

「ご理解に感謝いたします、お嬢さん」

「たしょう、ちらかっておりますが、いいふらしたりはなさらないでくださいね?」

「約束いたしましょう」


 観念するほかない。三果は障子戸を大きく開け放った。

 探偵は部屋に一歩足を踏み入れ、室内をめ回す。


「……捜査に協力、ありがとう。失礼」


 もし彼がクローゼットを開けていれば、その中で息をひそめる零次たちを発見できただろう。

 だが流石に良識が邪魔をしたらしい。あるいは背後からの冷たい眼差しに耐えきれなかったか。


 探偵の足音が聞こえなくなって、零次たちは深く息を吐く。


「あいつが言ってたの、オレらが博物館で見つけたあの箱だよな? なんでサツがあれを探してんだ? いや確かに盗品ではあるけどさ」

「警察じゃなくて公儀隠密」

「オレには違いわかんねえよ」


 零次にもわからない。ワイズチップで検索。『独自裁量権を持ち基本単独で捜査する高等捜査官』と出た。

 夷民でありながら、あの男はエリート中のエリートというわけである。コソ泥集団の相手をするような立場ではない。それが警察よりも早く動いている。


「ここからはオサラバするしかねえな。まいったね、士族屋敷の使用人って、給料よかったんだが」

「ならば、盗人ぬすびとの真似などしなければよかったのではないですか?」

「オレだって、別にカネ勘定だけで生きてるわけじゃねえんだ」

「他に理由があると?」

「そういうこと」


 マルヤはそこで会話を打ち切ろうとしたが、スティナの視線に耐えきれず、しぶしぶ口を開いた。


「『復讐』だよ。りん姉の」

「りん……?」

「おりんさん。うちの女中で、ぼくの世話係で、マルヤの教育係だった人。三果は小さかったから、おぼえてないだろうけど」

「りん姉は甦った忍者だった。報復のために、仲間と一緒にこの街を滅ぼそうとしてたんだ。でもオレたちのためにその仲間を裏切って……殺された」

「その相手が、赤い忍者なのですか?」

「それはわからねえ。零次はなにも見てないって言うからな」


 りんの死体を最初に見つけたのは零次だ。


「……ぼくが駆けつけたとき、りんさんは殺された後だった」

「忍者を殺せる奴なんて、忍者以外にいねえ。赤い忍者が仇かは知らねえが、数少ない手がかりだ」


 だから一緒に来てもらうぞ、とマルヤはスティナの腕を握る手に力を込めた。


「――さあ、新しい門出だ」


 そう言ってマルヤは障子戸を開け放つ。


 そこには零次の母と門下生たちが、木刀を携えて立ち塞がっていた。 


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