第5幕 違法探索者ギルド


 新赤牟町213丁目、俗に溝鼠どぶねず横丁と呼ばれるそこは、夜であっても静寂せいじゃくには程遠い。

 かつては整然としていた街並みは住人たちの違法改築により迷路と化し、自己主張激しい看板の下、客引きの声と酔っ払いの狂笑が飛び交う。夏季設定のどろりとぬるい空気の中、露店のジャンクフードとアルコールと路地裏の吐瀉物ゲロが混じったなんともいえない臭気が循環じゅんかんする。


 その片隅にある小さなビルに、1台のワンボックスカーが近づく。

 言うまでもなく、それは神社から辛くも脱出した磁駒衆じごましゅうの乗った車だ。

 内部にはあの銀髪の幼女もいた。


「おい、零次」


 零次は突然耳を引っ張られる。

 否応なく振り返らされた先には、マルヤがいた。


「なんでこんなイカレたガキ連れてきた? 置き去りにすりゃいいのに」

「そう言ってもさ、放っておくわけにもいかなくない? なんていうか、責任的なものがあるんじゃないの?」

「零次坊ちゃまのお情けはいつも在庫が有り余ってんな。責任じゃ腹は膨れねえよ」

「マルヤがどうしてもって言うなら、お別れするけど……」


「――袴田、ここは?」


 ビルを指さしてスティナが尋ねる――零次に向かって。

 よくない傾向だ、と零次は思う。さっきから幼女の応対をしているのは零次1人。他の子供は警戒心も露わに会話を拒んでいる。幼女の側も理解していて、もう零次にしか話しかけない。

 さっき責任があるとは言ったけれど、なにもぼく1人で背負い込むことはないんじゃないかな、と零次は思う。


「袴田?」

「ああ、えっと、ここは――」


 古ぼけて汚れた看板には、『伊勢湖いせこ金融』と右から横書きで書かれている。


「ここが違――探索者の、いわゆるギルドなんだ。どこに行ってなにを盗んでこいとか、盗んだ品物の始末とかも、ここの社長が決める。ぼくらはただ、言われたとおり使いっ走りになって盗んでくるだけ」

「まあ、いつまでもパシリでいる気はねえ」


 看板を睨みながら、マルヤが言う。

 そこで、なにかいいことを思いついたように振り返って、一言。


「やっパ、シリより頭だもんな!」


 磁駒衆は優しい沈黙を返事の代わりにした。


 車はビルの裏手に回り、車庫に潜り込む。狭い車庫は1台停まればもう脇を通り抜けるのも苦しい。太鼓腹をつっかえさせたジャルジーがひいひい言うのを尻目に、零次たちは中へ進んだ。


 重いドアをくぐると、粗末な事務机がひとつ置かれた、狭く薄暗い倉庫部屋が現れる。

 節約のため、6つある照明の半分は消されていた。

 表の事務所に続くドアが開く。恰幅かっぷくのいい中年男性が子供たちを出迎えた。


「やっと帰ってきやがったか、クソガキども」


 伊勢湖金融を束ねる社長であり、違法探索者ギルドの元締めマスターが貼りつけたような笑顔を浮かべる。だがサングラス型ARデバイスの奥にある暗く濁った目と、こめかみを縦に走る古傷が、作り物のフレンドリーさを台無しにしていた。


「今、夜食をこさえたところでな。話は食いながらでいいか?」

「ダメだっつっても食うんだろ?」

「当たり前だ。ここは俺の城だぞ」


 伊勢湖の手にはプラスチック製の割り箸と、湯気を立てるカップラーメンがあった。

 城と呼ぶにはみすぼらしい倉庫に味噌の匂いが広がる。空きっ腹が飢えた雛鳥みたいに騒ぎ出し、子供たちは唾を呑み込んだ。


「……オレらのぶんは?」

「あるわきゃねえだろ。欲しけりゃてめえのカネで買ってこい」


 嫌がらせのようにスープの香りを子供たちに吹きつけ、伊勢湖は麺をすすり上げる。


「あー、美味うめェ」


 心底幸せそうに息をつく伊勢湖を、子供たちは苦々しく見つめた。

 あいつ絶対俺らが来るのに合わせやがったぜ、と誰かが囁く。


「……で? なんだ、そのガキは」


 見慣れぬ銀髪の幼女に、伊勢湖はモノを見定めるような目を向ける。

 無遠慮な視線に頭の天辺から爪先まで這い回られても、スティナはつんと澄ましていた。

 ジロジロ見られるのには慣れているらしい。


「それがよ、聞いてくれ。このガキ、いきなりなんもねえトコからでてきて、別の世界から来たとか言ってやがるんだ」

「……別の世界だぁ?」

「はい。わたくしは、直前まで東京という場所にいました。そして気がつくと、博物館のようなところにいて、この者たちと出会ったのです」

「は……? トウ、キョオ?」

「な?」


 マルヤが肩をすくめ、冷笑。


「笑えねえ冗談だ。オレのジョークセンスを分けてやりてえよ」

「存在しねえモンは分けられねえぞ? それにしても、異世界人ねえ。まるで『マロウド』だな」


 伊勢湖は不機嫌そうに麺をすすり上げた。


「マロウド?」

「知らなかったのかよ。最近流行りの怪談だ。こういうのはガキのほうが詳しいと思ってたんだけどな」

「そういうの、かっこよくフォークリフトっていうのが通なんだってよ」

「フォークロアだろ」

「で、どういう話なんだ?」

「……妙な光を見つけて行ってみると、変な奴を見つける。話しかけてみるがどうも要領を得ない。というか話が通じない。詳しく聞いてみると、そいつはどうやら別の世界から飛ばされてきたらしい」


 妙な光。スティナが現れた状況とも一致する。


「で、マロウドは命を狙われていてな。下手をすると一緒にいた奴も巻き添えで死んじまうんだ」

「誰に?」

「……赤い忍者」

「おい、忍者だって!」


 子供たちの中から、笑い声が上がった。

 多くの人間にとって忍者の存在は絵空事だ。

 陰陽師の活躍なんてなかったし、旧世紀の遺産が地下に散逸さんいつしたのも別の理由になっている。


「聞いたかよリーダー? いまどき――」


 ジャルジーはマルヤの肩に触れようとして、だが怯えたように動きを止めた。

 マルヤの唇は薄く三日月を描いている。しかしそれは馬鹿みたいな話を聞かされたゆえの笑いではない。

 日頃彼の甘いマスクに見蕩みとれる女性たちでさえ怖じて目を背けるような、凄絶せいぜつな笑みだった。

 長い前髪の下で、零次は悲しげに目を伏せる。


「信じてるわけじゃねえが、君子危うきに近寄らずだ。そのガキはおまえらで勝手に処分しろよ。まあ、どうしてもって言うんなら俺が引き取ってやってもいい。安くしとくぜ」

「カネとるのかよ!」

「俺が慈善事業なんざしてられるほど裕福に見えるか?」


 子供たちからブーイング。

 もちろん伊勢湖は気にした様子もない。


「いや、いい。こいつはオレが引き取るわ」

 

 さっきは置き去りにしろと言っていたのに、マルヤはスティナをぐいと引き寄せる。

 この幼女は忍者と関わりがあるかもしれない、その1点がマルヤの方針を180度変えてしまった。


「マルヤ、社長に引き取ってもらったほうがいいんじゃない? 女の子の面倒なんて見れるの?」

「オジキには迷惑かけられねえよ。面倒は……よろしく、零次」


(まったく、野良犬を拾った子供でももう少し殊勝なことを言いそうなものだ)

(いいんです伯爵。それだけマルヤがぼくを信頼してくれてるってことなんだから)

(信頼って概念を学び直したほうがいいと思うよ零次君)


「異世界人の御令嬢はそれでいいとして、マルヤ。本題と行こう」


 伊勢湖がスープをすすりあげ、言った。


「本題?」

「今日の仕事の話だよ」

「……あー、その、なんだ。トラブルがあってさ。なんも盗めなかった」

「なんもってことはねえだろ。おい、後ろ向けよ」

「…………」


 マルヤは少しの間しかめっ面をしていたが、あきらめたように伊勢湖の前で回れ右した。

 腰の後ろで組んだ手の中には、あのパズルボックスがある。


「ガキが。俺を出し抜こうなんざ、百年早ェ」


 伊勢湖はマルヤから箱を奪い、指で弄ぶ。


「で、なんだ、これは?」

「知らねえ――」


 ふてくされたように答えたマルヤは、次の瞬間、伊勢湖の太い腕によって頭を机に叩きつけられていた。


「がッ……!」

「これは、なんだ?」

「『マルシャの箱』です!」


 マルヤより先に零次が音をあげた。

 

「パズルボックスです。それ以上は知りません。本当です! だからマルヤを離して!」


 伊勢湖が指を離す。解放されたマルヤは駆け寄った零次にデコピンをかました。


「なんで……?」

「……バカ、簡単に口割るんじゃねえよ」


 箸を置いて箱をあらためる伊勢湖。だが箱は開く気配すら見せなかった。


「もういい、とっとと帰れ。忍者だか幽霊だかに殺されるなよ」

「おい、前回分の報酬、忘れんなよ」

「ち、おぼえてやがったか」


 伊勢湖は引き出しから手の平に収まるくらいの包みを取り出し、子供たちの数だけ机の上に並べる。

 中身は小判。この街における物質通貨マテリ・ヱンだ。


 零次は自分の取り分に手を伸ばす。だが、横から割り込んできた手がそれを妨害した。

 不摂生でぶよぶよした腕をさかのぼった先には、ジャルジーの顔がある。


「ちょっと」

「おまえには要らねえだろ。荷物運びは手伝わねえわミスはするわ散々だったくせに、ちったぁ恥を知れよ」

「ミス……?」

「警報、鳴ったじゃねえか!」

「全事が万事、ぼくの責任にされても」

「とにかく実際に働いてるのはおれらだ。そうだよな、みんな?」


 零次は無駄な争いをする労力と小判を天秤にかけた。

 どうせたいした額ではない。零次にとっては。


「……わかったよ、あげる」

「へっ、はじめっからそう言え、バカ」

「ねえジャルジー、あんた1人のものにするつもりじゃないよね?」

「わかってるわかってる、山分けだ」


 せめて感謝の言葉くらい欲しかったがしかたない。

 彼らには礼を言う文化がないのだ。


「袴田、わたくしは袴田の家に行くのですね?」

「……そうなりますね」

「ああ、ああ、どうしましょう!」


 スティナは嬉しそうに手の平を合わせる。


「この歳で男の子の家に無断外泊おとまりだなんて! お母様でもきっとやっておられません! ベリーイノベーションです!」

「……そうですね」


 零次は小判の代わりに、諦念ていねんで懐をいっぱいにした。

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