第4幕 異世界よりの少女X


 幼女の瞼がゆっくりと持ち上がる。薄氷色アイスブルーに煌めく瞳が仮面の子供たちを映し出し、寝ぼけ眼は一瞬にして恐怖に見開かれた。


「――Vem är det!?」

「なんか、喋った!」


 互いに警戒しあう子供たち――。

 やがて幼女は、咳払いして、言った。 


「……何者です、おまえたちは? ここは、どこです?」

「ぼくたちの言葉……?」

「日本語は得意ですよ。なにしろわたくし、セサミストリートやピーターラビットではなく、パワーレンジャーを産湯に育てられましたからね!」


 幼女は胸を張る。

 よくわからないがいろいろねじ曲がった教育を受けているようだ、と零次は思った。


 ところで、『ニホンゴ』とはなんだろう?


「おめえこそナニモンだよ」


 警戒心も露わにマルヤが問う。

 幼女は展示台の上に立ち上がった。

 スカートの端をつまんで優雅に一礼。


「わたくしの名は、スティナ・ドゥーゼです。よしなに」


 そこで幼女は左右に忙しなく目を走らせる。

 手伝ってやれと伯爵にせっつかれてようやく、零次は幼女が台から降りられずに困っているのを理解した。

 しかし零次が差し伸べた手を、幼女はやんわりと拒絶する。


「ありがとう、でも1人で大丈夫」

「でも」

「大丈夫です!」


 スティナは台の上に腰かけ、足をぶらりと下に垂らす。そのまま腕の力で身体を前に押し出せば、後は重力が床まで運んでくれる。だが幼女はそこからなかなか進まない。

 台から床までは1メートル少し。もう少し歳のいった子供ならなんでもなかっただろうが、彼女には勇気を要求する高みだ。

 無理矢理にでも手を貸そうか、と零次が1歩前に出た瞬間、


「……Herregud!」


 ひと声吐き捨て、スティナは跳んだ。

 勢い余ってつんのめり、だが踏み留まって背を伸ばす。

 着地成功。前を向いた彼女は試練に打ち克った者の顔をしていた。


「すごいね」

「これくらい、なんでもありません。わたくし、1人前のレディですから。ですが讃えたいのであれば御自由に」

「はあ」

「賞賛していただいてかまわないのですよ?」

「……うん、すごいすごい」


 頭を撫でようとすると、やんわりと、しかしきっぱりとその手を弾かれた。

 子供扱いはお気に召さないらしい。しかたないので、零次は臣下が主君に対するように膝をつく。


「すごいです、姫様」

「うむ」


 そこでマルヤの蹴りが零次の背中に打ち込まれた。


「……律儀に付き合ってんじゃねえよ、バカか?」


 冷静に考えるとまったくもってその通りだ、と零次は思う。


 幼女は肩にかけたポシェットから長方形の板を取り出した。零次たちにとっては見慣れない機械。その一面が発光し、磁駒衆じごましゅうの面々は弾かれたようにスティナから距離を取った。


「あら、スマホを御存知ないのですか? いまどき?」

「『すまほ』……?」


 知ってるか、とマルヤが視線で問う。零次は首を横に振る。

 そんなものは、生まれてこのかた聞いたこともない。


「どういう機械なんですか、お姫様?」

「電話したり、メールしたり、ネットに繋いだり。ああ、GPSで位置を調べたりできます。わたくしのはキッズ用なのでやれることは限られていますが」

「ワイズチップみたいなものか?」

「そのワイズなんとかに関して、わたくしは存じませんが」


 幼女は『すまほ』の画面に目をやって、しかし眉をしかめた。

 何度も発光面を指でつついていたが、やがてあきらめてポシェットに仕舞う。


「すみません、ここはどこでしょう? 東京駅までの道順を教えていただけると、うれしいのですが」

「……トオキョオエキ?」

「ええ。ここは東京でありましょう? そうでなければ、日本のどこだというのですか」

2本・・って、なにが?」


 磁駒衆と幼女はそれぞれ顔をしかめる。

 互いが当然の前提としているもの、それ自体が既に噛み合っていない。


「新宿は?」

「知らん」

「お台場」

「知らん」

「秋葉原」

「知らん!」

「なら、ここはどこだというのです?」

「白虎型機動都市モビルコロニー新赤牟しんあかむ市』だ」

「モビ……なんと? わたくしが外国人と知って、からかっていらっしゃる?」

「そりゃこっちの台詞だ!」

「――ということは」


 幼女はなにか閃いたというように、ポンと手を合わせた。


「イノベーション……! どうやらわたくし、気がつかないうちに遅刻魔のウサギを追いかけてしまったようですね。それとももっとオーソドックスに、『トト、ここはもうカンザスじゃないわ』とでも言うべきでしょうか」

「……はあ?」

「おそらくわたくしは、別の世界から来たのです。どうやってかは、おぼえていませんが」

「なに言ってんの、コイツ?」

「探究心が刺激されますが、どうしましょう。早く帰らないと父の頭皮か胃壁がボロボロになってしまいますね……」


 磁駒衆の面々はマスク越しに顔を見合わせる。気味悪げに。

 零次はむしろ、胸につっかえていたものがするりと落ちた気持ちだった。

 奇妙な光。『すまほ』という謎の機械。初めて聞く、地名らしき単語。

 彼女がどこか遠い世界から来たなら、説明がつくような気がした。


(零次君)

(なんですか伯爵、今たてこんでるんです)

(さっきの光で破損したシステムが自己修復中なのを、忘れちゃいないだろうね?)

(あ……)

(もうじき再起動するだろう。その際、設定はリセットされ――)


――ジリリリリリリ!


 宝物殿が目覚める。鉄格子が滑り落ち、窓を塞いだ。非常灯が部屋を深紅に染める。

 侵入者に対する心理的効果を狙い禍々しくデザインされた警備ロボットが、2つの眼を輝かせる。


「急げ!」

「まだなにも車に運んでねえのに!」


 ネコに追われるネズミのように、磁駒衆は一目散に扉を目指す。

 だが零次は、数歩も行かないうちに足を止めた。

 スティナが元の場所にぽつんと立っていたからだ。


 放っておいていいのだろうか。

 でも、忍法帖とは何の関係もないし……。


「そこのおまえ」

「は、はい?」

「これは何の騒ぎですか?」

「え……防犯警報、だけど」

「それは怖い。泥棒さんが来ているなんて」

「いや、ぼくらが泥棒なんだ」

「まあ」


 なにやってんだ零次、置いてくぞ――マルヤが叫ぶのが聞こえた。

 マルヤのことだ、そうすべきと判断したら本当に置いていく。

 だが走り出そうとした零次の手を、スティナが引っ張った。


「もしわたくしがここに残っていたら、この世界ではどうなります?」

「そりゃ、捕まるでしょうね」


 零次はその場で足踏みしながら答えた。


「わたくしは泥棒ではありませんが」

「ここの住人じゃないんでしょ。だったら不法侵入者だ。逮捕されます」

「それは困ります。御先祖様に申し訳が立ちません。おまえたちと一緒に行っても?」

「え……」


 マルヤは許すだろうか。

 いや今はそんなことを考えてる場合じゃない。

 一刻も早く逃げねばならないのであって、問答をしている場合ではまったくない!


「行きましょう!」


 焦るあまり、思わず零次はスティナの手を取った。

 その柔らかさにぞくりと背筋が震える。

 服の上からでもわかる華奢きゃしゃな腕。子ウサギのように白く小さな手は、力を入れたら砕けてしまいそうだ。

 胸の中心がきゅっと締めつけられるような感覚が零次を襲う。


「……どうしたのです?」

「な、なんでもないです!」


 幼女の手を引いて、零次は無言で仲間の後を追いかけた。





 子供たちが騒々しく出ていった後、展示室の片隅でなにかが動いた。

 闇の中から絞り出されるようにして、1つの影がぬるりと歩み出る。

 それは人間の姿をしていた。体格からして、男だろう。


 宝物殿の中を横切り、壁にかかったシカの首の剥製はくせいの前で足を止めたそいつは、無造作にそれをもぎ取った。

 飾る物のなくなった額縁がくぶちには、ドットの連なりで表現された魔法陣が描かれている。

 それこそ、マルヤが探し求めていたシジル・コードだった。

 

「ここにいたのか、ルフール君」


 魔法陣をじっと見つめていたそいつは、突然後ろに向けて腕を振った。


「今、古い友人と久しぶりの再会なんだ。邪魔しないでくれないか」


 男の背後で、菱形を縦に伸ばしたようなダガーを頭部に突き立てられた警備ロボットが爆発。

 その一瞬の光に照らされて、男の姿が浮かび上がった。

 血のように赤い忍者装束。目元までを覆う、金色の兜。

 男は零次たちが出て行った扉に目を向け、言った。


「――さて、もう1人の古い友人に対しては、どうしようかな?」


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