第3幕 宝物殿の怪


 機動都市モビルコロニーの天井を埋めるスカイスクリーンが夏の星座を映し出していた。

 各所に仕込まれたスピーカーから響いてくる蝉の声に包まれながら、子供たちは黙々と神社の石段を登り続ける。


「――相変わらずうるせえな、誰得だよ」


 子供たちの1人が舌打ちした。

 先人たちが見せた外の世界への異様な執着は、生まれた時から閉鎖空間の中にいる世代には不合理の極みに映る。


「暑い……」


 街は夜でもじめじめした暑気に包まれていた。

 この時期は都市の気温を40度近くまで上昇させるという決まりになっているからだ。

 逆に気温が0度近くまで下がる時期もある。


「おれ、大きくなったら政治家になって、『夏』と『冬』をやめさせる」

「バーカ、夷民いみんがなれるワケねえだろ」

「誰でもなれるって、シスター言ってたもん」

「建前、建前。身体がジョーブで人並み外れた地頭の良さがあって万人に1人の才能をもってて、それを伸ばしていけるほど暇で余裕のある暮らしができる程度に金持ちでいてそのうえで誰かに邪魔をされなきゃ、まあなれる『かも』しれねえけどよ」


 夷民――稼働停止した機動都市から流れてきた余所者たちには、成り上がりどころか現状維持さえ難しい。


「おい零次、どこ行くんだ」

「え? 神社に来たなら、まず手をすすがないと」

「アホか、おまい。お参りに来たんじゃねえんだぞ」


 子供たちは手水舎ちょうずや御神木ごしんぼくの前を素通りし、参道を斜めに横切る。

 本殿には目もくれない。目指すは一路、宝物殿ほうもつでんだ。


 外の世界で人が生きていけなくなったとき、文化保全のため大量の美術品や歴史資料、その他諸々が機動都市に運び込まれた。

 この宝物殿もその保管場所の1つだ。本殿より大きな建物の中、神社そのものとは直接関係のない旧世界の遺産が展示ケースに収められている。


 ピエロの人形がくっついたベンチ、薪を背負って本を読む子供の石像、針が4本ある振り子式の大時計、象形文字の刻まれた新月刀、過去の戦争で使われたという身の丈6メートルの武者人形・巨大人型機動呪具マジンナリィ・フレンズ――。


「さあ、はじめるか!」


 子供たちはハンマーで展示ケースを割りはじめた。

 鳴り響くはずのサイレンは黙したまま。警備ロボットはウンともスンともいわない。

 零次によって防犯設備はすべて無力化されている。


 黒猫の仮面を着けた少女が、慣れた手つきでスプレー缶を振った。

 ノズルから噴き出した毒々しい色の霧が、壁に架けられた油絵と高価たかそうなカーテンの上に、装飾レタリングされた文字列を描き出す。


 『磁駒衆じごましゅう、参上!』


 かつて、忍者によって旧世界の遺産がまとめて盗み出されたことがあった。

 隠し場所に使われたのは、機動都市地下に広がるインフラのメンテナンス回廊、通称アンダー・ダンジョン。複雑に入り組んだその場所は、地図を持っていてさえ遭難しかねない暗黒の迷宮だ。

 そこに分散して隠された宝の数々は、忍者が敗れた今もなお、まだ回収されきっていない。


 ダンジョンから旧世界の遺産を回収し公的機関に納める仕事と、それに従事する者を『探索者』と呼ぶ。

 一方、ダンジョン内にあるものから既に地上へ引き上げられたものまで、遺産をかすめ取り闇マーケットに流すのが『違法探索者』だ。

 磁駒衆と名乗る子供たちは後者にあたる。


忍法帖ニンジャ・グリモアを探すついでに金も稼げる。いい仕事だよな」

「……そうだね」


 良心の呵責かしゃくについて話し、仲間たちからさらに孤立する愚を零次は犯さなかった。


(ええい、アマチュアどもめ。仕事に無駄が多すぎる。盗人の風上にも置け……ああ、馬鹿め! 粗末に扱うんじゃあない! 宝に対する敬意はないのか小童ども!)


 ぞんざいに盗品を運ぶ子供たちに対し、伯爵はギリギリと歯ぎしりする。

 子供たちにその怒りは届かない。ゲラゲラ笑いながら、手にした壺を空中に投げてキャッチしたり、古代の銅剣や祭祀槍でチャンバラごっこにふける始末だ。


 零次には不思議でしかたがない。

 彼らは「人前で騒ぎ立てるな」と親からしつけられなかったのだろうか? おもちゃ屋ではしゃいだせいで、顔面から床に叩きつけられたことは? 遊園地で走り回ったせいで、足の骨にヒビが入るほど杖でぶたれたことは?


「で、零次。忍法帖はどこだって?」

「えっと――」

(方角はあっちだ)


 伯爵のすらりと伸びた指が正面の展示ケースを指す。

 そこには古代トゥチョ=トゥチョ人のミイラが横たわっていた。


「シジル・コード、外から見えるとこには描かれてねえな」

「とりあえず蓋を外して……」


 世界が白に塗り潰されたのは、その時だった。


「ひいっ!」

「なんだっ!?」

「マルヤ、逃げて――」


 ――警備会社のエージェント。待ち伏せ。閃光手榴弾フラッシュ・グレネード――。


 そういう悪い想像が零次の脳裏を駆け抜ける。

 だが違った。


「光の、玉……!?」


 宝物殿を光で塗り潰すその源は、中空に浮かぶ直径2メートルほどの蒼い光球だった。

 そういうものが、目の前で線香花火のように火花を散らしている。

 熱もなければ臭いもない。それがなにかはわからない。わからないが。


「……キレイだ……」


 そう呟いたとき、光は一気に広がった。建物のあちこちで破砕音がこだまする。

 だがそれも一瞬だ。光は消え失せ、周囲は一転して暗黒に閉ざされた。


 零次はワイズチップに命じて、眼球を暗闇に高速適応させる。

 フクロウのごとき夜間視力を得た零次は、立ち上がって周囲を見回した。零次と同じものを持たない他の子供たちは、突然の暗闇に為す術なく怯えるばかり。


「――え」


 零次の目が、大きく見開かれる。

 目の前にあるガラスケース。

 その中身が変わっていた――いや、増えていた。


 陳列ケースの中、腰蓑一丁のミイラを押し潰すようにして、めかしこんだ幼い少女が眠っている。

 6、7歳くらいの幼女だ。

 肩まで伸びた銀髪シルバーブロンドに、新雪のような白い肌。長い睫毛まつげはぴったり閉じられている。絵本に出てくるお姫様のようだ、と零次は思う。


 身につけているのは紺色のロシア帽ウシャンカに同色のコート。

 まるっきり冬の格好だ。この暑いのに。


 零次はすぐ側まで近づいて、幼女の胸が微かに上下しているのを確認する。


「開けろ、零次」


 壁際からマルヤが指示を出す。

 零次はポケットから取り出したヘアピンをケースの鍵穴に突っ込み、ねじる。鍵は簡単に外れた。

 闇に目が慣れた仲間たちが近寄ってくる。


「……こいつ、夷民だよね?」

「でも着てるのは上物だぞ。ツラも綺麗だし」


 零次は幼女のコートを撫でた。毛皮のすべすべした感触は、背筋に震えがくるほど心地よい。

 夷民どころか、平民にも手が出ない高級品だ。


 頬にかかった銀髪をどけてやると、髪はべたつくことなくさらりと流れた。シャンプーの香りだろうか、杏子アプリコットの匂いが微かに立つ。

 幼女がわずかに微笑んだように見え、つられて零次の頬も緩んだ。


「なあ、それ、なんだ?」


 マルヤの目は幼女とはわずかにズレた場所に向けられていた。

 幼女によって半ば押し潰されたミイラの頭部だ。断面にきらきら光るものが覗いている。

 マルヤは躊躇ちゅうちょなく取り出す。


 それは、手の上に乗るほどの大きさの立方体だった。

 黒地に金の装飾。象形しょうけい文字を重ね合わせたような図柄で、偏執狂へんしつきょう的な細やかさには恐怖さえおぼえる。

 鍵穴も蓋もついてない。一見、ただの置物のようだ。


(これはこれは。『マルシャの箱』じゃあないか)

「マルシャの箱……?」

(有名な仕掛け職人が作った最高峰のパズルボックスだ。特定の手順でパーツを押したり引いたりすることで開閉する)

「じゃあ、この中に忍法帖が?」

(いや。これからはシジル・コードの感覚がしない)


「……マルヤ、残念だけどこれ、忍者とは関係ないみたい」

「けど、ここまで厳重に隠してるってことは、なんかあんだろ?」


 マルヤは箱を耳元に持ち上げ、振る。微かにカラカラと音がした。


「なんか入ってるみたいだ。零次、開けろ」

「やってみる」


 零次が手を伸ばした時、そこで幼女のまぶたがぴくりと震えた。


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