第2幕 怪盗と不愉快な仲間たち


 甲冑巨人の手にした戦斧ハルバードが嵐を起こす。

 天井に穴が空き、壁が裂けて血を流すのもおかまいなしだ。巨人はただひたすらに執念深く標的を追う。

 怪盗マリウスは逃げ回るだけで精一杯に見えた。


(そう怨みたもうな。君が思っているほど、生は幸福に満ちてはいないよ?)

「ギジャアアアアアアアッ!」


 生きとし生ける者への怨みを込めて、水子の操る巨人は身を大きく反らした。

 肋骨がバネのように胸部装甲を押し上げ、内部を覗かせる。赤黒い肉の、湿ったうろ。そしてそこに収まったガトリングの砲門を。


 百万本にも達する剣歯の弾丸が発射される。

 雨のように降り注ぐそれから必死に逃げる怪盗。だが。


「あっ……!」


 弾丸が怪盗の右腕をとらえた。

 肘から先が蛇腹刀ごと千切れ飛ぶ。ピンク色の肉から白い骨を突き出す断面から、一拍遅れて血液が迸った。苦痛がニューロンを駆け巡る。現実空間では零次の身体がショックに跳ね、痙攣。


「くそがっ!」

(今のは凡ミスだな。怪盗の名に傷がつくぞ)

「うるさい!」


 マリウスは足を止め、ロングコートのポケットからチェーンを取り出して傷口を縛った。

 その間に悠々と近づく巨人。戦斧を大きく振り上げる。

 だが、必殺の一撃を放たんとしたそのとき。


 マリウスの姿が、2つに増えた。


「ギギャッ!?」


 虚を突かれた甲冑巨人の手から力が抜ける。斧刃は2人の怪盗の間に落ち、床に食い込む。

 その刹那、再び1体に戻ったマリウスはくるりと身を翻した。

 跳ぶ。戦斧の上に立ち、そのまま一陣の風となってプレートメイルを駆けのぼる。

 小さく見えた鉄兜が見る間に大きくなっていく中、ロングコートの左袖から手の平に収まるほどの小さな拳銃デリンジャーが飛び出した。

 銃口が、兜の隙間、白く濁った眼球めがけて押し込まれる。


「生まれてこられなかった君には業腹ごうはらだろうが、ぼくは死んでもよかった」


 血涙を流し咆哮する赤子に、マリウスは囁く。


「――だけど君じゃ駄目なんだ」


 小さな拳銃の小さな弾丸なれど、赤子の柔らかい頭蓋ずがいを霞に変えるには充分だった。

 ぐらりと後ろに傾いだ巨人を蹴って、マリウスは宙に身を踊らせる。

 後方宙返り3回転捻り。

 惚れ惚れするような放物線を描き、綿毛のようにふわりと地に降り立つ。

 すっと背筋を伸ばすその姿は、穢れなき白鳥のようだ。

 その背後で、巨体が大地に沈み、屋敷を揺らし、埃を巻き上げる。


 観戦していたガァニ=ルドドたちはどこか不満そうだった。

 伯爵は肩をすくめる。


忍法ニンジャクラフトは、御都合主義だと思われてしまったかな?)


 マリウスは奥の扉を押し開けた。

 暗い部屋にはピンク色の脳髄がひとつ。ガラスケースの中、特大の宝石であるかのように陳列されている。

 それこそが、夜球神社を束ねる中枢電算式神メインコンピューターだった。

 マリウスはそれにずぷりと指を突き入れる。

 その瞬間、現実空間で神社を取り巻いていた赤外線の網が、ふっと消えた。





 ……零次は、己自身の瞼を持ち上げた。

 もうそこは屍製の洋館ではなく、薄汚れたワンボックスカーの車内だ。

 右腕を見る。右手はちゃんとついていた。だが麻痺したように感覚がない。見えているのは幻で、本当は存在しないような気がする。しばらくすれば元通りになるだろうが、それまでが落ち着かない。


「20秒32」


 太った赤ら顔の少年がストップウォッチを止めて、潰れたアンパンみたいなおもてをニヤニヤと歪ませた。

 主観的には数十分程あった怪盗の冒険は、現実世界ではたった数十秒の出来事でしかない。


「ざんね~ん! 新記録更新、ダメでした~!」

「……ごめん」


 タイムアタックを目指したおぼえはなかった。そもそもこの赤ら顔に文句を言われる筋合いはない。そう思うのは向上心がないのだろうか。よくわからなくて、零次はとりあえず謝っておく。

 伯爵の力を借りた反動で茹だった脳は、まともに思考を繋いでくれない。


 零次は懐から飴玉を取り出した。左手と歯を使って包装を破り、頬張る。

 熱々のトーストに落ちたバターみたいに、脳に糖分が染みこんでいく。


「だいたい、おまえはよぉ……」

「……いくら?」

「あん?」

「いくらおこづかいをあげたら、静かにしてくれる?」


 頭の痛みが治まるまで黙っていてくれるなら、少しくらい金を払ってもいい。お互いに損のない、公正な取引だ――と思っているのは零次だけで、馬鹿にされたと感じた赤ら顔はこめかみの血管を震わせた。


「てめえ……!」

「よせ、落ち着けジャルジー。零次も挑発すんじゃねえよ」


 赤ら顔ジャルジーを羽交い締めにして、マルヤが言った。零次はのっそり首を傾げる。

 挑発? なんのことだろう。


「だからその、とりあえず金で解決しようとするのをやめろ」

「平和的解決だと思うけど……」


 反論しようとした零次の額を、マルヤは指で弾いた。


「年下にやられるとムカつくんだよ、お坊ちゃん。……まあいいや。それより首尾は?」

「く……神社のシステムは全事が万事、掌握したよ。警備会社にもダミーの情報を流してる」

「でかした。それでこそオレのダチ公だ!」

「……うん!」


 零次はマルヤの突き出した拳に、自分の拳をぶつける。

 少しだけ、頭痛や嘔吐感が治まった気がした。もちろん気のせいだ。次の瞬間には身体が勝手に楽な体勢を求めて、背もたれに沈む。

 頭蓋骨の裏側に粘土がへばりついているようだ。


 他の子供たちはそれぞれ覆面を被る。彼らの仕事はこれからだった。


「じゃあ頑張って。ぼくは――」


 車に残って休むつもりでいた零次を、しかしジャルジーが引っ張る。


「サボんじゃねえ、おまえも来るんだよ」

「零次はいいんだよ、ジャルジー」

「甘すぎねえか、リーダー?」

「零次はセキュリティをクリアしてくれたろ。もう充分働いてる」

「座ってただけじゃねえか!」


 ジャルジーは肉体からだを動かさない労働を労働と認識できないらしい。

 むしろ認識してやらない、という固い意思すら感じる。


「だいたい、セキュリティが本当にあったかさえ怪しいぜ。コイツがホラ吹いて働いたふりしてるだけじゃねえの?」

「……ジャルジー、ちょっと来な」


 赤ら顔の肩を抱いて、マルヤは車内前方に移動した。キスをするかのように顔を近づけて、ぼそぼそと囁く。


「……わかるだろ? 士族の坊ちゃんなんて、モヤシ・・・なんだから力仕事なんざ役に立たねえって。モヤモヤし・・・てねえでテキトーにおだててやんなきゃ……」

「でもよぉ……、ん? またくだらねえジョーク言った?」

 

 ワンボックスカーの前と後ろなど、そう距離がない。2人の内緒話は零次の耳にも届いていた。

 伯爵は鼻で笑う。


(フッ、たいした友情だ)

(そうですね)


 零次は首肯。


(リーダーって、心にもないこと言わなきゃならないから大変だなぁ)

(海藤君が絡むとポジティブが服を着てるみたいになるな、君は。心療内科と脳外科、どっちを勧めるべきだと思う?)


「……零次、出られるな?」


 マルヤはジャルジーの説得をあきらめたらしい。

 もちろん、親友の頼みを零次が断わるはずもなかった。


「……うん、マルヤ。行くよ。外の風に当たりたかったし」


 零次はふらつきながら腰を上げる。立ちくらみがした。


「おいおい、しっかりしろよ」

「……マルヤこそ。本当に行くの?」

「ああ。オレも自分の忍法帖ニンジャ・グリモアが欲しいからな」

「ぼくがいる。ぼくのマリウスが」

「オレは自分でたおしてえんだ。りん姉を殺した忍者を、この手でもう一度地獄に叩き込んでやりてえ」


 百年ほど前。失われた技術である『魔法マギアプリ』――ワイズチップ用肉体強化アプリを復活させ、機動都市モビルコロニーを支配しようとした者たちがいた。

 マギアプリによって発生する様々な奇跡『忍法ニンジャクラフト』を操る彼ら72人は自らを『忍者』と名乗った。

 マリウス伯爵もその1人だ。電夢境経由でネットワークをハッキングできる夢見忍ゆめみにんの1人。

 本人は忍者でなく怪盗だと言い張っているが。


 しかし忍者たちの野望は1人の陰陽師おんみょうじによって阻止される。

 召し捕らえられた忍者たちは極刑に処された。肉体をミキサーで磨り潰され、脳髄だけを摘出、都市を動かす部品として永遠に酷使される末路を迎えたのだ。そしてその存在はあらゆる記録から抹消された――はずだったのだが。


 忍者たちは自分たちが敗北した場合を考え、手を打っていた。

 『シジル・コード』と呼ばれる、魔法陣じみたマトリックス式二次元コードを、街の各所に刻み込んでいたのだ。


「確かにコードを読み込めば、その忍者が持ってたマギアプリのセット――忍法帖が手に入るよ。だけど……」

「使えばそれだけ、忍者に魂を上書きされるってんだろ?」


 マルヤは零次の頭、その少し隣の空間に目を凝らす。

 零次の言葉を信じるなら、そこには忍者の1人であり自称怪盗のマリウスが背後霊のように浮かんでいるはずだった。しかし契約者ではないマルヤにはなにも見えないし聞こえもしない。


「けど、忍者と戦うためには忍法帖が要るんだよ。それがもう、すぐそこにある」

「伯爵の嗅覚を信じればね」

「……的中あたったためしねえけどな。まあ、他に手がかりもねえ」


(失礼な。零次君を完全に乗っ取れば、100パーセント的中させてやるとも)


 伯爵は抗議の声をあげたが、もちろんマルヤには聞こえない。零次もあえて通訳しなかった。


「なんにせよ、多少のリスクは覚悟の上だ! 魂を乗っ取られる前に全部ケリつけりゃいいだけ、そうだろ?」

「……うん。流石マルヤだね。わかったよ。ぼくが必ず、マルヤに最高の忍法帖を見つけ出す。一緒におりんさんの仇を討とう」

「よく言った」


 マルヤの手が零次の髪を掻き回す。

 これでいいんだ、と零次は自分に言い聞かせた。

 マルヤは止められない。止めれば零次を置いて1人で行ってしまう。

 ならば道は1つ。一緒に戦うだけだ。2人なら、きっとなんとかなる。


 ――マルヤのためなら、ぼくは死んでもいい。


「じゃあ野郎ども、行くぞ! ……ターゲットをやったーゲット、なんつってな!」


 開け放したドアから、夏とは思えない冷気が流れ込んできた。



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