ギガンティック・バトル

 華やかなエルフの都は、あっという間に阿鼻叫喚の地獄絵図になった。

 七凪を抱えて走る僕は、まるで姫君に使える騎士のようだ。ナイト気取りかと言われれば、きっと違うと言える。

 気取ってなんかいない、僕が七凪のナイトになるんだ。

 こんな僕でも、女の子を守りたいって思うくらいいいじゃないか。


「渚クン、あそこ……火の手が」


 僕の首に腕を回す七凪が、片手の指を進路へ突きつけた。

 向こうから逃げ惑ってくる人たちは、真っ赤な炎に追われていた。まだ距離があるに、肌を灼くような熱風が叩き付けてくる。そして、人が焼かれる悪臭が入り混じっていた。

 不快感に顔を歪めながらも、僕は必死になって走った。

 僅かに目元を険しくして、七凪が睨む先へ駆ける。

 やがて、黒煙が広がる空に巨大な背中が見えてきた。


「もういいわ、ありがと。渚クン、降ろして」

「でも」

「ふふ、大丈夫よ。死ぬ気はないわ」

「その、助っ人っていうのは」

「まだ近くにはいないみたいね」

「なにか手は……僕にできることは」


 七凪は、ただ小さく笑ってなにも言わなかった。

 そんな彼女を、そっと大地に降ろして立たせる。少しよろけたが、彼女は手にした杖によりかかることなく、ピンと背筋を伸ばして歩き出す。

 その細い身体からは、想像もつかないほどの鋭い声が走る。


「バルトルノルヴァ! 私はここよ……決着をつけてあげましょう」


 一瞬、宙に浮いた巨神の動きが止まった。

 そして、業火が生み出す陽炎の中で、ゆっくりとこちらへ向き直る。

 ヒロイックなデザインの巨大ロボットも、今は悪鬼羅刹の如く禍々しく見える。その目に灯る光が、こちらを見て何度か明滅した。

 ゆっくりと、巨体がこちらへ降りてくる。

 僕は腰の七鍵刀を構えて、七凪を背に庇った。

 強烈な突風が荒れ狂う中でも、白い髪をなびかせる彼女は前を向いていた。


「クハハッ! 今日こそワシが引導を渡してくれよう……染まらずの魔女! 貴様さえ倒せば、ワシの覇道を阻むものはなにもない!」

「私が老いて弱くなったこと、さぞかし嬉しいでしょうね」

「そうとも! あらゆる時代、数多の世界線でワシの邪魔をしおってからに」

「馬鹿な弟子を持つと、苦労するわね」

「……まだ、そんな減らず口が叩けるのか! 貴様は!」


 激昂に声を震わせるバルトルノルヴァ。

 だが、涼しい笑みさえ浮かべて、七凪は余裕の表情である。

 そして、驚くべき事実を口にした。

 僕の認識が、勘違いだったことが明らかになる。


「戦災孤児だった子供を拾って、学問を教えたわ。それがあなたよ、バルトルノルヴァ。そして、魔法ではなく科学……錬金術をあなたは選んだ」

「そう! そしてそれはもう、過去の話!」


 なんだって?

 師弟だったって、七凪がお師匠様だったのか?


「ワシは知った! 魔女の知識を貪欲に吸収し、真理を得たのだ!」

「あら、そうなの?」

「そうとも! この世界とは別の、無数の並行世界が無限に存在する! そして、人は世界の境界線を超える術を持っているのだ! 時間さえも遡り、全ての時代を手にすることも!」

「……いいわ、続けて頂戴」


 七凪の横顔には、静かな怒りが満ちていた。

 だが、まるで自分に酔いしれるようにバルトルノルヴァは言葉を続ける。

 巨大なゲートキーパーは、目の前でゆっくりとその手をこちらへ向けてきた。


「この世界の人間たちは、異世界を信じながらも……その先へ翔ぶことを禁忌とした。だが、ワシは違う! ここより優れた地からは、技術を! ここより劣った地からは、資源を! 無限に広がるフロンティアへと、手を伸ばさずしてなにが文明の発展か!」


 僕は漠然とだが、理解した。

 七凪は大昔、子供を拾って育てたのだ。だが、彼女が授けた知恵と知識は、その子供を邪悪な錬金術師へと成長させてしまった。

 二人になにがあったのかは、知らない。

 だが、僕には幼少期のバルトルノルヴァが不幸なだけだったとは思えないのだ。

 クールでニヒルでミステリアス、そんな七凪はいつも優しいから。

 でも、彼女の優しさが仇となって、あらゆる世界の敵対者を生んでしまったのだろう。

 そのことを僕は、責める気にはならなかった。


「七凪、この剣で……戦えるかな? あいつがこれを恐れるなら、僕は上手く使ってみせたい」

「大丈夫よ。七鍵刀はただ存在するだけで、持ち主を時間や空間の転移から守る。使い方次第では、相手をこの座標に縫い止め続けることだってできるわ」

「いまいち、使い方はわからないんだけどね」

「それも問題ないわ。すぐにキミは使いこなす……その時はもうすぐ。さて、着いたようね」


 不意に七凪は、視線を外した。

 その時のバルトルノルヴァの苛立ちが、すぐに巨神の挙動に現れる。

 身震いするように一歩下がった巨神から、怒りの罵詈雑言が飛んだ。

 だが、七凪はそんなかつての弟子を無視し、不意に振り向く。

 逃げ惑う人たちもいなくなり、静まり返った街の路地へと彼女の眼差しが吸い込まれていた。

 そして、僕は信じられない言葉を聴く。


「お疲れ様、遠かったでしょう? 手伝ってくれるかしら……愛生」


 僕も振り向き、目を疑った。

 そこには、本来いないはずの少女がいた。

 ニハハと緊張感なく笑って、頭の後ろに両手を組みながら歩いてくる。僕の学校の制服で、酷く小さくて少女というよりは幼女だ。

 でも、確かに九頭竜愛生はそこにいた。


「やっほー、ナナちゃん。這い寄るようにぬるっと来たよー? ありゃ? ふけたねー」

「たった七十年よ。今までに比べれば……それに、少しは人間っぽく老いてみせないとね」

「なるほどー! んで、あれが例のおねショタ満喫してたら悪堕ちした弟子かな?」

「概ねそうね。頼めるかしら」

「モチのロン! そろそろ整合性を取らないと、ナナちゃんの雇用主も激おこでしょ」


 なにを言ってるのか、さっぱり訳がわからない。

 それは多分、巨神の中から見下ろすバルトルノルヴァだって同じ筈だ。彼にとっては、愛生は初対面の筈である。そして、あからさまにこの世界にとっての異物だとわかる筈だ。

 ちびっこ女子高生はぽてぽてと歩いてきて、七凪の隣に立つ。

 僕の背後には、まるで当然のように並ぶ二人の姿が妙にしっくりきていた。


「んじゃ、ナナちゃん。渚もさ、ちょっと下がってて……目には目を、歯には歯を。異世界な異物、除いちゃうよっ!」

「よろしくして頂戴、愛生……ふふ、バルトルノルヴァ。大昔に教えたことを覚えてるかしら? あなたが異世界を除く時……異世界もまたあなたを除こうとする。それが強制力というものよ」


 突如、上空に巨大な魔法陣が広がった。

 それは、高速でなにかを歌っている愛生が生み出したものだ。そう、彼女は低い声で歌っている。どこの世界の言葉ともつかない、音の連なりを束ねてなにかの力を行使していた。

 そして、異変が起こる。

 眩く光る空の魔法陣から……見たことのある巨大な姿がゆっくりと降りてきたのだ。

 それは、目の前でバルトルノルヴァが乗るのと全く同じ、ゲートキーパーだった。


「えっ、なんで……いや、ちょっとまって! いやいや、いやいやいやいや! 待ってよ」

「あら、よく知ってるわね渚クン。そうよ、いあ、いあ……邪神の力も有効活用しないとね」

「えっ、七凪……あれは」

「知ってるでしょう? もともとあれは、エミルさんのゲートキーパーよ」


 そう、僕の世界の八百年後、遠い未来の人類が作り上げたタイムマシン……それが巨神の正体、ゲートキーパーだ。

 慄くようによろけた巨神の前に、全く同じ姿が着地する。

 腹部のコクピットが開いて、そこから出てきた少女も僕は知っていた。


「なっ……ここは? 二十一世紀の地球、日本のまほろば市ではないのですか? 何故!」


 例のぴっちりとしたスーツに身を包んだ、エミルが現れた。

 その時にはもう、七凪の側から愛生が走り出している。彼女は猛スピードで疾駆するや、ジャンプと同時に鋭い蹴りを突き出した。


「おりゃあああ! 必殺っ、コズミックッ! キィィィィィィック!」

「な……ぐはっ!?」


 無防備に生身を晒したエミルは、突然の飛び蹴りを顔面に食らって、吹き飛んだ。そのまま落ちるかに見えたが、身を乗り出した愛生はコクピットにつかまり、器用にエミルの脚を掴む。そしてそのまま、彼女をコクピットの中に放り込んだ。

 そして、こちらにピースサインを向けてぺかーっと笑う。


「勝利のブイッ! さぁて……取り除いちゃうよっ! この異世界の異物を!」


 愛生はそのまま、コクピットの中へと消えた。

 低く唸るような轟音と共に、ハッチが閉まってゲートキーパーに眼光が灯る。

 突然現れたエミルの言動で、咄嗟に僕は察した。エミルは、なんらかの事故かなにかで、まほろば市に来た時にゲートキーパーを失ったと言っていた。

 つまり……今、目の前に現れた二機目のゲートキーパーは、彼女が失う前のものだ。

 エミルは未来から僕の時代に来る途中、ここにつかまって巻き込まれたのだ。


「なっ……巨神がもう一体だと! どういうことだ、こんなことは今まで一度も……七凪っ、貴様なにをした!」


 バルトルノルヴァの声は引きつっていた。

 だが、フフンと鼻を鳴らす七凪にいつもの余裕たっぷりな表情が戻ってくる。


「あら、特になにもしてないわよ? ただ、覚悟するのね……強制力がなにによって支持され、維持されているかを。そこには、私たちが知るよりずっと古い神々の力だって作用しているのだから」

「貴様っ! ……まだ、ワシの知らないことがあるというのか!」

「全知全能なんて笑わせるわ。人の器では、世界の全てを詰め込める筈ないもの。限りある命の枷を振り払っても、全然足りないのよ?」


 目の前で、恐るべき戦いが始まった。

 二体のゲートキーパーが、文字通り拳をぶつけての格闘戦を始めたのだ。いよいよ街並みは崩壊し始め、あらかた民が逃げ去った都が戦場になる。

 そして僕は、はっきりと目にして感じた。

 わかった気がした……恐るべき巨神の、唯一にして絶対の弱点を。

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