決意の朝に旅立ちを
七凪の住んでる家は、森の奥深くにひっそりと建っていた。
本当に質素な庵で、ちょっとびっくりするくらいだ。兵士たちの埋葬に四苦八苦したあと、僕は睡魔に負けて熟睡してしまった。
本当は、七凪といろいろ話したかったんだけど、疲れてたんだと思う。
僅か半日にも満たない時間が、酷く長く感じたから。
夢さえ見ない深い眠りから目が覚めると、ほのかにいい匂いが食欲をくすぐってくる。
「ん……もう、朝か。よく寝た、気がする」
瞼を擦りながら身を起こせば、窓から暖かな日差しが注いでいる。
小鳥のさえずる声が、朝日の中で踊ってるように感じた。
ベッドを抜け出ようとして、僕は不意に手の中に柔らかな感触を握った。この展開……どっかであったような? というか、このなめらかで吸い付くような肌触りは。
「ふっ、ふおおおっ! ま、また! ちょっと、なんで一緒に寝てるんですか、フィーナさんっ!」
またも、同じベッドの中に全裸のフィーナが寝ていた。
慌てて手を離すと、彼女は「っ、ん……」と切なげに鼻を鳴らす。
フィーナと会ったばかりの頃、同じようなことがあった。それが数日前なのに、もうずっと昔のことのように思える。僕はパンツ一丁だったが、そそくさとベッドを降りて着替えを済ませた。
改めて、眠るフィーナに毛布をかぶせてやる。
「これで、よしと。……なんかでも、そっけない家だなあ」
部屋は二つ、書斎を兼ねたこの寝室と、隣の大きな部屋。そっちは竈があって、朝食の匂いが今も湯気に乗って漂ってくる。
調度品も最低限で、それも簡素なものばかりだ。
七凪は、ここで半世紀以上も過ごしたことになる。
なんだか、その孤独を思うと胸が痛んだ。僕は以前は、なるべく人を寄せ付けないようにしていた。孤高を気取っていたとも言えるし、軽い人間不信で誰とも関わりたくなかった。僕が見て覚えた過去を、誰もが否定したから。
でも、七凪は拒むどころかグイグイ来たんだよな。
そう思っていると、視線を感じて振り返る。
「おはよう、渚クン。昨夜はお楽しみだったみたいね」
「ちょ、待ってよ七凪。そんなことないって。そもそも、どうして僕がフィーナと同じベッドで寝てるんだよ。……あ、先に話の途中で眠りこけちゃったのは僕か」
「そゆこと。気ままな一人暮らしですもの、ベッドは一つしかないのよ。私はソファで寝たわ」
「僕もそっちでよかったのに」
「私と一緒に?」
「そっ、それは! からかわないでよ」
そうね、と七凪は笑った。
相変わらず、僕をいじるのが妙に達者だ。
でも、以前と比べて雰囲気が変わったようにも思える。どことなく表情も柔らかいし、無敵の自信よりも穏やかさが感じられる。重ねた年輪が、彼女の印象を丸くしている気がした。
「朝ごはんができてるわ。こっちの世界の食事が、口に合えばいいのだけど」
「お腹が減ってるから大丈夫さ。フィーナも起こす?」
「もう少し寝させておいてあげましょ。随分、気を張ってたみたいだから。お茶でも入れるわ、渚クン」
「ありがとう、もらうよ」
「顔を洗ってきて頂戴。井戸は外よ」
僕は七凪と寝室を出て、そのままリビングを通り抜ける。玄関から出れば、庵の周囲だけが切り取られたように森の中に浮いていた。
少し小高くなっていて、木々もまるで避けるように茂っている。
これぞ魔女の隠れ家といった雰囲気だ。
軽く周囲を見渡し、井戸へと歩く。
「手押しのポンプ、ね……この世界の文明レベルって、どれくらいなんだろう」
僕は大きなレバーに両手をかけ、全体重を使って水を汲み上げる。
全員がそうではないにしろ、この世界の人たちは魔法を使う。そっち方面に栄えている反面、文明の科学技術はまだまだ発展途上なのかもしれない。
もっとも、生半可な技術革新では、あの巨神には勝てない。
僕の時代をも凌駕する、遠い未来の超科学が生み出した殺戮兵器なのだから。
顔を洗ってさっぱりすると、僕は今後を考えつつ庵へと戻った。
「昨日はどこまで話したっけ、七凪」
「そうね、今後のことについてだけど……やっぱり、今日すぐ立ちましょう」
「……いきなりラストバトルに?」
「勿論。レベル上げをしてる時間なんてないわよ? はい、これ」
七凪は僕に、例の奇妙な剣を渡してくれた。
枝分かれした刀身は、収める鞘がないが、もともと刃がないから必要はない。腰に下げやすいように、七凪がホルスターのようなベルトを作ってくれたみたいだ。
それを腰に下げて、七凪と一緒にテーブルに座る。
用意されたお茶は、不思議な香りがしてぬくもりが心地よい。
「最後にもう一度だけ確認するわね。どうかしら、渚クン……一晩寝ても、考えは変わらない? ここでの戦いは、基本的にキミに全く関係がないことでもあるのよ?」
「もう、決めたんだ。だって、来ちゃったんだもの。七凪と戻れないのは残念だけど、君の世界はもう少し穏やかな方がいいと思ってね」
「あらあら……ちょっと見ない間に、言うようになったわね」
「それなりにね。それで、どうする? 今日ここを旅立って、勝算はあるのかい?」
七凪は不敵に笑って頷いた。
こういうとこは、仕草から雰囲気までなにもかもが以前と同じだ。
彼女は両手にぬくもりを閉じ込めるようにして、湯気のくゆるカップを口元へ運ぶ。そうして、ゆっくりと一口飲んでから話を続けた。
「バルトルノルヴァにとって、私は天敵。だからこそ、あれからずっと私との対峙を避けてきた。でも……いつからか、その立場は逆転してしまったの」
「……七凪が老いて、その力が弱まったから?」
「正解。今では逆に、バルトルノルヴァは私を殺したがってる。今なら、勝てるから」
「じゃあ、七凪が森を出るのは危険なんじゃないかな」
「そうでもしないと、バルトルノルヴァをおびき出せないでしょう? それに」
テーブルにカップを置くと、七凪は顔の深いシワをさらに深くして笑う。
「そこそこ守ってもらえるんでしょう? 転生勇者さん」
「死んだ訳じゃないから、転生はしてないけどね。でも、死ぬ気で守るよ。必ず守る」
「ふふ、殺し文句ね。でも、悪い気はしないわ。凄く、嬉しい」
七凪の作戦はこうだ。
今から、フィーナと共にエルフの都に行く。旅路は、急げば一昼夜という距離らしい。因みに魔女だからといって、空飛ぶ絨毯や移動魔法なんかは期待してはいけないようだ。
そういえば、何故七凪は魔女を名乗っているのだろう?
染まらずの魔女なんて、今の七凪には全然似合わない。
でも、確かにちょっと思う……僕色には染まらない人なんだろうな。
時間が食い違ってしまって、残酷な老いが彼女の美しさを完成させてしまった。非の打ち所がない完成品には、もう色を加えることができない。
「その剣が……七鍵刀が切り札よ。その力は、ゲートキーパーと同種で、それ以上。時間は勿論、空間さえも操りゲートを開く神器なの」
「そ、そうなんだ。なんでそんな凄いものを、あの社へ?」
「あの時、バルトルノルヴァを倒したと思ったわ。ただ、そのあとあの世界で……渚クンの世界でやることができた。やりたいことができたから、いらなくなったのね」
七凪は、かつて自分が使っていた七鍵刀の力を語った。
それは、いわゆる転移を操る能力である。そして、ここからが重要なのだが……七鍵刀の力は、使用する者だけでなく、その攻撃対象にも作用するらしい。
簡単に言うと、バルトルノルヴァの転移を封じることができる。
それで昨夜、光り始めた七鍵刀を見てバルトルノルヴァはうろたえたのだ。
「ね、言ったでしょう? 伝説の勇者の剣だって。以前は、超絶美少女勇者が使ってたんだから」
「自分で言うんだもんなあ……それで? まずはこれでバルトルノルヴァの逃亡を封じるとして、さ。ゲートキーパーの物理的な戦闘能力はどうするの?」
「それについては大丈夫。奥の手があるのよ? それに、助っ人だっているわ」
「え、そうなの?」
驚きだ。
そして、当然のように七凪はその先を教えてくれない。
ただ、彼女はバルトルノルヴァが絶対に自分を殺したいと思ってる、そう確信していると語った。どうやら二人の因縁は、もの凄く複雑なものらしい。
「もう気付いていると思うけど、渚クン。私、ずっとバルトルノルヴァを追っていたの。何度も戦ったし、色んな異世界で彼の野望を粉砕してきた。最後には、完全に倒せたと思ったんだけど……」
「奴は生きていた。あの、僕の故郷じゃない方のまほろば市で」
「そう。フィーナ様が飛ばされたのは恐らく、昨夜と同じ……バルトルノルヴァに襲われ、この世界から放り出されたのね。殺して死体を作るより、手っ取り早いもの」
「でも、七鍵刀でそれを封じれば……あとは単純な戦い、強い方が勝つ」
「もう終わりにしなきゃね。彼が何故、永遠にも等しいループを生きていられるか、私にも心当たりはあるし」
ふと、僕は不思議になった。
この世界で、悪の錬金術師と染まらずの魔女にいったいなにがあったのだろうか?
聞いてみようとも思ったが、知るのが怖い気もした。
なんにせよ、奴を倒してそれで終わりだ。
七凪とはそういう形を、極めてビターエンドに近いハッピーエンドをよしとしなければいけない。その覚悟はまだまだ揺らいでるけど、それでも迷わないつもりだ。
不意に凛とした声が響いたのは、そんな時だった。
「話は聞かせてもらった! いざ、ゆかん……決戦の時は今、だな!」
ようやくお目覚めのフィーナが、たわわな胸を揺らしてふんぞりかえっていた。
まだ、全裸だった。
僕はもう、声をあげることすらできずに震えて指をさすしかできない。
すかさず七凪が、そっと両手で僕の目を覆った。
「すぐ出立しよう! バルトルノルヴァと巨神を倒し、この世界に平和を!」
「元気がよろしいこと。とりあえずフィーナ様、お召し物を。それと、顔を洗って朝餉といたしましょう。腹が減っては戦はできぬ、ですね」
七凪は早速、竈に再び火を起こし始めた。
そこまできてようやく、フィーナは自分が全裸であることに気付いたらしい。以前は、身分が違うから恥じ入ることなどないと言っていたが……今の彼女は、真っ赤になってそのまま寝室へと引っ込んでしまうのだった。
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