Act.07 イセカイ系な彼氏彼女
染まらずの魔女との、再会
僕は、驚いた。
目の前に、あの七凪がいた。
真っ白な髪が、まるで地上の月のように輝いていた。
でも、どうして七凪だとすぐ気付かなかったのだろう?
その理由が、よりはっきりと鮮明に僕の中に刻み込まれた。
「ふふ、驚きましたか? 六十九年と十ヶ月、二十六日ぶりね。……まあ、こちらの世界は暦や一日の長さが微妙に違うのだけど」
「あ、ああ……七凪、だよな?」
「ええ、あなたの七凪……というには、少し時間が経ち過ぎました。……賞味期限切れ? ですね」
すらりとした長身は、以前に比べて痩せ細っていた。
顔の見える距離に近付いてきた彼女は、確かにそれだけの年月を重ねてきたのだとはっきりわかった。シワの刻まれた細面は少しやつれていたけど、静かに笑っている。
その涼やかな笑みだけは、あの日と変わらない七凪がそこにはいた。
僕が七凪に助けられ、まほろば市から再びこの世界に来るまで、僅か数時間。
その間に七凪は、半世紀以上の時を過ごしていたのだった。
「驚きましたか? 渚クン」
「……驚いた。けど、よかった……因みに確認だけど、いつの七凪? どこの七凪かな」
「いつのも、どこのも、私はこの世に一人ですよ? ふふ」
「バルトルノルヴァも、自分がそうだと言ってた。その辺の事情も知りたいけど、まず」
僕は背後を振り返った。
そこには、呆然と立ち尽くすフィーナの姿があった。
無理もない……世界を滅ぼす巨神を前にして、命を拾ったのだから。
僕だって意味がわからない。
けど、七凪はそんなフィーナの肩を優しく抱く。
「フィーナさん……いえ、フィーナ様。ご立派になられましたね。覚えていらっしゃいますか? 私は魔女、染まらずの魔女です」
「あ、ああ……ええと、確か……あ!」
「思い出されたようですね」
「小さい頃、母様の病気のために薬草を……あの時の!」
「ええ。怖い思いをされましたね。相変わらず無茶をなさいます」
七凪は、以前とは違っていた。
嫌じゃないけど、少し寂しい。
綺麗に枯れた老婆になっちゃって、でも枯れたからこその美しさを放っている。いつもの飄々とした、颯爽とした雰囲気はもうない。落ち着いた優しさで、今もフィーナを慰めていた。
そして、彼女の頭を撫でながら再び僕を見詰めてくる。
「渚クン、それ……よく見つけましたね」
彼女の視線は、僕の右手に吸い込まれていた。
僕はまだ、あの妙な剣を固く握り締めていた。
「あ、ああ、これは……ほら、あのゲートになってる社から出てきて」
「ええ、知ってます。私がしまっておいたんですもの」
「……へ?」
「それ、私が使っていたものよ?」
そう、だったのか。
僕はまず、当然の疑問を彼女にぶつけてみた。
「こ、これ、なに? なんなんだよ」
「えっと、そうですね……伝説の勇者の剣? 名は、
「それ、自分が勇者だって言ってるようなもんじゃないか。君のものなんだろ?」
「そうね。だから、伝説の勇者の剣。まあ、私は魔女なんだけど」
この人を喰ったような話し方、間違いない……あの七凪だ。
しわくちゃのお婆ちゃんになってしまってるが、七凪だった。
それがわかったら、とても嬉しくなってしまった。
彼女から見たらもう、僕なんか孫かひ孫だ。
でも、僕の前には確かに、あの七凪がいた。
彼女はフィーナを幼子のように落ち着かせつつ、話を続ける。
「それは、そうね……端的に言えば、先程の巨神と同じよ」
「え……それって、つまり」
「ゲートキーパーというのは、汎人類共同体が使用するタイムマシンのことだけど……その剣も、機能は同じ。あの社のゲートを安定化させていたのも、剣の力なのよ」
慌てて僕は、剣を見下ろす。
もう、なんの変哲もないただの棒切れになってしまってる。
信じられない……こんなものが、あのゲートキーパーと同等だって?
だが、僕はもうその力を一度使ってしまった。実際に、社から飛び出てきたこの剣を使って、異世界に転移してきたのだ。
驚きに固まる僕を見て、クスリと七凪は笑った。
「とりあえず、私の庵に来て頂戴。すぐそこなのだけど……なんだか騒がしかったので、珍しく出てきてしまったわ。さ、フィーナ様も」
「その前に……染まらずの魔女。頼みが、ある」
「フィーナ様、それは」
「まずは、この者たちを埋葬してやりたい。その上で、頼むっ! さっきの巨神を倒してくれ! この世界を……救ってくれ!」
それは、血が滲むような叫びだった。
静かな夜の森に、フィーナの声が響き渡る。
彼女は七凪から離れると、頭を下げた。
「この通りだ! 人間の国も、ドワーフの国も、ホビットの国も! ……滅びつつある。私たちエルフもだ。皆で手を結んで戦ったが、巨神を使うバルトルノルヴァ一人に、全く歯が立たないんだ」
無理もない……魔法が使える万の大群が、魔力で鍛えた武具に身を固めていたとしても、だ。遠未来の科学力が生み出したゲートキーパーの力は、その全てを軽く凌駕するのだろう。
それでも、きっとフィーナたちは勇敢に戦った。
そして、徹底的に打ちのめされたんだ。
彼女は、母が恋しい時分の、子供の頃からそれを見てきたのだ。
ん? 待てよ? ちょっと待て!
あれから七十年が過ぎてるんだぞ?
バルトルノルヴァは、何歳だ?
七凪と過去に戦い、その後まほろば市に潜伏して……いったい、何年生きているんだ?
僕は考えをまとめようとして、ふと気付く。
顔を上げると、七凪が静かに僕を見詰めていた。
「とりあえず、今夜はお疲れでしょう。さ、ゆっくり休んで……渚クン、ちょっといいかしら? このあたりだと、そうね……やっぱりこの辺に埋めてあげるのがいいかも。手伝ってもらえるかしら?」
「ああ、僕は構わない……けど」
「それと、巨神だけど……私、見ての通りのお婆ちゃんなのよ? それだけの力があるかどうか」
まだ、フィーナは頭を下げ続けている。
その握った両の拳が、震えていた。
もう、この世界の人たちは恐らく、諦め始めているのだろう。敗北主義という病魔が、世界を覆いつつあるのだ。
だから、フィーナは一縷の望みを七凪に託した。
託そうとしてここまできたのだ。
僕は、がらにもないことを口にしてしまう。
「七凪が戦わなくてもいい。七凪の分まで僕が戦う」
「あら、まあ」
「僕は、七凪に会いたくてここまで来た。よく考えてみたら、もうその願いというか……まあ、目的は達成されたよ」
「がっかりしちゃったでしょう? ……あの時、バルトルノルヴァを倒し損ねて。あの男も、そう何度も同じ失敗はしない。私からだけは小狡く小賢しく逃げ続けてるの」
「まあ、正直びっくりしたし……ちょっとだけ、がっかりもしたけどね」
でも、今も綺麗だと思う。
それは言葉に出さなかったけど。
七凪は、プゥ! と頬を膨らませて、抗議の視線を突き立ててくる。その鋭い眼差しに貫かれながらも、僕は言葉を続けた。
「七凪に、会いに来た。そして、会えた。あとは僕が自分で選ぶ。君が戦えないなら、僕が戦う。ほ、ほら、伝説の勇者の剣、だっけ? これもあるしさ」
七凪は呆れたように溜息を零したが、やっぱり笑った。
そして、切実さを発散するフィーナに向き直った。
「フィーナ様、こちらの者が……渚クンがバルトルノルヴァと戦うそうです。でも、ちょっと無理だと思うので……ふふ。私も少し、側でお手伝いをさせてもらうことにしましょう」
「そ、それでは!」
「魔女なんて大層なこと言われても、私はもうただの年寄り。でも、新しい勇者を導くのって……魔女の最後の仕事としては、いいかもしれないわね」
最後のなんて、言うなよ。
でも、七凪が言うならそうなんだろう。
ここは彼女の生まれ育った世界で、それを守って最後にする。
だって、お婆ちゃんになっちゃったから、もうまほろば市には戻れない。
学校にも通えないし、あの異世界部にもいられないんだ。
「なあ、七凪。僕は」
「駄目よ? 駄目、それは駄目」
「まだなにも言ってないよ」
「転生勇者は、異世界を救ったら……元の世界に戻るのが一番のハッピーエンドだもの」
七凪は、この世界で一緒にいたいと言わせてくれなかった。
不思議ともう、僕は元の世界への執着を忘れていた。
元の世界……それは、僕が本当にいた世界。鎮守ノ森公園があって、そこから広がった炎でまほろば市は焦土と化した。
それでも、僕の生まれ育ったふるさとだ。
僕が生きて、平凡でも生き抜いて、静かに生き終える場所だったと思う。
それが、知らぬ間に僕は異世界にいて、さらなる異世界に来た。
「せめてさ、七凪……君を看取ってから帰るのじゃ、駄目かなあ」
「だーめ。私、健康そのものだし。多分、あと十年は生きるわ。魔女ですもの。でも、その十年を渚クンは取り返せない。取り返しのつかないことになるもの」
でも「嬉しいわ」と言って、やっぱり七凪は笑った。
僕は、決めた。
少し遅かったけど、遅過ぎはしない。
僕はこれから、この異世界で勇者になる。
勇気は多分、七凪がくれると信じて疑わなかった。
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