転移は突然、コズミックに
一度アパートに戻って、シャワーを浴びて着替えた。洗濯された新しいシャツに袖を通すと、少しだけ冷静になれた気がした。
もう、右手の包帯は必要ない。久々に直視した古傷は、僕の記憶よりずっと小さくて、既に薄れていたのだった。
そして今、三度あの場所へと僕は訪れている。
ショッピングモールの営業は八時までで、すぐに周囲が閑散とするあたりが田舎と言えば田舎だ。普段は閉鎖される、例の立体駐車場も今日は黄色いテープだけ。
僕は周囲を確認してから、真夜中の旅立ちを開始した。
勿論、今はエレベーターも止まっているので、歩いて登るしかない。
「待ってろ、七凪……二度も助けられて、そのまま終わる僕じゃないからな」
当たり前だが、停められている車は一台もない。
がらんとした空間に連なるスロープを、僕は迷わず進む。
目指すは、あの社だ。
「今やこの世界には、異物は僕一人……待ってろよ!」
だが、不安はある。
逆に、確信は全く持てない。
この世界にも、鎮守ノ森にあった社がある。それがゲートだと、たしかに七凪は言った。ならば必定、鎮守ノ森の社を通して、僕はこの世界へ来たことになる。
今は、元の世界へ戻りたくはない。
中途半端なままでは、戻れないから。
「結構、手酷くやられてるな」
急いで登ったからか、少し息が切れた。
でも、最上階に到達すると記憶が蘇る。
散乱した瓦礫と、警察の黄色いテープ。
天井に空いた大穴からは、土砂降りの雨が降り注いでいた。
確かに今日、ここで僕は七凪と一緒に異世界へ転移した。
そして、一人だけ戻ってきてしまった。
「……よし、行こう」
僕は意を決して、奥へと進む。
そこには、いつもと変わらぬ社が鎮座していた。
どうやら被害は免れたようで、壊れた様子はない。そして、こんな時でも神仏の類が放つ、独特の清涼感に満ちていた。
厳粛な空気、とでも言うのだろうな?
自然と身を正して、僕は社の前に立つ。
「ええと……ど、どうすればゲートが開くんだろう?」
当たり前だが、僕には魔法は使えない。以前、フィーナがやったように、魔法でアクセスすることはできないのだ。そして、魔法ですらこの社はなんの反応も示さなかった。
正直、僕にもどうしていいかはわからない。
ただ、思いつくままに柏手を打って、静かに手を合わせてみた。
雨の音以外、なにも聴こえない静寂。
全く変化は訪れないし、沈黙に僕は耐えられなくなる。
「くっ、駄目か! ……はぁ、信仰心とかそういうのが足りないのかなあ」
見たところ、小さな鳥居があるから神道の系列な気がする。だが、八百万の神々なんて僕は数える程しか知らない。
まして、日頃から神様に対して敬意を払ってこなかった。
せいぜい、試験の前の晩に神頼みするくらいである。
今になって、頼ろうなんて虫が良すぎたのかも知れない。
もとより無策だったが、勢いでなんとかなると僕は思っていた。それは間違いだった訳だが、まだ他に手があるような気がしてならない。
「まだだ……まだ、諦められない! なにか手がある筈だ……なにかある。なければ、作る。どうにかしなきゃ」
僕は、苛立ちを胸の奥に押し殺す。
そうして、社の前を行ったり来たりしながら黙考に沈んだ。考えるのをやめては駄目だ。例えなんの手立てもなくとも、ないなら生み出すくらいの気概を奮い立たせる。
だが、いたずらに時間だけが過ぎていった。
厨二病な痛い奴を演じるために、魔法やファンタジーに関する知識は少しある。
そうしたものが、今は全く役に立たないということだけはわかった。
「あーくそっ! どうすればいいんだ!」
僕はポケットに両手を突っ込み、その場をぐるぐると回る。
その時、右手がなにかに触れた。
入れた覚えもないのに、ポケットの中になにかがあある。
取り出してみると、それは小さなメモ用紙だった。
「なんだ……? 記憶にないな。……なにかが書いてある」
妙にギャルギャルしい丸文字で、見覚えはない。
だが、そこには驚くべきことが書かれていた。
「やっほー、渚! あたしだよー? ……なんだ、愛生か」
なるほど、部室を出る前に愛生がメモを入れといてくれたのか。
いや? 違うぞ、待て待て……それはおかしい。
僕は一度帰宅し、シャワーを浴びて着替えている。
昼の服はもう、洗濯機の中だ。
じゃあ、どうやって?
だが、僕はとりあえず内容を読み進める。
「ええと、なになに……ふふふ、お困りですね? そう思って、魔法の言葉を用意しておきました。愛生ちゃん、エライッ! ……なんのこっちゃ」
だけど、妙な文字の羅列がひらがなで綴ってある。
これぞまさに、魔法の呪文っって感じのやつだ。
そういえば、愛生も謎の人物だ。隣のクラスの同学年で、不思議と七凪とは意気投合している。異世界部のメンバーで、どこか得体のしれない少女だ。
でも、明るくて元気ないい奴であることに変わりはない。
「えっと、なになに……ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるふ るるいえ うが=なぐる ふたぐん ……なんのこっちゃ?」
その瞬間だった。
突然、社がほのかに光り始めた。
周囲の空気が、ビリビリと震え出す。
バン! と社の扉が左右に開き、そこから光の奔流が解き放たれた。
同時に、なにかが僕に向かって突き立てられる。
ほんのりと見えたシルエットは、炎。
そう、まるで燃え盛る炎のようななにかを僕は掴んだ。
そして、意識が不意に薄れてゆくのだった。
気がつくと僕は、暗闇の中にいた。
なにも見えない。
本当の暗黒とは、こういうものだろうか? 酷く心細くて、凍えるように冷たい。それでも、徐々に目が周囲に慣れてくる。
僅かな星明りが、徐々に視界を広げてくれた。
「ここは……森? 夜の森だ……ってことは、また異世界に来た!?」
僕は飛び起きた。
すかさず周囲を警戒して、自然と手にしたものを身構える。
そう、僕は右手になにかを握っていた。
それはどう見ても、剣だ。
それも、奇妙な形をした剣である。
「なんだこれ……いつのまに? あ、ああ、さっき社から……えっと、御神体的なものなんだろうか。いいのかなあ、持ってきちゃって」
見た目には剣なのだが、刃がついていない。そして、刀身は右に三つ、左に三つ、互い違いに枝分かれ手している。漫画かなにかで見た、儀式に使う祭器の類だ。
だが、剣には変わりはない。
武術の経験は全く無いが、この危険な森では不思議と心強い。
「よし、ここがあの森なら、七凪に会えるかもしれない。問題は……同じ異世界かどうか。そして同じ時代かどうかだ」
月のない夜、湿気に入り交じる音は生命の響き。
虫が歌い鳥が鳴いて、時には獣の咆吼も聴こえる。
孤立無援で、以前のような肉食の大型原生動物に遭遇すれば、アウトだ。
周囲に気を配りつつ、僕はゆっくりと森を歩き出した。
こういう時はまず、安全な場所を探す。
そして、夜が明けるのを待つしかない。
下手に動いて遭難すれば、この世界にわざわざ戻ってきた意味がないのだから。
「洞窟かなにかがあれば……木の上とかも安全かもだけど、登る自信はないな。って、なんだ? なにか、声が……光が」
微かに、人の声がした。
それが大声で叫ばれていると知れば、距離がまだある。しかし、大勢の人間が光を手に、なにかを探している気配があった。
僕は自然と、木陰に屈んで身を隠す。
しばらくすると、目の前を武装した大勢の大人たちが通り過ぎていった。
「フィーナ様! どこにおわす! フィーナ様!」
「ええい、一人で魔女の森に出向くなど……相変わらずお転婆で困ったものじゃ」
「まだ、そう遠くまでは行ってない筈だ。急ぐぞ!」
「まったく……七十年前を思い出しますな。幼き頃のフィーナ様は薬草を取りに」
「あの時は助かった、しかし今回は」
どうやら、集団はエルフの兵士たちのようだ。男性でもやはり、露出度が高い。それは鎧なのか、防具としてどうなの? ってくらいに肌が顕だ。
彼らは、フィーナを探しているらしい。
あの時、幼いフィーナと出会ったのが……七十年前?
ってことは、ええと、ここは子供の頃のフィーナと会った世界ということか?
大勢の男たちが行ってしまうと、僕は再び行動を開始するのだった。
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