Act.06 のぞけ、異世界

修正されつつある世界

 どこか遠くで、サイレンが聴こえる。

 それが徐々に近付いてくる。

 僕は、不規則に揺れる中でその音を聴いていた。

 人の声も聴こえる、なにかを叫んでいる。

 知ってる人たちの声だと気付いて、僕はようやく目を開いた。


「あ、あれ……僕は……?」


 僕は、誰かに背負われ運ばれていた。

 揺れる赤髪が、すぐにフィーナだと教えてくれた。彼女は今、必死で僕を背負って走っている。すぐ隣にはエミルも一緒だ。

 擦れ違う誰もが気に留めないのは、フィーナの魔法が効いてるから……では、ない。

 少し振り向くと、遠ざかるショッピングモールから黒煙があがっていた。

 記憶が整理できずにいると、エミルが話しかけてくる。


「気が付きましたか、渚」

「あ、うん……僕は、落ちて、助かった? ここは……まほろば市」

「記憶の混濁があるようですが、わたしたちから見た全てをお話します」


 フィーナがなにか言いたげだったが、結局口を開くことはなかった。僕たちはどうやら、大騒ぎな例の立体駐車場から離れようとしている。行き交う人々は皆、口々に火事だ事故だと慌てた様子だった。

 そんな中で、ぼんやりと思い出される。

 あの小さなフィーナは、無事に母親を助けられただろうか。

 それより、七凪……バルトルノルヴァと対峙した彼女は、どうなった?

 彼女はミステリアスな強さに満ちているが、一人の普通の女の子でもある。イセカイ系だからって、世界の全てを背負って戦うのは無理な気がした。


「落ち着いて聞いてください、渚。先程目撃したあれが……わたしの探していたゲートキーパーです」

「……巨大、ロボット?」

「はい。あらゆる時代でのミッションを想定して、人型機動兵器としての側面を持っています。それは、この時代では危険なオーパーツと言えるでしょう」

「それが……フィーナの言ってた、巨神だった」


 フィーナが無言で頷く。

 その頃にはもう、僕たちは人気のない路地へと逃げ込んでいた。

 ようやく、そっとフィーナは僕を降ろしてくれる。


「立てるか? 渚」

「あ、うん……平気、ッ!?」

「無理じゃないか、まったく。それで? なにがあったのだ」

「なにが、って」


 そこで僕は、驚愕の真実を告げられた。

 驚きに思わず、耳を疑う。


「渚、お前は巨神に奪われた七凪を追って……そして、光の中から弾き出されたんだ」

「……え? ま、待って、フィーナ。僕は少なくとも、数時間は」

「一瞬の出来事だった。光が去って、巨神も消えた。あれが、エミルの探していたゲートキーパーなるものだとはな」

「待ってよ! 僕は確かに、異世界へ……君の世界に飛ばされたんだ! そこで七凪と、幼い頃のフィーナと会った! お、覚えていない? 子供の頃、魔女の森で」


 フィーナははっとして、目を丸くした。

 明らかに心当たりがある、そんな顔だった。


「何故、お前がそのことを知っている。……幼い頃、魔女が住むといわれる森に私は赴いた。薬草を探してな。そこで確かに、魔女に会った、気がする」

「それ! それだよ!」

「噂の魔女は、確かに森にいた。後年、巨神のもたらす災厄に万策尽きた私たちは、森の魔女にすがろうと……そして私は再度森に出向いたが」

「なにかあって、ここに……まほろば市に来ていた?」


 フィーナは頷く。

 話が繋がっているが、肝心の七凪の名前がフィーナから出てこない。

 どういうことだ?

 僕が先程のできごとを話すと、彼女は再び驚きに絶句する。


「森の魔女が……七凪、だと?」

「七凪はフィーナさんと同じ世界の人間なんだ。染まらずの魔女……そう呼ばれてた」


 いや、自ら名乗ったのか?

 少なくとも、あのバルトルノルヴァはそう呼んでいた。彼が異端の錬金術師で、太古の昔、今はおとぎ話になった神話の力を渇望していたのだ。それは、人智を超えた暴力の化身、伝説の巨神。その正体は、エミルの時代のゲートキーパーだ。

 バルトルノルヴァに関しては、フィーナも知っていたようである。


「バルトルノルヴァは、私たちエルフの国をも滅ぼそうとした。もう何十年も、やつは世界各地で巨神の力を使っている」

「巨神についてもう少し聞かせて、フィーナ」

「私の世界にある、古い神話だ。かつては巨神の時代があり、それを人間が終わらせたことになっている。私たちエルフは、ホビットやドワーフと共に、人間へ協力したのだ」


 複数の世界と時代が交錯している。

 エミルは手首に装着した端末を操作しつつ、周囲に光のウィンドウを浮かべた。それぞれに数字が無数に流れて、開いては閉じ、大小様々に瞬いている。


「わたしが検索した限りでは、汎人類共同体で別の時代に置き去られたゲートキーパーの記録は多くはありません」

「……ゼロじゃないんだ?」

「プロテクトが掛かっていて、わたしの権限では閲覧できないんです」

「そ、そうか……駄目だ、肝心なところで上手く全てが繋がらない」


 そもそも論として、この一連の事件はどこが始まりなのだろう?

 まるで、鶏が先か卵が先かを論じているようだ。

 フィーナの時系列では、巨神の時代が終わって、人間たちが栄え、エルフたちも共存している。そのエルフの皇族であるフィーナは、幼い頃に僕と七凪に会っているのだ。そしてその頃にはもう、バルトルノルヴァによる巨神を使った動乱が始まっていた。

 その巨神とは、エミルのゲートキーパーだ。

 エミルはこの時代のまほろば市になにかがあって、派遣された。

 そして、この時代で不慮の事故により、ゲートキーパーを失ってしまった。

 時系列に並べてみても、なかなか整理できない。当然だ、ソートするための時間軸を、別の世界ごと飛び越えたり逆流したりしているからだ。


「とにかく、一度僕の部屋に戻りましょう。……あれ? 愛生は?」

「占いの魔法陣へ材料を提供してくれたが、そういえば」

「まだ、学校の方にいるのでしょうか。なにか部室で事件が発生したと言ってましたが」


 すぐに僕は、スマートフォンを取り出す。

 連絡を試みようとしたが、LINEもメールも繋がらない。手っ取り早く電話してみると、愛生は電波の届かないところにいるようだった。

 割と普段から電波な言動なのに、こういう時に限って!

 僕は、妙な胸騒ぎを感じてスマートフォンをしまう。

 そうして顔を上げた、その時だった。


「え……ちょ、ちょっと、フィーナさん! 光ってます……身体から、光が」


 フィーナの身体が、ほのかな光に包まれていた。

 彼女自身が光になっていくような、そんな状態だ。

 彼女も自分で両手を見て、溶け消えるような己の輪郭に目を瞠る。だが、不意に目元を緩めて彼女は笑った。

 妙に優しく、全てを諦めたような笑顔だった。


「よくわからないが、私は消える、のか? どうして……だが、いい。少なくとも、私はあの巨神の正体を知った。ならばあとは、渚とエミルに任せても大丈夫だろう」

「待ってよ、そんな……これ、どうなってるんだ!? こんな時、七凪がいてくれれば」

「いいんだ。不思議と恐怖は感じない。……渚、ありがとう。あとで七凪にも礼を言っておいてくれ。そうか……幼きあの時、私を助けてくれた魔女は……ふふ、そうだったか」


 やがて、フィーナは消えてしまった。

 僕が貸したジャージごと、まるでいなかったかのように消滅してしまったのだ。ありえない……ここ最近、ずっと不可思議なことばかりが起こっていた。でも、今は急激にその全てが去っていこうとしている。唐突に、まるで奪われてゆくように。

 慌てて振り返れば、エミルも同じ光に包まれていた。


「エミルさんっ、君まで!」

「……なるほど、これが七凪の言っていた現象か。言うなれば、強制力」

「強制力!?」

「わたしがこの時代への干渉、ゲートキーパーの情報開示を控えたのもこのためだ。恐らく、汎人類共同体はこうなることを知っていて、特務監察官に多くの制約を与えたのだろう」


 そういえば、以前に七凪が話してたような気がする。

 異世界同士、そして過去と未来、現在は、それぞれが『正常な世界のありかた』を自ら維持しているという。そこに異物が混入し、秩序が乱れると……それぞれが個々に強制的な修正を行うことがあるらしい。

 このまほろば市は今、強制的にフィーナとエミルを排除しようとしているんだ。

 今更になって、何故?

 だが、その答には心当たりがある。


「……ゲートキーパーだ。エミルの探してたゲートキーパーは、バルトルノルヴァによって持ち去られた。この世界から消えたんだ」

「肯定。つまり、今この瞬間が強制力の介入する絶好のタイミングだということでしょう。一番の異物が取り除かれた段階で、それに付随しているわたしやフィーナを」

「そんな、待ってよ! これじゃ、なんの解決にもなっていな!」


 そう、肝心の七凪がこの世界からいなくなってしまった。

 だが、この世界自身の自浄作用から見ると、七凪もまた異物……異世界から来た人間なのだ。だからむしろ、この世界には七凪がいない状態が正常なんだ。

 でも、妙だ。

 今になってとも思うし、なにより僕はここにいる。


「僕だって、この異世界に迷い込んだ異世界人だ。ここは僕のまほろば市じゃない! だったら……待って、エミル。まだ!」

「わたしが元の世界に戻った時、ゲートキーパーは失われたままでしょう。いえ、この強制力の力は、単純にわたしを元の時代に戻す訳ではないかもしれません」


 相変わらずの無表情を、僅かにエミルは和らげた。

 それが、彼女の最後の感情表現になった。

 笑おうとした、そういう空気を残してエミルも消え去った。

 僕はその場で、茫然自失のまま地面に崩れ落ちる。

 やがて、夕暮れ時の空には暗雲が垂れこめ、ぽたりと雫が落ちた。あっという間に雨模様になったが、寒さの中で僕はぴくりとも動けなかった。

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