繋がる異世界から、僕はどこへと行くのだろう

 僕は、思い出した。

 この世界に飛ばされる直前の、あの立体駐車場でのことを。僕が違和感を感じながらも、平和で平凡な高校生活を享受していた世界。僕にとっての異世界は、敵意や害意とは無縁だった。

 そこは、僕には知らない街。

 知ってる街とは違う場所。

 そのことをアチコチ転校した先では、さんざん話して訴えてきた。それが孤立を呼び、慣れてくると自分からそれを望んだ。

 それでも、九年ぶりの帰郷は僕に騒がしくも楽しい日々を与えてくれた。

 それが、音を立てて崩れた瞬間を思い出したのだ。


「なっ……あれは!? クッ、まさか」


 僕は急いで、崖を登り始める。

 だが、降りるのに時間がかかったから、勿論登るのにはもっと時間がかかる。重力はいつだって、僕を眼下の絶景へと吸い込もうとしていた。

 それでも、全身の筋肉がパンパンになる感覚に逆らう。

 叫ばれた声は、嘲りの笑いとなって僕の耳に刺さった。


「ハーッハッハッハ! やはり転移に巻き込まれていたなあ? 見つけたぞ……染まらずの魔女!」


 そう、年老いた男の声だ。

 老いて尚、狂気を孕んだ危険な夢に酔いしれている。先程会った時に比べて、勝ち誇った陶酔感がはっきりと感じられた。

 僕は這うように絶壁を登りつつ、その名を思い出して奥歯を噛む。


「この声は……バルトルノルヴァ! 七凪、逃げて……フィーナを連れて、逃げて!」


 必死で叫んだつもりだった。

 絶叫の筈だった。

 だが、貧弱な僕はヒーヒーと熱い呼吸を刻むだけで、実際には声を出せていなかったみたいだ。当然、上には届いていない。

 でも、はっきりと聴こえた。

 メカニカルな無数のノイズと、重金属が擦れ合うような音。

 ありとあらゆる家電が、金属的に響き合うような激しいノイズだ。

 そんな中でも、子供特有の高い声はフィーナだった。


「あ、ああ……巨神。伝説にある、滅びの……巨神? な、何故……あれは神話、おとぎ話じゃ! あの噂は本当であったか!」


 そう、巨神。

 僕はようやく、はっきりと思い出した。

 まほろば市で出会った、成長したフィーナは言っていた。巨神によって故郷が滅びつつあると。それで、彼女は魔女に助けを乞うために森へ出向いて、そこでなにかがあった。結果的に、突然二十一世紀のまほろば市に飛ばされてしまったのだ。

 話が繋がった。

 そして、もう僕は知っている。

 バルトルノルヴァが手に入れた力、巨神の正体がはっきりと分かった。


「そうか、わかった……フィーナが、成長したフィーナが言ってた、巨神! それは」


 結論はそれしかない。

 合理的に考えれば、結果的にそうだとしか考えられないのだ。

 巨大な人の姿を象るマシーン……そう、機械だ。それは全長二十メートル程の、厳ついロボットに見えた。

 そして、それがなにかを僕はもう知っている。

 宙へと浮かんで、背には日輪のような丸い光を背負っている。張り出た肩や胸は、西洋の甲冑を思わせた。威容はまさに、鋼鉄の巨神……巨大ロボットだ。

 見上げれば、細くくびれた腹部が左右に割れる。

 どうやらコクピットのようで、見知った顔がそこから現れた。


「見つけたぞ……染まらずの魔女。ワシは今、お前を完全に捉えた! もう逃さん!」


 しゃがれて枯れた声なのに、おぞましいほどの覇気が漲っている。年甲斐もなくとか、そういうかわいげがあるレベルじゃない。老いて尚も盛んな、飽くなき欲望を感じさせる絶叫だった。

 僕は必死で崖を登るが、手を伸ばす一歩がもどかしい。

 しっかりと手応えのある命綱だけが、七凪とフィーナの無事を伝えてくる。

 だが、彼女たちがそれを手放せないということは、逃げられないということだ。

 気持ちばかりがせいて焦るが、既に僕の体力は尽きかけていた。

 そんな中でも、フィーナの声は強気な響きを残していた。


「人間の錬金術師、バルトルノルヴァ! 何故、このようなことを……人間の王国を既に、三つも滅ぼしたと聞いています! 何故そのような暴挙を」

「これはこれは、ハイエルフのお姫様……クハハッ! これは奇異なことじゃ!」

「無礼は許さないっ! 私の言葉に答えよ!」

「そうじゃな、では語ろうかのう……よもや、このような形で因果が繋がれ紡がれるとは」


 僕は理解し始めていた。

 ゲートと呼ばれる、異世界同士を繋ぐ門。それは同時に、過去と未来とをも繋げてしまう。世界と時代、そのどちらか、あるいは両方を超えて転移できるのだ。

 だからこそ、この結論に納得ができる。


「そうだ……あの巨神は、ゲートキーパー! エミルさんが探してた、未来の宇宙人が使うタイムマシンだ!」


 そうとしか思えない。

 そう定義することが自然だ。

 エミルは、遥かな未来からやってきた宇宙の民だ。彼女が、歴史の改竄という危機を取り除くために、二十一世紀のまほろば市に現れた。

 そして、なんらかの理由で移動手段のゲートキーパーを失った。

 エミルは歴史への影響を考慮し、彼女から見て過去の人間である僕たちに情報を開示しなかった。正直、ゲートキーパーを探してくれと言われても、僕たちにはタイムマシンの見た目もサイズも想像がつかなかったのだ。

 だが、今はわかる。

 誰が想像できただろうか?

 エミルが未来から乗ってきたタイムマシンは、巨大な人型のロボットだったのだ。

 フィーナの声は怯えて震えていたが、気丈にも屈服への抵抗を見せていた。


「遥かな太古、人の世は乱れ、無数の種族や人種が争いあった時代があると聞いている! お前は、そんな暗黒の時代を再び再現しようというのか!」

「そう、そうじゃ……再現ではない、再挑戦! 今度こそ、上手くやってみせようぞ! エルフの少女よ、今この瞬間、この時より遥かに数千年前……確かにワシは失敗した!」

「な、なにを……人間がそんなに長く生きられる筈がない! バルトルノルヴァ、

お前は辺境に住む錬金術師だったと聞いている!」


 僕は必死で身体を動かし、同時に脳も酷使していた。

 新しい情報が、どんどん頭に流し込まれる。

 つまり、この時代には大昔にも巨神が現れた。多分、エミルのゲートキーパーだ。それを操り災いを振りまいたのが、バルトルノルヴァ。なら、フィーナの言っていることとの整合性に齟齬が生じる。

 同時に、この時代にバルトルノルヴァは、田舎の錬金術師として実在していた。

 それが、逆巻く風の中で笑う今の彼なのだろうか?

 正直、よくわからない。

 僕はでも、この崖を登って二人を守らないと。


「いかにも……ワシはバルトルノルヴァ! 遥かな太古、人類の叡智に触れた者! その力を今、取り戻した! それが、ゲートの守護者たるこの巨神よ!」


 人類の叡智だって?

 思わず僕は、動揺して滑り落ちそうになった。慌てて手近な岩を掴んだ瞬間、指に激痛が走る。その間もずっと、命綱はそれを握る二人の力を僕に伝え続けていた。

 僕がこのままだと、七凪とフィーナが逃げられない。

 二人は命綱を握って保持したまま、この場を動けないのだから。


「クッ、七凪! 聴こえているか、七凪! フィーナに言って、命綱を放せ!」


 僕は必死で叫んだ。

 自分でもびっくりするほど、大きな声が出た。

 その叫びが荒れ狂う風の中に消えてゆく。

 逃げろ、逃げてくれ……僕のことなんか見捨ててくれ。

 だが、そう思う間もフィーナとバルトルノルヴァの応酬は続いてゆく。肉体の疲労が、極限の消耗を強いてくる中で……不思議と脳裏に鮮明な思考を浮かび上がらせる。

 そして、不意に僕の中に七凪の声が入ってきた。


「また、同じことを繰り返すんですね。いえ、繰り返させてしまった。私の責任です」


 こんな時でも、七凪の声は透き通ってる。

 本当に、清水のように澄み渡っている。

 恐れず、動じず、相手の色に染まらない。白い髪に白い肌、白無垢の彼女を見れば儚さを感じるのに。七凪は見た目を裏切る強い意思で、あらゆる侵食と侵略を拒絶する。

 酷く通りがよくて、真っ直ぐな声だけは普段と変わらなかった。


「バルトルノルヴァ。私が倒し損ねた妄念。この期に及んでまだ、歴史に干渉しますか?」

「おお、その声は……当然である! 見よ、これが科学! 人の知恵、知識! 万物の霊長と湛えられた人の集大成! 今、神話が過去になる。神話の全てが、現実になることによって!」

「あなたが優れた錬金術師だったことも、その力が不当に虐げられたことも認めます。私は、見ていました。あなたは知り過ぎて、わかり過ぎた。時の流れが生み出すよりも早く、栄光に満ちた可能性を選び終えてしまった」


 まるで、七凪の声は懺悔のようだ。

 その声が僕を、本来あるはずのない力で引っ張り上げる。気付けば僕は、限界を超えた力で無心に崖を登っていた。でも……最後の最後で、決定的な瞬間が訪れる。


「あなたは昔からそうでしたね、バルトルノルヴァ。知り過ぎた罪とは言いません。それでも、その未来を手にするのは、未来の人類です。あなたは、輝かしい発展を確信した時……それを自分だけのものにしようとした」

「なにが悪いっ! いつだって歴史は、一人の勇気ある行動で前進してきた! ワシには、見知った全てを手にして、この世界を豊かにする義務がある!」

「さ、フィーナ様……命綱はもういいでしょう。あとは私に任せて」

「無視をするな! 貴様は……本当に貴様はぁ! 昔から、ずっと、ずっとずっと! 貴様は!」


 その時、ようやく頂上に手をかけた僕を光が包む。

 それは、ついさっき……本当に数時間前、僕を包んでこの世界に招いた光だった。

 頭上のゲートキーパー、巨神は拳を引き絞っている。でも、その右手に集まる破壊の力とは別の、温かい光が僕を包んでいた。

 僕は瞬間的に叫んでいた。


「待てよ、七凪っ! 嫌だ……また僕だけしか助けないのか! それで僕が喜ぶ筈が――」


 先程、バルトルノルヴァと対峙した時、七凪は助けてくれた。自分を犠牲に、僕を守ってくれた。突飛でありえない非日常から、どうにか僕を弾き出そうとしてくれた。

 今も同じだ……でも、僕は見えない力で崖から落ちながら思った。

 またしても眩しい光が、僕を包む。

 それでも、命綱には……それを握ってくれてる七凪の気配がしっかりと感じられた気がした。

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