彼女が魔女と呼ばれた世界
僕は、努めて冷静を保とうと試みた。
鬱蒼と茂る原生林に、見たこともない獰猛な肉食獣。オマケに、助けてくれたのはハイエルフのお姫様だ。小さくなってしまったが、フィーナには確かにさっきの面影がある。
本当にここは、正真正銘の異世界だ。
いわゆる、剣と魔法のファンタジー世界ってやつだ。
だが、不思議な程に七凪は落ち着いていた。
彼女はボロボロの着衣も気にせず、跪いたままフィーナを見詰める。
「フィーナ様、どうしてこのような危険な場所へ?」
「ん? ああ、私はとある薬草を探している。……かあさまの熱が下がらなくて。皆、今夜が峠というが、私はまだ諦めてはおらぬ」
「そう、でしたか」
「しかし、お前たちもう幸運であったな。では、私は忙しい。さらばだ!」
颯爽とマントを翻して、小さなフィーナが背を向ける。
勿論だが、彼女は僕たちのことは知らない。エルフだから、まほろば市で会った姿は十年後か二十年後か、下手をすると百年後というのもありえるだろう。
そう、彼女はこのあと異世界へと転移する。
僕が知ってる、でも本物とは少し違うまほろば市へ。
呆然と去りゆく背中を眺めていたが、ふとフィーナは足を止めた。
そのまま振り返らずに、おずおずと小さな声が投げかけられる。
「と、時にお前たち……銀月草というものを、知っているだろうか? い、いや、これは独り言! 独り言だ!」
僕は思わず、七凪と顔を見合わせてしまった。
だが、こういう時に七凪は酷く意地の悪い笑みを浮かべる。
おいおいやめておきなさいって、異世界でせっかく知り合いに、知り合う前の顔見知りに会えたんだから。そもそも、この異世界に来たばかりの僕にはさっぱりだ。
なのに、七凪ときたら訳知り顔で喋り出す。
「銀月草と申しますと……万病に効く霊薬の材料ですね?」
「う、うむ! お前は知っているのか?」
「ええ、勿論」
ちょ、ちょっと、やめなさいって!
僕は思わず止めようと思ったが、立ち上がった七凪はクスリと口元に笑みを浮かべる。
ちらりと肩越しに振り返ったが、また前を見てフィーナは先程よりはっきりと言葉を選ぶ。
「ど、どのような場所に生えておるか、知っているか? も、勿論、私は熟知しているが!」
「ええと、確か……陽の当たらぬ斜面などに稀に自生していますね。今のこの日差しであれば、西はあっち側なので」
「う、うむ! 私もそう思っていたのだ! お前たちは……というか、そこの者は賢いな。共を許す! 礼は弾む故、私の薬草探しを手伝ってくれ」
多分、フィーナは知らなかったんじゃないかな。
ただ、母親を助けたくて、その一心でここまで一人でやってきたのだ。僕は七凪と頷きを交わすと、彼女との同行を快諾する。
勿論、打算もあった。
先程、謎の発光に包まれて、僕たちは異世界に飛ばされてきた。
帰れるあてがない以上、少しでも好意的な人間を作っておくにこしたことはない。ハイエルフの皇族に人脈を作っておけば、あとあと元の世界に戻る手立ても探しやすい。
それにしても……どうして七凪はそんなに異世界の薬草なんかに詳しいんだ?
「渚クン……何故、かわいくて綺麗な七凪は異世界の薬草なんかに詳しいんだ? と、考えていますね? ふふ、当然です」
「いや、自分で言っちゃうとこがホント、七凪だよなあ」
「照れますね」
「褒めてないよ? 褒めてないんだ」
でも、グイグイ前を歩くフィーナを追って、僕たちは並んで歩く。
森は静かで、時折遠くから動物の咆吼が聴こえる。他には、風にそよく枝葉と虫の声だけだ。ここは、人間の理が通じぬ大自然の真っ只中。だが、不思議と不安はない。
そして、歩を進めつつ考えを巡らせる。
自然と一つの結論が脳裏に浮かんだ。
「ここ……七凪がいた世界、だよね? そうだ、多分きっとそう」
「鋭いですね、渚クン。……私は以前、この世界にいました」
「やっぱり! つまり、地元ってことだよね?」
「ええ」
「なにか、伝手はない? 元の世界に戻る魔法……七凪はこの世界から、僕のいた世界に来た。つまり、移動手段があるってことだろう?」
「そうです。ゲートがあれば、あるいは」
「またゲートかあ」
少し落胆したが、僕は少しだけ心が軽くなった。
異世界同士を行き来することは、そんなに難しいことじゃないのかもしれない。つまりは、ゲートと呼ばれるオブジェクトを確保して、あとは条件が揃えばいいのだろう。
そうとわかれば、当面の衣食住と、二人の安全だけ考えればいい。
特に、あられもない姿の七凪をなんとかしてやらないと……本人は平然としているが、色々と目の毒だ。なんであんなに堂々としていられるのか、僕には信じられない。
「ああ、でもよかったよ」
「なにがですか? 渚クン」
「いや、だってさ……ここ、七凪の世界なんだもの。なんか、なんとかなりそうだって思ってさ。それより、さっきの――」
「その話はまた後ほど」
そっと七凪が、僕の唇に人差し指で封をした。
どうやら、バルトルノルヴァのことに関しては落ち着いてからにしたいらしい。でも、確かに今は優先順位をつけて行動したほうがいい。そして、自分たちの生存を優先すべきだ。
それでも、気になる。
あの時、立体駐車場の天井を突き破って……巨大な腕が現れた。
七凪を鷲掴みにした手の大きさから考えると、外に身長二十メートルくらいの巨人がいたとしか思えない。それも、生身ではなくゴツい金属質の手を持った巨人だ。
ん? 待てよ……どこかで、巨人の話は出てこなかったか?
思い出せないけど、どこかで……誰かが、そんなニュアンスの単語を。
ま、まあ、今はいいか。
立体駐車場の最上階には、ゲートと呼ばれる社がある。僕の元の世界の、鎮守ノ森公園にあったやつだ。それが、何らかの形であの時発動した……そう考えるのが妥当だろう。
「いやでも、ビックリしたけど……よかったよ」
「そうですか。私が無事で嬉しいんですね。ふふ……当然です」
「いや、単純に助かったことを言ってるんだけど……まあ、二人で助かってよかった」
「当然です。私があれしきのことで。でも、また渚クンを巻き込んでしまいましたね」
「また? おいおい、思わせぶりだよ、それって。ま、魔女様だからしょうがないのかな」
その時だった。
ふと目の前で、フィーナが足を止めた。
彼女は、恐る恐るといった雰囲気で振り返る。
その目には、驚きと同時に、好奇心と恐れ……畏怖と畏敬の念が見て取れた。
だが、なにも言わずに彼女は再び前を向いて歩く。
やがて視界が開けて、空が広がる。
辺りを一望する、そこは断崖絶壁で行き止まりになっていた。見渡す限りに、樹海がずっと続いている。遠くの峰々は雪化粧で、目を凝らしても被造物など全く見えない。
切り立つ崖のギリギリまで進んで、フィーナは屈むと下を覗き込んだ。
「う、うむ……草が、生えてるな。花も咲いている。……ど、どれが銀月草なのだ」
すぐに七凪が、小さなフィーナの横で屈み込む。彼女はさも当然のように、四つん這いになって崖の下へ頭を突っ込んだ。落ちやしないかとヒヤヒヤするし、形よいヒップが突き出される形になって、思わず僕は目を背ける。
そうこうしていると、彼女はあっさりと目的のものを見つけた。
「あれ、ですね」
「おお、あれか! 感謝するぞ……え、ええと……魔女、殿」
「ふふ、どういたしまして」
「やはり噂は本当だったのだな。この森には魔女が住んでいると、城下の者たちは皆言っていた。恐ろしい魔女だと聞いていたが……うむ、私にはお前が悪い魔女には見えない」
「さて、どうでしょう。とりあえず、早く薬草を」
「う、うむ! ……け、結構高いな」
「落ちたら即死ですね」
「だ、だな! うう……よ、よし、私が」
はい、そこまで。ちょっと待って。
子供にそんな危ない真似させられないよ。まあ、僕だって高校生だからまだまだ子供なんだろうけど。でも、駄目だ。自分より子供がいたら、子供な僕だって守ろうと思っていいだろう?
で、でも、落ちたら即死か……まずは命綱が必要だな。
などと思っていると、不意に七凪が立ち上がる。
彼女は、ボロ布同然になってしまった着衣を脱ぎ始める。
「フィーナ様、マントを頂戴できますか? 命綱を作りますので」
「お、おおう……そ、そうだな! だが、お前が裸になってしまう」
「慣れてますので。それに、人間の下着もエルフの装束と思えば、似たようなものですから」
ああ、この人とうとう裸になっちゃった。いや、下着はつけてるけど。それも、スポーツブラに色気のないボクサーパンツ風のものだ。しましまパンティーが、とか、シルクのレースが、とか、そういうのではない。……少し、がっかりだ。
でも、ここからは僕の出番だと思ったね。
「七凪、僕が降りる。……フッ、君にばかり活躍させてはいられないさ。ここは僕に任せてもらおう! って、なんだよ……そういう目で見るなよ」
「いえ、そのキャラ時々推してきますが、正直全然格好良くないですよ」
「面と向かって言わないでくれる!? ……はいはい、どうせ僕はぱっとしないですよ」
「そ、そんなこと! ない、です……はい、命綱。気をつけてくださいね? 死んだら殺しますからね? 怪我だけはしないでください。命綱、二人で持ってますので」
なかなかに無茶振りだが、一瞬見せた七凪の動揺が緊張感をほぐしてくれる。
僕は文字通り、命を七凪とフィーナに預けてそっと崖下へ降りた。正直、怖い。でも、女の子二人にだけ全てをやらせる訳にはいかない。
慎重に慎重を重ねて、震える自分を叱咤しながら岩場を降りる。
僅か数メートルを、僕は時間をかけて降り切った。手を伸ばせば、そこに白い花が咲いている。なるほど、銀色に光るお月様の色だ。そして、僅かに一輪だけが風に揺れていた。
「よし、採れた! あとは戻れば――!?」
急な突風が吹き荒れた。
同時に、周囲が暗くなる。それも一瞬だったが、舞い上がる風圧は僕を岩盤から引っ剥がそうとしてくる。突然嵐の中に放り込まれたみたいで、僕は思わず命綱を掴んだ。
頭上をなにか、巨大な影が通り過ぎた。
そして、忘れかけていた諸悪の元凶が笑う声を僕は聞くのだった。
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