繋がる、広がる、離れて飛ぶ

 七凪へと、冷たい殺意が群がる。

 だが、彼女の自信に満ちた背中が僕に教えてくれた。

 この人は強い……なにせ、誰が呼んだか染まらずの魔女だ。

 きっと魔法みたいにこの人たちを無傷で無力化してくれる筈。

 その彼女が、身構え声を僅かに声を尖らせた。


「罪なき人を巻き込めませんね。手をあげるなど」


 次の瞬間、僕は言葉を失った。

 風が舞う。

 電光石火とはこのことだ。

 あっという間に複数人、操られた人たちが吹き飛んだ。

 それは、完璧で美しい上段回し蹴りだった。


「って、蹴るのも駄目だろぉ!」

「あら、そう?」


 スカートだったら、がっつりパンツが丸見えになるやつだ。

 七凪は、魔女という肩書が嘘みたいな蹴り技を次々と放つ。右で左で、時には片手で逆立ちになって両足で。なんだかよくわからない格闘術だが、まるで踊っているようだ。

 ものの十秒程度で、すぐに敵は一人残らず薙ぎ倒された。

 わりとガチで蹴っ飛ばしてるけど、大丈夫だろうか。

 だが、七凪は片膝をクイと上げたまま、カンフー映画の女優みたいに脚をピシャリと叩いた。その声は、普段の涼やかさが怒りの熱を孕んでいる。


「さ、これであなた一人よ。観念なさい、エルサルバドル」

「ッ! なめおって! ワシの名はバルトルノルヴァだ!」

「どっちでも一緒よ。すぐに、誰の記憶からも消してあげるわ。この異世界から消してあげる」

「死んで……死んでたまるかぁ! ワシはようやく! ようやくまた、ここまで戻ってきたのだ! 再びここから始めるために!」


 七凪とバルトルノルヴァに、どんな因縁が?

 それより、七凪は確かに言った。この異世界から、と。確かにここは僕にとっての異世界、ほんの少し違うまほろば市だ。

 でも、七凪はこの世界で生まれて、ここで育ったんじゃないのか?

 バルトルノルヴァの言葉も謎だ。

 ここまで戻ってきて、ここから始める、だって?

 だが、僕は二人の間に割って入ることができない。

 凍れる緊張の中で、二人のぶつけ合う眼差しが一本に収斂されてゆく。

 だが、不意に片足立ちのまま、七凪は肩越しに振り返った。

 軸足はピクリともせず、地に根を張ったようである。


「説明するわ、渚クン」

「いや、今はいいよ! 前、前を!」

「実は、私もこの世界の人間ではないわ」

「わかった、わかったから! それ、全然意外でもなんでもないから! 今は、えっと、パンタポルタじゃなくて」

「バルトルノルヴァ?」

「そう、それ! そこの人の対処が先でしょ!」

「……ふう。わかったわ」

「溜息つかれた!?」


 その時、ローブのような着衣をなびかせ、バルトルノルヴァが襲いかかってきた。

 七凪、後ろ! 後ろに!

 だが、七凪はこちらを向いたまま、鋭い蹴り上げを放つ。

 見もせず、バルトルノルヴァを高く天井へと叩き付けた。ってか、あの爺さんも肉弾戦でくるのか……君たち、割とインテリジェンスなバトルになると思ってたのは、僕だけか?

 たっぷり数秒は天井に張り付いた後に、どさりとバルトルノルヴァが落ちてくる。

 七凪は容赦なく、うつ伏せに倒れた彼の頭を踏み付けた。

 そして、踏み躙る。


「渚クン、言うまでもないけど私はおしとやかな乙女なのだわ。だから、こういった荒事は正直苦手なの」

「え、あ、ハイ」

「だってそうでしょう? ただ、降りかかる火の粉を振り払うのはやぶさかではないわ。……渚クンにも危害が及びそうだったし」

「そ、そう……格闘技、強いんだね」

「前の世界で、ちょっとね」


 淑女の嗜みです、程度に軽く言ってくれるなあ。

 でも、彼女は確かに言った。

 前の世界で、と。

 やはり、そうか……七凪にとってもここは、異世界なんだ。

 僕をじっと見詰める七凪の足元で、苦しげに声がする。


「こんな筈では……このままでは、ワシの計画が」

「あ、あの、七凪さ。足、どけてあげたら? なんか、もう抵抗できそうもないみたいだけど」

「ああ、いいのよ。……まだ、私の記憶とは差異がある。この男は、再びあの悲劇を起こそうとしてるのだけど……まだあれを出してないから、油断はできないわ」

「あれ、って? ねえ、七凪。もしかして……それは、九年前の僕が見た大災害と関係があるの? 鎮守ノ森のこと、君も知ってるんだよね? じゃあ、もしかして――」


 僕は思わず、七凪に詰め寄ってしまった。

 よほど、切実な顔をしていたのだろう。あの七凪が、僅かにたじろぎ、なにかを言いかけては口を噤む。それでも僕が答をねだったからだろうか、彼女は数歩下がってバルトルノルヴァから足を放した。

 僕は横たわる老人を跨いで、七凪との距離を詰めてゆく。

 その華奢な肩に両手を置いて、思わず声を荒げてしまった。


「教えてくれ、七凪っ! 君も別の世界から来たなら、もしかして」

「落ち着いて、渚クン。そうね、落ち着くためには素数を数えるといいわ」

「話をはぐらかさないでくれ! ……君は、もしかして知ってるんじゃないか?」

「……なにを?」

「僕がこの世界に、僕のまほろば市そっくりなこの街がある世界に、飛ばされてきた理由を!」

「はい、知ってます。話す前にまず、その男を」

「悪びれない!? しかも即答!」


 この女……いい根性してるよ、まったく!

 だが、彼女の言うことももっともだ。

 僕はバルトルノルヴァのことは知らないし、ある意味知ったこっちゃない。でも、危険な奴だというのは嫌というほどわかる。

 なにより、僕の友達を悪事に利用した。

 ちらりと見れば、隆史は他の多数と一緒にアスファルトの上に伸びている。

 ごめん、七凪にもっと先に言えばよかったよな……殴るなって。

 あ、蹴るなって言うべきか。


「まったく……わかったよ。とりあえず、どうするんだ?」

「殺しましょう」

「それだめ! なんかだめ! 駄目だろ、女の子がそんな」

「では、亡きものに」

「同じでしょ! ……ん? あ、あれ、なんだ? 足元が」


 突然、建物自体が大きく揺れた。

 地震だ、それもかなりでかい。

 なにか不自然な揺れにも思えたが、ここが建物の高層階だからだろうか。

 激震に思わず、僕はよろけた。

 咄嗟に支えてくれた七凪は、流石というかなんというか……体幹、強いね。そして、体感で震度五くらいと思える中、情けないことに僕は七凪にしがみつくしかない。

 正直、一人じゃ立ってられない。

 でも、初めて見た。

 見上げれば、七凪の顔はいつになく強張って見えた。

 常に澄まし顔だが、今は違う……まさに表情を失っておののいているようだ。


「……きたのね。ゴメンね、渚クン」

「七凪? なっ、ちょ、ちょっと!? そういうこと、してる場合じゃ――!?」


 僕は突然、抱き寄せられた。

 強く熱く、力いっぱい抱き締められた。

 そう思った次の瞬間には、弾かれたように突き飛ばされる。

 硬いアスファルトに転がる僕は、そのすぐ近くにバルトルノルヴァが立っているのに気付いた。そこには、逆襲に燃える憎悪が煮え滾って見えた。

 同時に、七凪の頭上で天井が崩落する。


「七凪っ!」


 それは、一瞬のことだった。

 僕を守って、七凪は自分から遠ざけた。離れるために抱き締めたのか? それって、訳がわからないよ! まるで最後だみたいな顔して、七凪は小さく笑った。

 そして……そして、天井を突き破って、巨大な手が彼女を鷲掴みにした。

 そう、手だ。厳つい腕が、七凪を掴まえていた。

 まるで漫画かアニメだ。

 その時、背後で二人の少女の声がした。


「くっ、あれは! あの手は! そこの男……間違いない、お前はぁ!」

「ようやく見つけました……しかし、制御を受け付けない!? そんな!」


 振り返ると、そこにはエミルとフィーナが立っている。

 例の腕時計型端末を操作するエミルは、血相を変えている。逆に、フィーナの表情は激昂に紅潮していた。

 どうして二人はここに?

 だが、僕は思い出す。

 そうか、フィーナの魔法は完成したんだ。つまり、エミルの探すゲートキーパーの場所がわかって……あれ? え? 今、なにかが頭の中でバチバチ弾けた。音を立てて、繋がった?

 そう、ゲートキーパーは見つかった。

 七凪を掴んだまま、天井の大穴へと消える腕。

 そして、その穴の下へと歩き出すバルトルノルヴァが振り返る。


「ようやくまた、始まる! もう一度始めよう……ワシのための異世界物語をな!」


 思わず僕は、駆け出していた。

 それは、もう一本の手が上から伸びてきて、そっとバルトルノルヴァを包み込むのと同時。僕は迷わず、ジャンプしてしがみついた。とても硬くて冷たい、鋼鉄の感触だ。

 背後で、フィーナがバルトルノルヴァの名を叫んだ。

 同時に、周囲の感覚が光になってゆく。

 気付けば僕は、そのまま広がる眩しさの中に溶け消えてゆくのを感じていた。

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