この世界は狙われている!

 昼食を食べつつ話し合った結果、ボーリングはまたの機会にということになった。

 この結論を出すまでに、またかなりエミルとフィーナの距離は縮まったように思えた。どちらが上かボーリングで決着をつけると言っていたが、明らかに今までとは圧が違う。

 お互いにとって、このまほろば市が異世界、旧時代だとわかったのだろう。

 そして今、予定を変更して僕は学校の校庭に来ていた。


「全員でのボーリングはまた今度……で、今は僕だけで穴掘りボーリングか。あー、きつい!」


 そう、スコップ片手に、校庭の隅に穴を掘っていた。

 これで四つ目で、フィーナの指示通りなら最後だ。春の日差しはぽかぽかと温かいが、全力運動で働いた僕は汗だくだった。

 ちょうど、十文字の東西南北に一つずつ、膝まで脚が入るくらいの穴だ。

 いや、こんな小さな穴でも大変なんだよ……僕は自慢じゃないが体力がないんだ。

 へたりこんで呼吸を貪っていると、ペットボトルが放られる。


「お疲れ様、渚クン。お水でよかったかしら」

「ありがと、七凪。冷えててありがたいね」

「結構疲れるのよね、硬い土を掘り返すって」

「経験あるの?」

「私が? ふふ、まさか……どうかしら、ね」


 意味深な含み笑いだ。

 いつもの七凪の、颯爽さっそうとしていて大物オーラを出してる感じ。

 普段と変わらない七凪ムーヴなので、僕も取り立てて気にならない。

 そうこうしていると、先程からなにやらブツブツ言ってたフィーナが、細い木の枝を持ってやってきた。もう、マントにフード姿ではないが、部活の生徒たちが気に留める様子はない。彼女に言わせれば、自分が見えても意識しなくなる術、隠遁の技というのがあるらしい。

 まるで鞭のように小枝を手に遊ばせ、フィーナは満足げに笑った。


「ご苦労だな、渚。助かる。もう少し大きな術を使って、そのゲートキーパーとやらの位置を占う。少し下がっててもらおうか」


 そう言うなり、彼女はジャージの上を脱いだ。

 おいおい待て、と思ったが、なんだ下着をちゃんと付けてるじゃないか。って、下着姿になった!? 下も脱いだ! ……ええと、本当に僕たち以外に見えてないんだろうな。


「なんで脱ぐんだよ……てか、どこで下着を」

「甘いな、渚。お前のジャージを借りたことで、この世界の自由が随分確保できた。買い物もな」

「お金は?」

「……よし、では魔法陣の構築に取り掛かろう」

「おいおい、まずいだろぉ」

「なに、それに見合う品は置いてきた。両替商にでも持ち込めばいいさ」


 そう言って、フィーナは小枝で魔法陣を書き始めた。

 やれやれと、僕はもう一口水を飲んで下る。七凪と並んで作業を見守っていると、先程から立ち尽くしていたエミルが口を開いた。

 本格的にゲートキーパーを探し始めてから、彼女はやや申し訳なさそうである。

 気にするなと言っておいたが、やはり後ろめたさもあるだろう。

 なにせ、藁にもすがる思いで捜索を依頼したものの、情報を全く開示できないからだ。確かに、この現代の地球にタイムマシンの技術や知識なんて、ないほうがいいだろう。


「すみません。なにからなにまで……わたしは、こんなに非協力的だというのに」


 相変わらずの無表情だが、こころなしか目元が悲しそうに潤んでいる。殊勝なことだが、あいにくと僕は気にしちゃいない。それは多分、他のみんなもそうだろう。

 彼女が最初に言った通りだと思う。

 異世界部の神薙七凪という少女が、謎の事件をこっそり解決してくれる。

 誰にも知られず、彼女はまほろば市の平和やらなにやらを守ってくれてる。

 それが本当なら、エミルが頼れるのは彼女しかいない。

 そんな僕の願いみたいなものを裏打ちするように、七凪はエミルに微笑んだ。


「あらゆる時代と世界、時間と空間は危ういバランスを保ち続けているわ。そして、そのバランスが崩れる時は強制的な補正力が働く。その時……補正された対象はなにかを失うわ。それが国一つなのか、人間一人なのか……あるいは石ころ一つなのか、それは誰もわからないことよ」


 ちょっとちょっと、なに言ってるんですかこの人。

 だが、気圧されつつもエミルは大きく頷いた。


「……そんな大それた考えがある訳じゃありません。これは汎人類共同体の特務監察官に課せられた規則なので。ただ、それだけなんです。わたしの考えなど、挟む余地もない」

「でも、規則を守る意味がわかるだけで、随分違うものよ?」

「そうでしょうか」

「そうでしょうなのです。ふふ……それと、一つだけ。ゲートキーパーの形や大きさ、外見的特徴や機能については、これは問えないみたいだから。一つだけ教えて頂戴」


 こういう時、七凪はとても楽しそうだ。

 やっぱり、狩りをする時の肉食獣に似ている。

 虎のように泰然として揺るがず、豹のように鋭く迫る。

 でも、エミルを追い詰め、問い詰めてるようには感じない。

 彼女が抱えて苦しみ、それごと沈みそうになっている、そんななにかがあるのだ。


「教えてもらえるかしら? エミルさん……あなたは、何故この時代にやってきたのかしら?」

「それは、任務で」

「どんな任務かしらね。未来のあなたたちは、銀河へと版図を広げて多くの異星人と共に巨大社会を形成している。でも、不思議だわ。特務監察官て、どんな仕事なのかがね」

「……その点については、発言可能な最大限の説明をさせていただきます」


 ふと見れば、フィーナの魔法陣は完成しようとしていた。直径にして約十メートル、なかなかに複雑で見事なものだ。

 僕が掘った穴には、これから魔力を増幅する触媒が埋められる予定である。

 えっと、なんだったかな……水晶と真鍮、あとは植物の種、動物の化石だっけ?

 全部異世界部の部室で揃うらしく、愛生が取りに行ってる。

 だからホント、なんなんだよ異世界部って。

 僕が視線を戻すと、エミルは意を決したように喋り出す。


「落ち着いて聞いてください。この時代に危機が迫っています」


 勿論、七凪は当然のように驚かなかった。

 そして僕は、自分が驚かなかったことに驚きそうだった。

 逆に、世紀の大告白をしたような顔で、少しエミルは拍子抜けしたようだった。それでも、やや調子が狂ったように首を傾けつつ、話を続ける。


「わたしたちの時代から見て、約八百年前……西暦の二十一世紀初頭です。この時間軸、今いるここから、プラスマイナス九年以内になにかが起こりました。それは、本来ありえない『現実にわたしたちが暮らす未来という結果』を書き換えかねない事象と判断されたのです」


 プラスマイナス……九年だって!?

 今この瞬間から、約九年前……それは、僕が知ってるあの大災害の年だ。もしかして……いや、まさか。でも、謎はいつだって僕のなかにあった。

 常にあって、絶えず新しかった謎。

 いつでも、どこでも、忘れていても夢となって襲い来る。

 それさえも年月と共に薄れて消えるかに見えて、突然また戻ってくる。

 僕は一人愕然としたが、エミルの言葉は神妙になっていった。


「わたしたち真歴時代の人類は、宇宙に散らばる同胞たちと共に生きています。その科学力は絶頂を極め、今がまさに繁栄の最盛期……でも、今日わかりました。わたしたちの生きる日々は、遥か昔の今、この瞬間の輝きを、眩しさを失っていると」


 エミルのいる遠未来は、恐るべきディストピアでもある。

 徹底管理された、身分制度のある社会。そこでは、人々の平和や幸福のために社会があるのではない。ただ社会が存続し、人類が種として存続するために個人の全てが差し出される……そんな世界のように僕は感じていた。

 そして、エミルが端的に説明してくれた言葉は、それを裏付けてくれる。


「……それでも、わたしが守るのは、わたしの時代。そして、今はこうも思うんです……わたしの時代を守る手段だった、この時代の驚異を取り除くこと。これは、任務や使命である以上に今、わたしの願望のようなものです」

「わかった、十分よ。伝わるもの、本音の本心……本物の、本当のあなたの気持ちが」

「なにかしらの契約もなしに、確証も得ず? どうして」

「人間にはもともと、信じる心が備わっているわ。信じたいだけの理由もあるし……それは、世界や時代を超えて尚、人間が人間である限り変わらない。私はそう思うわ」


 七凪は、自然とエミルに寄り添い、それが当然であるかのように抱き締めた。

 背の高い七凪の胸に顔を埋めて、驚いたようにエミルが身を強張らせる。だが直ぐに彼女は強く強く七凪を抱き返した。素直に抱き着いて、その優しそうな体温に身を委ねてゆく。

 それを見ながら、僕はなにか目に見えぬ誰かの意図、介在する見えざる手を感じていた。

 このまほろば市に集まった異邦人には、もしかして共通点があるのでは?

 それが、エミルの言う驚異……このまほろば市で、ちょっと過去ないし少し未来に発生する事象を示しているかのように思える。

 僕だって、ちょっと危ない自称主人公キャラを演じて孤高を気取りたかった男だ。

 それなりに知識はあるし、それを確認する意味を込めて七凪を見た。

 七凪は、優しくエミルの頭を撫でつつ僕の視線に応えてくれる。


「現代では、過去を改変することで未来そのものが修正されるという予測は否定されているわ。もっとも、誰も実証実験をやったことはないのだけど。……この時代、今はね」

「えっと、よくわからないけど……そうなの?」

「そうよ。ただ、立証されてなくても、現実ではそうなのかもしれないわね」

「よくわからないなあ……過去と今は地続きだから、過去を変えると今が変わる気がするけど」


 エミルのいる時代には、過去への干渉によって自分たちの世界への影響が発生する。その方法論が確立しているからこそ、エミルは必要以上とさえ思える情報隠匿を己に課しているのだろう。

 彼女が背負うものは、思ってたよりデカくて重い。

 だから僕も、キメ顔を作ってから深呼吸して、とびきり格好いい言葉を脳裏に浮かべた。


「いいさ、エミル。いいんだ。七凪の言う通り、例え世界が――」

「おい、触媒はまだ届かないのか? 魔法陣はできたが、これでは十分に魔力を巡らせられない」


 ア、ハイ! フィーナだ……魔法陣の作成は終わったらしい。あとは、触媒を四箇所に埋めるだけで魔法の準備が完了するらしい。それにしても愛生、遅いな。部活棟までは走れば五分だ、そんなに時間がかかるとは思えない。


「ちょっと僕が見てくる! 待っててくれ、七凪」


 ごくごく自然に、僕は走り出した。僕がいなくなれば、女子同士で、エミルももっと心を開きやすいかもしれない。この時は本当に、それだけを思っていた。

 すぐに戻ってこれるし、フィーナの大魔法でゲートキーパーも見つかる。

 ぼんやりとだが、そう思っていたのだった。

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