Act.04 安らがない、休めない、休日

モーニング・サプライズ

 そうこうしている内に、平穏無事へいおんぶじな学園生活は週末に突入した。

 あれっきり、フィーナは部屋に戻ってこない。

 でも、本当になにもない平和な日常で、ここが異世界だと忘れてしまいそうになる。ここには、鎮守ノ森チンジュノモリ公園での大災害も、その記憶もない。そして、僕もその理由を他者に問い詰める必要がなかった。

 ようやく違和感の正体がわかった……ここが異世界だからだ。

 そして、ゲートで異世界同士が繋がっているらしい。

 やることがわかれば、具体策に乏しくても安心できる。

 そうして僕は、土曜日の朝から惰眠だみんむさぼっていた。


「ん……いや、服を着てくださいよフィーナさん……はは、あはは」


 あれ以来、また例の悪夢は見なくなった。

 それがいい、それでいいんだ。

 もとの世界に帰ったら、まほろば市は焼け野原だろうか? それとも、こっちで僕が九年を過ごしたように、向こうでもそれだけの時間が流れているだろうか?

 復興したまほろば市を、見てみたい。

 今いるこのまほろば市に、まさるとも劣らぬ姿を見てみたい気がした。

 突然、玄関でチャイムが鳴ったのはそんな時だった。


「……ふぁ? 誰だろう、フィーナさんかな」


 ようやくフィーナが帰ってきたと思った。

 あの日以来、フィーナの姿を見ていない。けど、街での変質者情報もぱたりと途絶えた。相変わらず暇を見て、元の世界とこの異世界、二つのまほろば市を比べて回ってる僕は、そういう話には敏感だった。

 よかった、正直困ってたんだ。

 あの、スケスケで布地面積が狭い服を……服とはいい難い薄布を、なんとかしてほしかった。彼女のボロボロのマントは一応洗濯しておいたが、まだハンガーに例の水着で下着なドスケベ衣装がかかったままだ。

 僕はベッドから抜け出すと、寝ぼけまなこで玄関へ向かう。

 だが、扉を開いた先には意外な人物が立っていた。


「おはよう、ナギサクン。起こしてしまったかしら?」

「そりゃそうですよ、なんです? こんな朝っぱらから……へ?」

「ようやく週末になったんですもの。異世界部、活動開始よ」

「なっ、七凪ナナギ!? え、嘘……どうしてここに? ってか、なんで!?」


 一変に目が覚めた。

 そこには、私服姿の七凪が立っていた。

 休日の彼女は、非常にラフなパンツスタイルだ。すらりとした脚線美きゃくせんびを浮き上がらせたデニムのパンツに、上は長袖のシャツを着ている。手にはなにかが入ったビニール袋だ。

 上下共に着衣は黒で、真っ白な長髪はポニーテイルに結っていた。

 モノクロームのクールビューティは、驚く僕の横をすり抜ける。


「お邪魔します。渚クン、朝ごはんはもう食べたかしら?」

「あ、ちょっと! ま、待って、勝手に……もう、なんですか、起き抜けに」

「そう、まだなのね。じゃ、私に任せてもらえるかしら」

「……グイグイくるな、やっぱ。ここまで強引だといっそ清々すがすがしいよ、七凪」

「ふふ、そう言われると照れるわね」

「褒めてないよ!」


 だが、あっさりと彼女はキッチンで手荷物を広げ始めた。

 卵とか食パンとか色々……なにを始めようってんだ?


「調理器具は一通りあるのね。……使われてる様子がないけれど」

「そりゃ、落ち着いたら自炊するつもりだったさ。けど」

「転校して一週間経つけど、落ち着かないのも無理はないわ。簡単なものだけど、腕を振るわせて頂戴。休日に付き合ってくれることの、これはほんのお礼よ」

「はあ」


 まあ、ほっとけば僕は昼近くまで寝てたかもしれない。

 それならそうで、土曜日を有意義に使えると思っておこう。僕は奥の部屋に戻ってテレビを付ける。どうやら例のUFOユーフォーは昨夜も東京や名古屋に現れたらしい。

 それとなくキッチンを見やれば、なかなかに絶景た。

 甲斐甲斐かいがいしく朝食を作り出した七凪は、そこだけ異世界と言われても不思議じゃない存在感で輝いている。彼女に料理させるという優越感も、嫌だと言えば嘘になるだろう。

 だが、そもそも論として、何故なぜだ?


「七凪、どうして……僕、家の場所とか教えてないよね?」


 そう、僕の住むアパートは学校から歩いて三十分くらいだ。微妙な距離で、自転車を買おうかどうか迷う程度には遠い。以前、エミルの件で異世界部の部室に遅くまでいたが、学校の正門を出てから七凪は僕とは真逆の方向へ帰っていった。

 近所だからたまたま見かけたという可能性は、ない。

 そのことだが、彼女は軽く洗ったフライパンに初仕事を与えながら流暢りゅうちょうに話し出す。


「渚クン、まず大事なのは……事態を正しく認識することよ」

「正しく認識……土曜の朝に、クラスメイトが突然押しかけてきた」

「そう、かわいくて愛らしいクラスメイトは、唐突に朝食を作り出したの。どう?」

「どう、って……さっぱりわからないよ」


 自分で言っちゃうかな、本当に図太ずぶといというか、大したタマだ。

 自覚があっても許せる程度には、確かに七凪はかわいい。才媛才女という風格があるし、その容姿は神に愛されてるとしか思えない。絶対にえこひいきされた美貌だ。

 そんな七凪は、油を弾けさせるフライパンに卵を落とし、残りを冷蔵庫にしまう。

 そだざかりをそろそろ終えそうな僕でも、こうばしい匂いに食欲が刺激された。

 だが、彼女は手を止めずに放し続ける。


「状況をまず、把握する。それができたら……手持ちの情報で推論すいろんを立ててみるべきね」

「つまり……どうやって七凪が、僕の家を発見したかってこと?」

「そう。場所を知っていなければ、こうして健気けなげに訪れることはできないもの」

「また自分で言っちゃったよ。……まあ、そうだね。推論、か」


 七凪くらいの人間になると、実は超能力があるとか、最初から知っていたとか、そういうのもあるんじゃないだろうか。だが、その可能性は彼女の笑いを誘ってしまった。


「超能力? 私、そんなの使ってないわ。知ったのは昨日よ」

「昨日……金曜日か。それ、ヒントになってる?」

「さあ、どうかしら。でも、知り得た新しい情報を元に、推論を増やして取捨択一しゅしゃたくいつし、真実へと近付いてゆく……これは基本で、とても大事なことだわ」

「なんの基本? 探偵ごっこの?」

「まさか。それと……もっと重要な情報が、新しく更新されることもある。例えば……」


 手早く七凪は、四枚切りの分厚ぶあつい食パンを取り出した。それに持参したバターとマスタードを塗って、ざっくばらんに野菜と生ハムを盛り付ける。今は野菜もカットされて売ってるから、便利なものだ。

 そして、できたての目玉焼きを乗せた。

 なかなかにズボラめしだが、妙に食欲をそそられる。

 彼女はそれを二人分同時に作って、少ない皿を食器棚から二枚選んだ。


「私、こう見えてもクラス委員よ? それに……昨日は日直だったのだけど」

「……あっ! 職員室で先生に渡す日誌!」

「正解。あの学校はもう少し、セキュリティに力を入れてもいいかもしれないわね」

「同感だよ。僕の休日が台無しだ」

「だから、お詫びも込めて……はい、召し上がれ」


 今まで知らなかった事実が判明すると、新たな要素が加わり見方が変わる。ずっと見えていたものが、別方向からの視点を得るのだ。

 僕も先日やったが、日直はその日の雑用係全般をこなして、最後に日誌を職員室へ提出する。その日誌には、生徒の出席番号や基本情報なんかが書かれていた。クラス委員の立場も利用すれば、あっさり個人情報が職員室で閲覧できるかもしれない。


「とりあえず、うん。朝ごはんはありがたいよ? ありがたいけど……なんで? 七凪さん、ストーカー?」

「ふふ、まさか。忘れたのかしら? 週末は付き合ってもらう約束をしたわ。エミルのゲートキーパーを探すのよ。それを……あら?」


 僕と同じものを食べていた七凪は、不意に顔をあげる。その視線の先に……窓際にかけられたハンガーの薄布うすぬのがあった。

 しまったと思ったが、後の祭りだ。

 しまっておけばよかったとも思ったが、そんな余裕がなかった。

 すでに乾いているのだが、どうにも触りたくなくて放置していた、それはフィーナの着衣だ。由緒正しい戦衣せんいとかいってるが、どう見てもである。

 七凪はまじまじそれを見ながら、サクサクとミックスサンドを食べ終える。そして、立ち上がった。


「これは……なにかしら。ああ、この間話していた」

「そっ、そそ、そうだよ! そう、フィーナが置いてったやつ! 困るんだよなあ、ははは……いや、本当に困ってたんだけどさ。あれ以来、フィーナが戻ってこないし」


 だが、七凪は僕の話を聞いているのかいないのか。見るも毒々しいえっちな衣装を、自分の身体に当ててみて振り返る。


「私には少し小さいようね」

「いや、ちょっと待って。そこ? 突っ込むとこ、そこなの?」

「でも、ふぅん……渚クンはこういうのが好きなのかしら」

「前後の文脈が繋がって無いんですけど!」


 いやもう、勘弁して……お願い許して。

 僕は残ったパンを二つ折りにして具材を挟み込むと、それを一口で頬張ほおばった。そして、慌てて立ち上がるや七凪に詰め寄る。


「ふぉりあえず! ふぁなぎ!」

「お行儀ぎょうぎが悪いわ、渚クン」

「ん、ぐっ! はあ……あ、美味しかったです、ごちそうさま。それはそれとして、とりあえず! 七凪!」

「はい。なにかしら?」

「それね、それ……僕の趣味とは関係ないからね! いいから元に戻して」

「むっ、ちょっと残念だぞ? ほら、私には似合わないかしら。勿論もちろん、趣味じゃないのだけど……渚クン?」

「いやもう、言ってる意味がわからな、ひっ!」


 七凪から例の戦衣を取り上げようとした、その時だった。僕は手を伸べ、七凪がクスリと笑う。彼女が身をよじったせいで、僕はそのまま倒れ込んだ。

 ちょうど、七凪を押し倒す形になってしまった。

 でも、そんな時でも彼女は全く動じない。

 あのあおくて翆色みどりいろ碧眼へきがんで、じっと僕を見詰めてくる。

 思わず固まった僕の頭に、はらりと彼女が手放した薄布が舞い降りた。洗濯石鹸の香りの中、僕は薄く透けた布地の向こうで七凪を見詰める。


「渚クン、大胆」

「ちっ、ちが! これは……」

「とりあえず、私が悪かったわ。からかい過ぎね。ちょっと意地悪したくなったの」

「あ、いや……ご、ごめん! 僕こそ!」


 口で謝罪を述べる前に、まず彼女から離れるべきだった。

 でも、四つん這いになった僕の下で、七凪は相変わらずすずな笑みを浮かべるだけだった。そう、最悪の時が訪れた、今この瞬間までは。

 背後でドアが開いて、複数の女の子の声が響いた。


「渚、今戻ったぞ! アリルリスタ皇家こうけに生まれて今、初めて労働の喜びを噛み締めている! このフィーナ、恩を返しに戻った! ……およ?」

「ちゃーっす、渚! エミルを連れて来たよー、って……ありゃ? ……やばっ、リアルエルフ、キタコレ!? うわー、なまエルフだ、本当に実在したんだ! ちょっとこれ、どゆこと!? あっ、写真いい?」


 ドアを開けたフィーナが、折り重なる僕と七凪を見て固まった。

 その向こうには、エミルを連れた愛生アキを見た。

 はい詰んだ! 言い訳無用、言い逃れ不可能!

 僕はとりあえず、しばし迷ったあとでキメ顔を作って笑いかける。


「フッ、よく来たな……我が仮初かりそめ居城きょじょうへようこそ、かわいいお前たち。遠慮なく上がるがいい」


 勿論もちろん、壮絶に滑ったのは言うまでもない。

 まず僕は、頭から被ったフィーナのぱんつ的なものを脱ぐのから始めることにするしかなかった。

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