フッ、やれやれだぜ……って感じのアレ

 まったく、朝から散々な目にあった。

 登校を終えた僕は、下駄箱げたばこくつを履き替え教室へと歩く。

 ちなみにフィーナは、自分で例の破廉恥ハレンチ装束しょうぞく(彼女が言うには、高貴なるハイエルフの伝統的な戦衣せんいだそうだ)を洗濯し、それを僕の部屋に干して行ってしまった。

 かわわりに僕のジャージを着て。

 フィーナはフィーナで、自分が元の世界に戻る方法を探しているらしい。


「そういや、例のやしろは駄目だったみたいだよなあ。……他にもゲートっての、あるのかな」


 七凪ナナギの話では、異世界や別の時代同士を繋ぐもの、それがゲートらしい。他にも、自らゲートを生み出せるゲートキーパーなる装置もあるという。

 当面の目的は、大きく三つに絞られた。

 一つ、僕が元の世界に戻る方法を見つけること。

 一つ、ついでだからフィーナの帰還方法もできれば見つけること。

 そして最後にもう一つ、エミルのゲートキーパーを探すことだ。


「まあ、七凪たちとまずは……エミルのゲートキーパーってのを探すか。しかし、未来人に異世界エルフと来たら、明らかに設定盛り過ぎ、ネタの過積載かせきさいだよなあ」


 正直もう、厨二病ちゅうにびょう要素で胸焼けしそうだ。

 しかも、全員本物なのである。

 決して、そういう自分を演じて酔ってる訳ではない。

 そういう意味では、一番痛いのはやはり僕か? 誰とも関わりたくないとはいえ、自ら進んで近寄りがたい雰囲気を演じてた。そんな僕が一番やばいのか?

 フッ、僕に限ってそんな、まさか……っと、そういうとこだぞ、汀渚ミギワナギサ

 そんなこんなで、教室が見えてきたその時だった。

 不意に背後から元気いっぱいな声が響き渡った。


「渚、おっはよー! そーれ、ドーン!」


 背中になにか、やわらかいものが当たった。

 振り向けば、ふわりといい匂いが鼻腔を掠める。

 背中にドッカリと、愛生アキがのっかっていた。

 満面の笑みが近くて、肌を彼女の呼気が撫でる。


「お、おいおい、離れろって。なんだよもう、愛生」

「朝からしょぼくれてるなー、ニシシ! ねね、なんかあった? むしろ、なんか当たった?」

「まあ、ささやかながらも確かな膨らみが背中に……って、なに言わせるんだよ!」

「えー、ナニをブイブイ言わせちゃう訳? あたしにー? キャー、渚さんのエッチー!」


 駄目だ、まともな会話が成立しない。

 でも、底抜けに元気で無邪気な愛生を見てたら、自然とこっちも苦笑がこぼれた。そして、彼女は「んっしょ」と背中から降りると、隣に並んで見上げてくる。

 うーん、かわいい……そっちの趣味はないが、ちっちゃくて小学生みたいだ。

 庇護欲ひごよくをそそるタイプで、小動物的な魅力がある。

 自然とこっちまで、気持ちが安らぐような気がした。


「あのな、愛生……俺は別に、なにも……ない、訳じゃなかった」

「でしょー? そゆ顔、してるもん!」

「……そんなに深刻な顔してたか?」

「んーん、にやけてた!」


 思わず僕は、手で顔を覆った。

 だが、愛生は「なんてな! うっそー!」と笑う。

 ははは、こやつめ。

 いつか絶対、ヘコませてやろう。

 安全かつエグい手で、狡猾こうかつに凹ませてやろう。

 僕の教室の前まで来ると、クラスが別の愛生は振り返った。僕の顔をまじまじと見て、背伸びしてくる。彼女が身を乗り出してくるので、僕は思わずのけぞった。


「なんか……困ったことあったら、なんでもナナちゃんに相談するんだよ?」

「お、おう」

「あたしでもいいけど」

「いやまあ、こないだからずっと頭がオーバーフロー気味だ。なんていうか、ここが僕には異世界で、そこかしこに異世界があるんだからな。参ったよ」


 不思議と弱音が出た。

 だが、そんな僕を見詰めたまま、愛生は不思議なことを言い出す。

 彼女の大きな目に、その光を吸い込む奈落アビスのようなひとみに吸い込まれそうに感じた。


「ま、元気出しなよ。あと、気をつけてね? 、だよっ!」

「お、おう……それ、普通じゃないか? 同じ意味だろ、前後で全く同じことだ」

「むっふ、そぉかもね。んじゃ! また放課後に部室でねーっ!」

「あ、おいっ! 待てよ! ……僕は異世界部じゃないっての」


 愛生は行ってしまった。

 なんだよ、意味深なことを言って。


 ――異世界をのぞく時、異世界もまたこちらに覗かれているのだ。


 だっけ? ……それ、当たり前じゃないか。

 覗く側から見たら、そりゃ……相手は覗かれているよな?

 でも、どっかで聞いたような言い回しだ。

 僕はよく思い出せないが、特に気にもとめなかった。

 教室に入ると、クラスメイトが朝の挨拶で出迎えてくれる。不自然にならぬよう、僕もおはようと返した。あれ? 意外と普通に溶け込めてるな。

 僕は、いわゆる痛い奴を演じて安寧あんねいなる孤立に逃げ込み損ねた。

 ただ、今はそうすることの意味自体が消失したようにも思える。

 そうだ、元の世界に戻るにしろ、異世界に悩んだってじょうがない。まずは目の前のことを片付けてやる。でもそれとは別に、今は普通の男子高校生として暮せばいいいのか。


「なんだ、簡単なことじゃないか。あ、おはよう。えっと、君は……ああ、吉沢ヨシザワ君」

「よっす! おはよ! 今日はどうだー? 宿命の傷の具合は?」

「フッ……うずく、疼くぜえ! クッ! しずまれ俺の右手!」

「なんだよ、朝からノリいいな。それよかさ、汀」

「渚でいいよ」

「お、そうか? じゃあ俺のことも隆史タカシって呼んでくれ。……いいんだぜ、俺のことは前世で親友だった運命の戦士だと思ってくれ!」

「フッ……悪いな、高レベルの回復魔法を使う僧侶そうりょじゃなければお断りだ、なんてね」


 あ、割と簡単だ……ってか、みんなひょっとしていい奴?

 まあ、これものおかげだけどな。

 ここでは、ちょっと個性的な人間への許容範囲が広い。とてつもなく、広い。

 何故なぜなら、どれだけ広がっても受け止めきれぬくらいに、がいるからだ。そう、あいつだよ、あいつ。

 僕は周囲と、朝のニュースのUFOユーフォーがどうとか、そういう雑談を交わす。

 そして自分の机に向かえば、その隣で朝から爆睡している女子がいた。


「……良く寝るよな、七凪」

「あ、神薙カミナギさん? いっつもだいたいこんな感じだよ? 朝、弱いんじゃない?」

「授業中も結構、寝てるけどね」

「それな! ……ってか、神薙さんのこと七凪って呼び捨てにした? え、なに、ちょっと」

「い、いや、それは……神薙さんてほら、なんかこう、グイグイくる時あるしさ」

「……そうなんだ。へー、そうなんだあ」


 そう、

 それなのに、妙な距離感で僕の周囲をかき乱していくのだ。

 その七凪だが、机に突っ伏して寝ている。

 とてもじゃないが、学園のマドンナ的存在がしていい格好じゃなかった。

 授業中なんかもたまに寝てるし、これで学校一の秀才なんだから嫌になってくる。

 だが、僕がかばんをおろして席についた時、静かに声が走った。


「おはよ、渚クン? ……ふふ、大変だったわね」


 真横を見れば、七凪は両腕をまくらにしたままこちらを向いていた。

 なんだ、起きてたのか。

 彼女はそのまま身を起こそうとはしない。

 それなのに、酷くんだ瞳を向けてくる。


「た、大変だった、とは」

「なんとなく、よ。女のかん

「それはまた」

「なにかあったのかしら? 少し疲れた顔をしてる。この朝がもう、始まる前から終わってるって顔してるわ」

「……今さっきまで寝てた人には、言われたくない感じなんですが」


 彼女はようやく上体を起こすと、大きく伸びをする。

 たわわに過ぎる胸の重みが強調されて、僕は思わず目をそらした。どうしても今朝の、フィーナのことを思い出してしまう。

 ついチラチラ見てしまったが、まなじりに涙を光らせ彼女はあくびを一つ。

 どこまでもマイペースだが、突然ドキリとする言葉を投げてくるのだった。


「それで? さ、話して頂戴ちょうだい。なにかあったんでしょう?」

「お見通し、ですか?」

「さあ? ただ、私がそう思うからだけなんだけど」


 しょうがないから、僕は昨夜から今朝にかけてのことを七凪に伝えた。

 あのあと、学校の帰りに例の変質者と遭遇したこと。彼女の正体は、異世界から来たハイエルフで、アリルリスタ家のフィーナという名だということ。

 なにもかも話したら、面白そうに興味津々きょうみしんしんで七凪は目を細める。

 愛生には小動物的なかわいさを感じるが、七凪は猫のような、猫科の肉食獣のような鋭さを感じることがある。それなのに、危険な魅力と思っても怖くはないのだ。


「そう。例の、社の前に現れた不審者ね。それで?」

「それで、って……とりあえず、保護した。な、なにもなかったよ?」

「ふむふむ、それで?」

「……いや、なにもなかったって」

「そ・れ・で?」


 ぼくはついに、七凪の視線に負けて全部を喋ってしまった。一晩泊めたことは勿論もちろん、起きたら一緒に寝ていたことや、フィーナが裸だったこと。シャワーに驚いていたことも。

 隠し事が上手くできない癖に、普段と違う悪夢を見たことは話しそびれた。

 でも、どうしてそんなに七凪は僕を構ってくるのだろうか。

 普段から男女を問わず大勢に、あんなにちやほやされているのに。

 そのことを僕は、正直に聞いてみた。


「あら、いけない? 責任を感じてるからよ。そ、それだけ。……本当に、それだけなんだから」


 何故なぜか彼女は、ほおを赤らめ再び寝入ってしまった。だが、机に顔を埋めていても、真っ白な髪から覗く耳が赤い。

 なんのことだかさっぱりわからなくて、僕は朝から途方に暮れるのだった。

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