フラグメント

 その日、床で毛布にくるまった僕は、夢を見た。

 ここ最近はずっと見てなかった、繰り返し僕をさいなむ悪夢だ。

 小さい頃はよくこの夢にうなされたが、久しぶりである。


『はっ、はっ……うう、森が。助けて……誰か、助けてよぉ』


 吹き荒れる熱風の中、幼い頃の僕が走る。

 右手の痛みを引きずるようにして、夢中で走る。

 もうすでに、体力も尽きてクタクタだ。

 足取りは重く、よろけて、周囲の炎はすぐ側まで迫っていた。

 これは、あの日の記憶……僕自身がようやく忘れかけていても、時折ときおり浮かび上がる深層心理とか無意識とかいうやつだ。きっと、忘れられても覚えてる……この心身にはっきりと、あの日の大災害が刻まれているのだ。

 燃える鎮守ノ森チンジュノモリ公園の、無限に続くかに思える炎の中を走る。


(そうだ……このあと、僕は……こっちの世界に。異世界に、行くんだ)


 どこをどう走ったか、なにも覚えていない。

 鎮守ノ森公園では、よく友達と遊んだ記憶がある。やしろにだって、何度も手を合わせたはずだ。

 あの日、なにがあったのか?

 なにもわからないが、なにかがあった。

 天災であれ人災であれ、広大な森林は火の海になった。

 そして炎は、街をも飲み込み全てを燃やし尽くさんとしていたのだ。


『おとうさん、おかあさん……誰か、助け、て……』


 僕はとうとう倒れ込んだ。

 そしてそのまま、動かなくなる。


(えっ? ちょ、ちょっと待ってくれ! ……ま、まあ、夢だからな)


 

 何度も見てきた悪夢は、突然違う形へと分岐ぶんきした。

 普段は、目が覚めるまでずっと、炎の中を逃げ惑う。

 助けてと呼んでも、誰も助けてはくれない。

 走っても走っても、どこにもいけないのだ。

 それがずっと続いて、起きると汗びっしょりになっている。酷い動悸どうきと息切れで、まるで何十年も年を取ったように感じるのだ。

 そんな悪夢も、しばらく見なくなって久しいのに……この光景はなんだ?

 幼少期の僕は、そのまま倒れて立ち上がれない。


『助けて……お願い、誰、か――』


 え、ちょっと待って? このままバッドエンド? 違う、違うでしょ。なにがどうなったかは覚えてないけど、僕はこのあと異世界に……今住んでる世界に飛ばされる筈だ。

 ほら、よくあるだろ?

 例えば、トラックにひかかれるとか。

 例えば、白い霧の中を彷徨さまようとか。

 とにかく、僕は目が覚めたらこっちに来てる筈なんだ。

 そう思っていると、不意に声が響いた。


『おや、大丈夫かな? ふふ……私の助けが必要みたいだね』


 不意に、知らない背中が視界を進んできた。

 僕が夢を見ている、その視点を後ろから追い越した格好だ。

 彼女は……そう、女性だ、ぼんやりとしていて、よく見えない。そこだけもやがかかったようにぼやけて見えた。

 だが、たしかに少女の声だった。

 長い真っ赤な髪が揺れている。

 そのまま彼女は、倒れた僕を抱き上げた。


『巻き込んでしまったみたいだね。ごめんごめん。さて、どうしたものか……どうしようか?』


 彼女は肩越しに振り向き、僕へと微笑ほほえんだ。

 夢を見ている、この僕自身へと笑いかけたのだ。

 そして視界は、急激に閉じてゆく。覚醒の時が訪れ、悪夢は唐突な路線変更をちらつかせながら狭くなっていった。

 そして気付けば、僕はベッドの中で目が覚めていた。


「ん……あ、あれ? ああ……そうそう、こういう赤い髪の人が――ッッッッ!?」


 目覚めた僕の目の前に、安らかな寝顔があった。

 赤い髪の美貌びぼうは、フィーナだ。

 何故なぜ、僕がベッドの中で彼女と一緒に?

 それにしても、よく寝ている……こうして見ると、寝顔はとてもあどけないな。こっちの世界で多分、よほど苦労したのだろう。暖かな寝床が久々であるかのように、彼女はぐっすりと寝ていた。

 そう、寝ていた。

 そして、小さく「ん、っ……」と鼻を鳴らすと、うっすらとまぶたを開く。

 僕は慌てて飛び退こうとして、しどろもどろに布団ふとんを蹴飛ばしてしまった。


「こっ、ここ、これは誤解です! そう、青いせいケダモノとなって暴発した的な!」

「ん? ああ、おはよう。ええと、ナギサ、だったな」

「はいっ! 汀渚ミギワナギサ、十六歳! なんの変哲もない高校二年生です!」

「コウコウ……? ニネンセイ、とは。それより、もう朝か。久々にゆっくりと寝られたみたいだ。ありがとう、渚」


 慌てる僕にニコリと笑って、彼女はベッドを出た。

 

 ちょっと待って、なんで?

 どういうシチュなのこれ!


「ん? ああ、寝間着ねまきがなかったからな。奴隷小屋どれいごやみたいな部屋とはいえ、ここは渚の住処すみかだ。勝手にあれこれひっくり返すような作法は、持ち合わせていない」


 無駄に育ちがいい!

 っていうか、どうして一緒に寝てるの!?


家主やぬしが床で寝るなど……そ、それに、少し寒そうだったから。夜に目が覚めたら、渚が床に転がっていた。難儀したのだぞ? ま、まあ、その……平気だと、思った。悪い気配はないし、邪悪な雰囲気も感じなかったからな」


 この人も僕を棒切ぼうきれかなにかと思ってるのか!?

 まあ、実際には爆睡した上に久々の悪夢で、棒切れ以下な目覚めだったけど。

 僕は堂々とぱだかで振り返るフィーナから、慌てて目をそらした。

 腰に手を当てふんぞり返っているが、本当にやめてほしい。

 そのまま視界に彼女を入れぬようにして、僕は布団を這い出るやクローゼットを開ける。そのまま頭を突っ込んで、洗濯済みのバスタオルを取り出した。

 見もせずにそれを、フィーナへと突き出す。


「とっ、ととと、とりあえず、お風呂ふろ……フッ、シャワーでもあびてきたらどうだ? 美しさがまぶし過ぎるからな」


 混乱のあまり、ここ最近出番のなかったいたキャラが出てきた。

 だが、バスタオルを受け取るフィーナは嬉しそうに声をはずませる。


「シャワー、とは? だが、ふむ! 湯浴ゆあみができるのか? 助かるぞ、渚」

「向こうの部屋、玄関の隣のとびらから行けますから! はっ、早く言って!」

「ふふ、では久々に身を清めさせてもらう」


 ようやく危機は去った。

 どうにか僕は、フィーネの白い背中をバスルームへと見送る。

 心底嬉しそうで、長く伸びた耳がパタパタと蝶々ちょうちょうみたいに羽ばたいていた。

 へー、エルフの耳って動くんだ。

 犬の尻尾しっぽみたいだなと思った。


「ああ、びっくりした。……なんだ、まだ五時半じゃないか。ったく」


 僕はテレビをつけて、普段は絶対に見ない朝一番のニュースへチャンネルを合わせる。外はようやく白み始めて、春先の寒さはまだまだひんやりとしていた。

 ぼんやりとテレビを見詰めていると、トップニュースは意外なものだった。


『おはようございます。まずは、昨夜まほろば市上空に現れた謎の発光現象、未確認飛行物体みかくにんひこうぶったいについての続報です』


 ん? なんだこのニュース……相当平和なんだな、日本も。政治家の汚職や芸能人のゴシップを押しのけ、こんなニュースがトップバッターとはね。

 それにしても……未来人とエルフの次は、UFOユーフォーか?

 よしてくれ、全く。

 どうしてしまったんだ、僕のごく普通の日常は。

 ……それは言わなくてもわかってる。

 燃え盛る紅蓮ぐれんの炎の、その向こう側に全て置いてきた。

 ここは異世界、なんでもありな非日常の世界なのだ。


「あっ、そうだ……ボイラーのスイッチを入れないと、お湯が出ないんだった」


 僕がしまったと思った、その瞬間だった。

 フィーナの悲鳴がバスルームから響き渡る。

 慌てて立ち上がった僕は、しばし躊躇ちゅうちょしたが駆け出した。


「ちょっと、フィーネさん、うわっ!」

「おお、渚! いいところに……水が、水が止まらん! どうなっているのだ、これは!」


 そうですよねー、ファンタジーなエルフさんにユニットバスはレベル高過ぎますよね。

 フィーナはシャワーヘッドからほとばしる冷水にれながら、涙目で飛び出してきた。僕は平常心を自分に命じて、呪文のように「母さんの裸、母さんの裸」と何度もとなえる。そして、そのままフィーナをバスルームにそっと押し戻し、手を伸ばしてボイラーに火を入れる。

 混乱と興奮がぜになった表情で、あうあうとフィーナは泣きそうになっていた。


「ほ、ほら、フィーナさん。これがさっき言ってたシャワーですよ。大丈夫ですか?」

「う、うう……大丈夫なものか! もぉやだ……帰りたい。家に帰りたい!」

「そりゃ……僕もですよ。あ、ほら、お湯になってきた」

「ほへ? ……なんと、湯か! どういう魔法だ? 魔力が励起れいきした感じがしなかったが」

「いや、まあ。科学の力ってやつですよ。さ、少し温まってきてください」


 どうにか僕は、びしょ濡れになりつつフィーナを再びバスルームに閉じ込めた。ふう、疲れた……朝からぐったりだ。そして、寒い。僕もあとでシャワーを浴びなきゃな。

 りガラスの向こうではもう、しなやかな肢体したい鼻歌交はなうたまじりに上機嫌なのだった。

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