街角ファンタジーⅡ

 結局、最後まで異世界部の話に付き合わされてしまった。

 まずい、まずいぞ……僕はどんどん『』になりつつある。痛い奴だって笑われてるあたりが、実は一番居心地がいい。ガチで本当の、だと思われ始めると、ちょっと辛い。

 僕はすっかり暗くなった家路いえじを、何度も溜息ためいきこぼしながら歩く。


「今日もコンビニ、かあ……そろそろ自炊も考えないと」


 ビニール袋を片手に、アパートへ向かう。

 この辺は繁華街も遠く、夜の喧騒は背中へ遠ざかっていった。

 春はまだまだ、日が落ちるのが早い。

 風も冷たくなってきて、僕は少し歩調を速める。

 今日は、この街の異世界探し……僕の記憶のまほろば市との違いを探すのは、お休みだ。異世界部の二人に巻き込まれて、正直それどころではなくなってしまった。


「ま、もしかしたら僕が元の世界に戻る手がかりが……ん?」


 なにか、けたたましい犬の泣き声が聴こえる。

 閑静かんせいな住宅街で、それは家々からただよう晩御飯の匂いをかき乱していた。

 人通りも少ないこの時間、なにかあったかなと思った、その瞬間だった。

 突然、路地から人影が飛び出してきた。

 逼迫ひっぱくした声は、聞き覚えがある。


「くっ、待て! 私は決して、お前のえさを盗ろうなどとは! 誤解だ!」


 よく通る、少女の声だ。

 そして、全身をボロ布のようなマントで覆った姿が転がり出てくる。彼女は今来た道へと振り返ると、ピンと腕を伸ばして手の平を突きつけた。

 だが、ややあってその手を下げると、そのまま再び走り出す。

 あの時の女の子だ。

 そう、立体駐車場にあったやしろに現れた、最近噂の変質者である。

 咄嗟とっさに僕は、彼女を追って走り出していた。


「あ、あのっ!」

「む、なんだ少年。……っ!? わ、私が見えるのか!?」

「そりゃ、見えてますよ! 丸見えですって! その格好、目立ちますから!」

「そうか、あせるあまり術が切れてることに気付かなかったか。だがっ!」


 少女はなかなかの健脚で、さらに加速して走り去ろうとする。

 だが、僕は普通の男子高校生で、しかも運動は苦手ときている。あっという間に引き離されそうになり……代わって背後に、獰猛どうもうに吠える息遣いが迫った。

 ちらりと肩越しに振り返ったが、デカいドーベルマンみたいな犬が迫ってくる。

 ちょっと待って、なにそれ……タゲターゲットが俺になすりつけられた!?

 ネトゲやソシャゲじゃ、かなり迷惑なマナー違反だ。

 俺は必死で、小さくなってゆく背中を追った。


「ちょ、ちょっとおおお! 待ってくださいよ、なにやったんですか!」

「なにもしていない! むしろ、なにもできなかった!」


 この辺は飲食店もないし、夕食時は誰にも会わないことも多い。

 だんらんの明かりを灯した家々の、その一つ一つがいわば異世界だ。今、大型犬から逃げている僕とは、別世界という訳だ。

 そんなことを思っていると、突然前の方で少女が急ブレーキ。

 ズザザと砂煙をあげて、彼女はきびすを返すや身構えた。

 ふわりとフードが風をはらんで、脱げると同時に長い赤髪が風に舞う。

 先程と同様、右手を大きくこちらへ向けて伸ばす。

 集中力を高めるように、歌うような声が低く響いた。

 瞬間、暗がりを赤々と照らす炎がほとばしる。


「えっ……えええええっ!? ちょ、ちょっと待ってぇぇぇぇ!」


 僕へと向かって、紅蓮ぐれんの炎が解き放たれた。

 真っ赤に燃える火球かきゅうが、うなりをあげて迫る。

 思わず目をつぶってしまったが、燃え盛る業火は僕の真横を通り過ぎた。その時巻き起こる熱風が、わずかに前髪を焦がしてゆく。

 そして、犬の悲鳴が短くキャウン! と響いた。

 脚を止めて振り向けば、アスファルトが真っ黒に焦げていた。

 大型犬はその手前で震えている。

 やがて、その姿は全速力で逃げ出し消えていった。


「た、助かったぁ……って、もとあと言えば僕のせいじゃないぞ」


 脱力に肩を落とせば、先程の少女が近寄ってきた。

 フードを脱いだその素顔は、とても凛々りりしい表情で引き締められている。白過ぎる肌は透き通るようで、ひたいにはなにか奇妙な模様……紋章が刻まれていた。その色と同じ赤髪は、腰まで伸びて揺れている。

 同世代にも思えるが、どこか大人びた印象がドキリとした。

 なにより――


「あ、耳……えっ? その耳! ……エルフ、的な?」

「失敬な。私はエルフ、それもハイエルフの血筋に連なる者。額の紋章が見えぬのか? 気安く声をかけないでもらおう」


 そう、目の前に今……ファンタジーでお馴染なじみのエルフが立っていた。

 端的たんてきに言うと、エルフの魔法使いが僕を猛犬から助けてくれた。

 なお、その猛犬に追われた理由は、ほぼ全部エルフのせいだった。


「フン、手間をかけたな。では、さらばだ」

「あ、ちょ……待って! あの、君は」

「まだなにかあるのか! 言っておくが、軽々しく今見たことを吹聴ふいちょうするなよ? 言いふらしてみろ、私が秘術をもちいて呪ってや――」


 キュウウ、と小さく鳴る音が響いた。

 それでエルフの少女は、お腹を手で抑えてうつむいてしまうのだった。






 一人暮らしでも、帰宅すると「ただいま」と声を出してしまう。

 それで少し気恥ずかしいのは、今日は一人じゃないからだ。

 アパートの部屋に入ると、背後で少女が背後をにらむ。そうして、まるで警戒するようにしてドアを閉める。

 よせばいいのに、僕は彼女を自分の部屋へと連れ帰ることにした。

 最初は渋ったが、お礼に夕食をと言ってみたら、意外と素直になった。


「ここが、この世界の人間の住まい……なのか? なんと狭く貧しいやかただ。いや、一つの館にいくつも部屋があって……お前は奴隷なのか?」

「いやいや、ちょっと待って。あと、くつを脱いで」


 僕に言われて、慌てて少女はサンダルみたいな履物を脱いだ。勿論もちろん裸足で、すらりと細く長い脚が見えた。

 僕の部屋は二部屋、寝室兼リビングの和室と、フローリングのキッチン。あと、風呂とトイレとがそれぞれ別にある。両親にはもっといい部屋をと言われたが、十分だ。


「適当に座って」


 とりあえず、インスタントのスープかなにかが買い置きしてあったと思う。マグカップは一つしかないので、しょうがないから湯呑ゆのみを取り出す。食器のたぐいは一通り揃っているが、自分の分しか持っていないのだ。

 コンロにやかんをかけて、そうだと思い出して振り返った。


「お腹、減ってるよな。買ってきたおにぎりとか、あとサンドイッチもある。先に食べてても――ほああああっ!」


 つい、僕は頓狂とんきょうな声をあげてしまった。

 今、少女はマントを脱いでいるところだった。

 姿

 水着のようにも見えるが、なんとも過激な露出の服を着ている。いや、着ていない、半裸だ。服とは呼べない、紐と薄布で構成された扇情的せんじょうてきな格好だった。

 彼女は両手でマントをたたむと、改めてこちらに向き直る。


「礼を言おう、異国の少年よ。それと謝罪も。先程は巻き込んですまなかった。私はハイエルフの皇家こうけ、アリルリスタのフィーナ」

「あ、ああ、はい。えっと……」

「酷く空腹なのだが……ふむ、この袋の中に食料があるのか? 妙なぬのだな、白くてすべすべしている」

「えっとぉ」


 フィーナと名乗った少女は、早速コンビニ袋の中を物色し始めた。

 こちらへ向けられた尻が、形良い曲線で僅かに揺れている。


「あ、あの、フィーナさん」

「ん? なんだ? ……むむ、どういう仕組みなのだ。どうやって開けるのだ、これは。魔法か? 魔術的な封印が施されているのか!」

「……もういいです、ちょっと待って」


 僕はとりあえず、おにぎりを一つ開封して、フィーナに渡してやる。

 彼女は、それこそ魔法を見たように目を丸くしていた。


「今、なにを」

「なにを、って……コンビニのおにぎりだから、ほぼ誰でも開けられるものなんだけど」

「この世界でも数多あまたの魔法を見たが、どうやら私の知るものとは体系が違うようだな」

「いや、魔法じゃないですって。強いて言えば……科学? かなあ?」

「ふむ! 科学という魔法か。実に興味深い」


 フィーナはおにぎりを受け取ると、口をつける前に僕へと身を正した。


「改めて感謝を、少年」

「ああ、いいですって。あと、僕は汀渚ミギワナギサ……渚でいいです」

「わかった、渚。このフィーナ、アリルリスタ家の女として一宿一飯いっしゅくいっぱんの恩義は忘れない」

「大げさだなあ。あ、そうだ」


 改めて、詳しく事情を聞いてみた。こちらがまず、フィーナを異世界からきた人間だと知ってると教えてやると、素直に彼女は喋り出した。

 身分ある人間だからか、空腹だろうにがっついたりはしない。

 だが、おにぎりを手にしたまま、彼女は何度かかわいい腹の虫を鳴かせていた。


「私は見ての通り、第三皇女だいさんこうじょだ」

「見ての通りって、見てもわからないですよ。あと……な、なんか、羽織はおるものを」

「ん? どうした、渚。顔が赤いぞ」

「その格好、とにかくなんとかなりませんか。見てて恥ずかしいというか」

「恥ずかしい? 渚は見たところ、普通の人間だな。ならば、ハイエルフである私が恥じ入ることはなにもない。身分が違うのだから」

「僕が恥じ入るんですよ! ったくもう」


 おにぎりを食べてもらい、その間になにか適当にクローゼットから引っ張り出す。ジャージを手に振り返ると、フィーナは一心地ついた様子だ。

 次はサンドイッチを開封して渡し、それとなく話をうながす。


「……私の故郷は今、巨神きょしんに襲われ危機にひんしている。人間たちの王国も大半が滅びてしまった」

「巨神? そういえば以前も、そんなことを。さっき、そういえば魔法みたいなの使ってませんでいた? 魔法で倒せば……っていうか、すぐに魔法で犬を追い払えばよかったのに」

「ここが私のいた世界とは違うとわかった。ならば、みだりに目立つことは避けるべきだ。それに、犬には罪はない。少し悪いことをしたと思っている」


 変なところで高潔、そして気高い人なんだなあと思った。

 そして、大雑把おおざっぱにだが彼女の説明で色々とわかってきた。的確に整理して話してくれたので、僕も理解が早い。皇女だからか、普段から人の上に立って指示を出したり、わかりやすく説明する立場なんだろう。

 僕はコンロのお湯が沸いたみたいなので、一度席を外してキッチンに向かった。


「そうか、フィーナはその巨神を倒すため、森の魔女に会いに行く途中……こちらの世界に飛ばされた、と。今度は王道ファンタジーが来たか」


 SFな未来人に続いて、ファンタジーなエルフである。そして、すでにミステリアスなヒロインとの学園コメディだって始まっているのだ。もっとも、僕にとっては笑えない話の連続だが。

 マグカップと湯呑にコーンスープを作って戻ると……フィーナが眠りこけていた。

 よほど気が張り詰めていたのだろう。

 完食されたコンビニ食品のゴミを片付け、少し迷ったが彼女をベッドまで運ぶ。

 現実の女の子は、ファンタジー属性でも結構重いんだなと僕は思い知らされたのだった。

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