異邦人たち

 それは異様な光景だった。

 乱雑な部室の中央に、机を寄せ集めて作ったテーブル。品の良いテーブルクロスに、わずかに机同士の段差が浮き上がっている。

 ティーバッグでも紅茶はいい匂いだし、チョコレートやおせんべいも並んでいた。

 僕から言わせりゃ、異世界部の部室そのものが異世界だ。

 だが、動じぬエミルをちらりと見れば、やはり無表情だった。

 そうこうしていると、紅茶を一口飲んで、七凪ナナギが口を開く。


「それで、エミルさん。異世界部にどういったご用かしら?」


 ふん、気取っちゃって。

 だが、こういう時の七凪は完璧にハマリ役だ。演じているのか、それともなのか……どっちにしろ、大したタマだと思う。

 勿論、こんな怪しげな部活に訪れたエミルだって、いい根性してる。

 どっちにしろ、僕には関わりのないことだ。

 僕は僕で忙しい……そう、ここが異世界なら、急いでやらなきゃいけないことがあるからだ。


「じゃ、じゃあ、七凪。あと、よろしく」

「あら、ナギサクン。もうお帰り?」

「あーっ、渚はコーヒーの方がよかった? 緑茶もあるよ?」


 いやいや愛生アキ、そこじゃないって。

 そういうことじゃない。

 こんな僕でも、それなりに元の世界に戻りたい。そして、知りたい……いったい、僕はいつから異世界の住人になっていた? あの、鎮守ノ森チンジュノモリ公園の悲劇から九年、どのタイミングで僕はこの世界に飛ばされてしまったのだろう。

 だいたい察しはついてるが、確証はない。

 小学三年生の僕が目覚めた、病院のベッドの時点で恐らく……!

 でも、来たならば戻れるはずだ。

 当面の目的は、元の僕の世界に戻ること。そう思っていると、突然無言でエミルが立ち上がった。


「この街で、大小さまざまな事件に首を突っ込んで、解決したりしなかったりしている女がいると聞いています。それは……神薙七凪カミナギナナギ、あなたですね?」


 そう言うなり、エミルは右の手首を握った。

 そういえば、女子高生……を、よそおっているにしては、随分とゴツい腕時計をしてる。そう思った瞬間、彼女の全身が光り輝いた。

 そして、一瞬のホワイトアウト。

 気がつけば、僕たちの前に信じられない姿が立っていた。


「着衣の再構成、完了。……次に忍び込む時は、タイの色にも気をつけましょう」


 そこには、全裸のエミルが立っていた。

 い、いや、全裸そのままなシルエットが浮かんで、全身の起伏がくっきりと浮かび上がっている。そういう、肌に吸い付くような不思議なスーツ姿に変身してしまったのだ。

 強いて言うなら宇宙服……それも、アニメやゲームにでてくるようなやつだ。

 なんだかちょっと、その……直視、できない。

 だってそうだろ?

 首から下に、露出が全く無い。

 だが、その全身は裸も同然なのだ。

 紅白のツートンカラーなスーツは、ところどころ奇妙な光が明滅していた。

 そして僕は、気付けば冷ややかな視線で七凪がこちらを見ているのに気付く。

 彼女はとがめるような視線のあと、鼻で笑った。

 大丈夫、理解あるのよ……みたいな笑みで、ちょっとイラッとした。


「忍び込む、と自分で言うからには……あなた、この学校の生徒じゃないのね」

「肯定です」

「コスプレ好きの変質者、という感じでもないようだし」

「変質者ではないですし、この姿もコスチュームプレイ用の衣装ではありません」

「映画の撮影って線もなさそうね?」

「肯定。……ふむ、あまり驚かれないものですね」

「そうね」


 七凪が肩をすくめる横では、何故なぜか愛生が両手をワキワキさせている。彼女は、まるで五歳児みたいに瞳を輝かせると、立ち上がってエミルに近付いてゆく。


「変身した! ねね、凄い! これ、どうやって作ったの? ってか、スタイルいいね! 写真撮ってもいい? かっこいい……うわーん、かっこいいよーう! どうしよ」


 落ち着け、そしてスマホをしまえ。

 ハスハスと息を荒げる愛生を、流石さすがに七凪も引き止める。


「どうどう。愛生、どうどう。しずまりたまえ、いあ、いあ、っと」

「はっ! わはは、つい無我夢中に……写真、あとでね! 絶対ね!」

「……了解しました」


 話が進まないので、愛生をとりあえず座らせる。

 はっ、しまった!

 この場を抜け出すタイミングをいっしてしまった……っていうか、誰も想像できないだろ? 突然、謎の美少女がピッチリ感あふるる全身タイツじみた姿になったんだぞ! 一瞬で!

 落ち着こう、僕が取り乱しては駄目だ。

 この中では、僕が恐らく一番まともなのだから。

 そう思っていると、エミルはようやく事情を話し始めた。


「わたしは、銀河連盟ぎんがれんめいに所属する汎人類共同体はんじんるいきょうどうたい特務監察官とくむかんさつかん、エミル・テルミーユ。端的に言えば、現在から八百年ほど未来から来た……正義のスペースおまわりさん、です」


 あ、やば……この人、そうとうやばいぞ。

 かわいい顔して、かわいそうに。

 だが、七凪はちらりと愛生と目を合わせて、そのうなずきを拾う。

 全く動じていない。

 しかし、ここ数日で危ない人のオンパレードだ。僕の人生、完全に非日常に突入である。


「ふぅん、今度は未来の宇宙人ね」

「正確には、遺伝子配列的には君たちの時代の人間とそう変わらない」

「それで?」

「どうか手を貸して欲しい。わたしは今、この時間と空間に飛ばされた挙げ句、を見失ってしまったのだ」


 ――ゲートキーパー?

 いよいよやばい、カタカナの専門用語がこれ以上増えたら、完璧にアウトな人だ。だが、なにかがひっかかる。

 ゲート……門。

 そうだ、先日の七凪との!


「なあ、ゲートって……あのやしろもそうなんじゃないっけか」


 言ってみてから、僕はしまったと思った。

 自分から首を突っ込んでしまった……でも、妙だ。

 僕は恐らく、例の大火災の中でこの世界に、異世界に来てしまった。そして目の前に、未来から来たエミルがいる。彼女の話が本当だと仮定するならば、違う世界に来た僕と一緒に、違う時間軸から来た人間がいることになる。

 なにそれ怖い。

 あと、正直頭がついていけない。

 だが、七凪は嫌に落ち着いていた。

 愛生にいたっては、面白そうにニヤニヤしている。

 七凪はふむとうなって腕組みするや、椅子の背もたれに身を預けた。


「エミルさん。あなたから見て八百年前のこの日本にも、政府や各種公的機関……例えば警察なんかがあるのだけど。そういう組織にまず、頼ることは考えなかったのかしら」

「質問に質問を返すようですが、あなたなら大昔の……例えば幕府や朝廷に対して『未来から来て困ってます』なんて言えますか?」

「なるほど。かえって危険ね」

「加えて言えば、わたしは日頃から時間を超えて任務にあたっていますが、過去や未来への過度な干渉は禁止されています」


 僕がドン引きしてるのに気付いて、七凪はパム! と手を叩いた。

 そして、立ち上がると部屋の隅からホワイトボードを引っ張ってくる。

 彼女はペンを手に取ると「説明しよう、こんなこともあろうかと」と気取って鼻を鳴らした。


「つまりこういうことよ。私たちが現在暮らしている、二十一世紀の日本。ここは渚クンにとっても異世界よね?」


 中央に七凪は『二十一世紀、日本』と大きく書いて、丸で囲んだ。

 その上下左右、四方へと矢印をえがき、縦軸たてじくに過去と未来、横軸よこじくへそれぞれ別世界そのいち、そのと記す。なんで難しい方の漢字を使うのか、さっぱりわからない。

 ……ゴメン、嘘ついた。僕は知ってる。

 画数の多い旧字の方が、見映みばえがいいからだ。

 これでも僕だって、誰からも近寄りがたいと思われたくて、色々勉強したのだ。

 七凪はまるで講師かなにかのように、話を続ける。


「この世界の科学力では、まだ横軸……平行世界とでも言うべき異世界の存在については、実証されていないわ。正確に言うと、。観測できないので、あると仮定する方が自然だとは思われているけどね」

「その、七凪……エミルは未来から来たって」

「そう、つまり彼女は縦軸を移動してきた。そして、恐らくだけど……行き来するためのゲートか、それを通過するための手段を失った。違うかしら?」


 黙ってエミルは頷いた。

 僕はすぐに、例の社を思い出す。

 こっちの世界では、商業施設の立体駐車場にあった。まるで隠されたように、ひっそりと存在していた。あれもまたゲートで、恐らくホワイトボードの図でいう横軸の移動に使うものらしい。

 そして、エミルの探しているもの、彼女が持っていたものは縦軸の移動に使う……陳腐ちんぷな言葉を使えば、タイムマシンだ。

 エミルは理解を得たとばかりに、例の格好で再び椅子に座った。


「理解が早くて助かります。わたしが調べた限り、このまほろば市には無数の怪奇現象が確認され、その大半が一人の少女によって解決されていました」

「あたしもいるんですけどぉ~? ブゥ!」


 愛生が口を挟んだが、エミルは一瞥いちべつしたまま真顔で言い切った。


「わたしのゲートキーパーを探してほしいんです。この時間軸への影響が最も少ないのは、あなたに依頼して解決してもらうことと判断しました。頼めないでしょうか、神薙七凪」


 突飛な話だが、二つ返事で「いいわ」と七凪は了承した。

 おいおい、マジかよ……そして彼女は、当然のように僕へ微笑ほほえんだ。


「愛生は、平気ね? それと、渚クン……今週末はお暇かしら」


 なんだか有無を言わさぬ響きがあって、あのひとみに見詰められると落ち着かない。僕はなにも予定がないのを知っていたし、咄嗟とっさに適当なことを言う余裕がなかった。

 痛い系なのにからまわる転校生が、学園のマドンナと週末のおでかけ。

 皆に知られたら凄く面倒だと思いつつ、僕は頷くしかできなかった。

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