Act.03 異邦人たち

謎の美少女、現る

 あれから数日、僕は徐々に新生活に慣れていった。

 そして、慣れてきたからこそ浮かび上がる、違和感。

 やはり、。僕が生まれて育った、あのまほろば市ではないのだ。

 放課後、日誌を職員室に出して日直の仕事を終える。

 運動部の掛け声も、どこか遠くに聴こえていた。


「……今日こそ顔を出してみるか? けど、なあ」


 僕は教室に向かいつつ、それとなくスマートフォンのデジタル表示を見る。

 時刻は四時前で、特別急ぐ用事はない。

 だが、改めて誘われると気後れしてしまう。

 あの七凪ナナギに、異世界部に一度来て欲しいと言われていた。さも当然のように誘われていたのだが、なにかと理由をつけて部室には行っていない

 どこか、心の中で否定していた。

 今この瞬間、異世界にいるなんて、そんな非現実を素直には受け入れられない。


「でもなあ……クッ! 僕は、もう……知ってしまった」


 なにげなく包帯の巻かれた右手を押さえる。

 そういう演技はもう、必要ないほどにクラスには溶け込んでいた。七凪みたいな人間がいるせいか、僕は上手く孤立できずに毎日が忙しい。落ち着かないんだ。

 それでも、初めてのいわゆるリア充な学園生活の中で……一つずつ、確かめている。ほぼ毎日、街を歩いてまわっているんだ。

 タバコ屋の角のポストは、自分が知ってる位置から一ブロックずれていた。

 毎日の新聞も、地方紙だけ……この街の新聞だけ、微妙に以前と名前が違う。

 消えた二宮金次郎の銅像に、見たこともない工業団地。

 小さなズレを拾えば拾うほど、ここは僕の思い出を裏切ってゆく。


「……まあ、だからって困ることもないんだけどね。触らぬ神にたたりなし……ん?」


 かばんを取りに戻ると、教室に見知らぬ女子がたたずんでいた。

 僕の席……の、隣の机に向かって、神妙しんみょう面持おももちだ。

 これはいわゆる、よくある光景だ。

 七凪は飄々ひょうひょうとして掴みどころがなく、局所的にだらしなくてマイペース、威風堂々な少女だ。だが、下級生のお嬢様から上級生のお姉様まで、みんな彼女に夢中である。

 あの容姿だから、無理もない。

 きっと目の前のも……そう、思っていた。

 でも、僕に気付いて振り返った彼女は、意外な言葉を口にした。


「ここ、神薙七凪カミナギナナギさんの席であってますか?」

「え? あ、ああ」

「でも、空っぽです。いないんでしょうか?」

「いや、見たままだと思うけど……部活でまだ残ってるか、それとも帰ったか」

「そう、ですか……困ります」

「困るって言われてもなあ」


 第一印象は、とても綺麗な女の子だと思った。

 そう、いわゆる美少女だ。ここ最近、七凪を中心に顔面偏差値がんめんへんさちがインフレ状態である。

 まるでお人形のような、金髪のツインテール……ほんとに地毛?

 だが、整った顔立ちの表情は色彩を欠いている。

 無感情という訳ではないだろうが、体温が感じられない仮面のような印象だ。


「……部活、とは?」

「あれ? 知らないのかな。異世界部っていうらしいけど」

「やはり!」

「は、はいい!?」


 なにが、やはり! なんだろう。

 どうにもおかしい、なにかがおかしい。

 上手く言えないが、なにか面倒事に巻き込まれそうな雰囲気だ。ぼっちでいたいがために、僕はこういう気配には敏感だ。

 冗談じゃない、これ以上やばいことに巻き込まれてたまるか。

 先日の立体駐車場、やしろでの出来事を思い出す。

 少しずつ、僕の平和で平穏な日常が異世界に侵食されてゆく。

 そんなのはごめんだ。

 僕は誰にとってもモブ、それも極めて背景に近い存在として暮らしたいのだ。


「部活、それは部室っていう場所でしょうか」

「まあ、そうだと思うよ? じゃあ、僕はこれで」

「部室って、どこですか?」

「……えっと、君も転校生?」

「あるいは、新入生」

「あるいは、ってオイオイ」


 どうにも話が繋がらない。勿論もちろん、会話も続かない。

 だが、とりあえず彼女が困っているのはわかった。どうやら七凪に会いたいらしく、ちょっと変わってはいるがファンの一人だろう。

 弱ったなとも思ったが、いい口実でもある。


「じゃ、じゃあ、一緒に行く? その、異世界部の部室に。えっと」

「エミルです。そう、呼んでください。あなたは」

「僕は汀渚ミギワナギサ。まあ……七凪の隣の席の……うーん、なんだろう。ただのクラスメイト?」

「了解です、渚」

「うわっ、タメ口!? ……ま、まあ、いいけどさ」


 こうして僕は、エミルと名乗る謎の少女を連れて歩き出す。

 なんで、こんな面倒事に巻き込まれているんだろう? 誰にも干渉せず、干渉されず静かに暮らしたいだけなのに。それなのに、気付けば異世界暮らしだ。

 僕がとぼとぼと歩き出せば、エミルは距離をおいてついてきた。

 やれやれ、なんてテンプレもいいとこなセリフが、溜息ためいきと同時に溢れ出るのだった。






 文化部の部室が並ぶ一角は、旧校舎だった建物らしい。

 その中でも、奥まった小さな教室が異世界部の部室だった。

 ……本当に扉に、異世界部って書いてある。


「えっと、こ、こんにちはー? 七凪、いる?」


 ガラガラと戸を開けると、すぐに見慣れた美貌が顔を上げた。同時に、七凪と向かい合って座る愛生アキが振り返る。

 部員は二人、ね……部室もなんだか雑然としている。

 なんていうか、古本屋と骨董店を足して割らなかった感じに散らかっていた。


「あら、渚クン」

「よっすー! よく来た転生勇者よ、なんてな! ワハハ!」


 七凪め、愛生に喋ったな?

 まあいいけど。

 二人はどうやら、なにかカードゲームらしきものを遊んでいるようだ。魔法がどうとか、陣地がどうとかいうやつである。トレーディングカードゲーム? ってやつ?

 手を止め立ち上がる愛生が、すぐに駆け寄ってくる。


「おや? おやおやぁ? 渚、誰? ほほーう、隅におけないねえ……コレかい? ウシシ!」


 オヤジみたいなことを言って、嬉しそうに愛生が拳の中から親指をのぞかせる。おい馬鹿やめろ、普通は小指を立ててみせるもんだ。指と指の間に親指を挟んで握るなんて、下品にも程がある。

 だが、僕はなんとなく安心した。

 異世界部なんて体の良い看板で、ようするに二人で遊んで集まるだけの部活みたいだ。

 沢山の本や標本みたいなのがあるから、物置も兼ねてるのかもしれない。


「えっと、この一年生が七凪さんに会いたいってさ。じゃあ、僕はこのへんで」

「まあ、そうなの。渚クン、お茶くらい出すからもう少しいて頂戴ちょうだい。それで……どこに可愛らしい一年生の女の子がいるのかしら?」


 え? いや、ここに……そう、教室の入口に立つ僕の横に、エミルがいる。

 だが、七凪はカードの手札を扇のように開くと、口元を隠して笑う。

 あの笑み、知的に輝くあおみどりの大きな瞳。

 悪巧みのような、悪戯いたずらを含んだ無邪気な目をしている。それなのに、どこか妖艶で老成した、蠱惑的こわくてき眼差まなざしにも思えてくるのだ。

 彼女は、一人でカードゲームを進めながら唐突に語り出した。


「キミ、お名前は?」

「エミルです」

「そう。エミルさん、渚クンが今、一年生って」

「そうみたいですね」


 そうみたいですね、って……新入生とか言ってたから、一年生じゃないか。

 いや、待てよ? ああ、そうか!

 僕はようやく、違和感の正体に気付いた。

 だが、そんな些細なことよりもっと、ずっと大きな謎が隠されている気がする。それを紐解ひもとくために、まずは七凪は静かにエミルを見据えて放し続けた。


「この学校、学年ごとにタイの色が決まってるのよ。エミルさん、一年生の制服は……タイの色は赤ではなく、緑だったと思うのだけど」

「ああ、そうでしたか」

「ええ、そうなの。……何者かしら、ふふ」


 そうだ、なんだか胡散臭うさんくさいと思っていたが、転校生でも新入生でもないんじゃないか? 赤いタイは三年生で、僕たち二年生は青、一年生は緑だ。

 そのことを指摘されても、エミルは全く動揺を顔に出さない。

 まるで、自分の嘘に自分自身で関心がないみたいだった。

 そして、次の瞬間……愛生が二人の会話に割って入った。


「ナナちゃん、あたしっ! そこでトラップカード発動! 場に出てるナナちゃんのモンスターを無視してカウンターだよ!」

「あらあら」

「コンボで、手札からこれを使って捨札を五枚引く、その五枚のHPの合計分の攻撃力でダイレクトアタック」

「まあまあ」

「ナナちゃんは、ほい、ほい、ほいっと合計二千のダメージ……どう?」

「ふふ、やるわね」


 表情一つ変えずに、七凪は何事もなかったように手札を机の上に置いた。

 詳しくはないが、見事にボロ負けじゃないか? なんで涼しい表情でドヤ顔決めてるんだ、この人。あと、愛生は喜び過ぎ。オコサマか!

 だが、はしゃぐ愛生に優雅に微笑ほほえんで、七凪は再びエミルを見た。


「少しお茶にしましょうか。エミルさん、なにがご用事があるのでしょう? 異世界部に……この私に」

「神薙七凪、やはり噂通りですか。助かります」


 カードをしまって、愛生が電子ケトルを片手に出ていってしまった。

 まあ、茶菓子が出るなら僕もお付き合いするのはやぶさかではない。

 けど、ちょっとエミルの不自然な違和感が増大している。

 酷く切実な雰囲気だが、真顔で七凪を見詰めて椅子に座った。

 七凪は机に頬杖ほおづえを突くと、僕に意味深な視線を送ってくるのだった。

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