それは間違いなく、異世界でした

 僕は目を疑った。

 眼前に今、確かにあのやしろがあった。

 やや色褪いろあせた朱色の鳥居とりいの奥に、酷く小さな古びた社……間違いない。僕があの日、業火の中を逃げ惑う原因になった、あの社だ。

 そう、ぼやけてかすんだ記憶が脳裏を過る。

 あの時……確かに僕は見た。

 この社から、天変地異のような大災害が始まった気がする。

 立ち尽くす僕の前に出て、七凪ナナギは振り返る。


「どうかしら? 多分、ナギサクンが探してるものは、これだと思うのだけど」

「え、あ……は、はい。でも、どうして……」

「ん、そうね……例えば、こうは考えられないかしら」


 名探偵七凪、なんてキャッチフレーズがぴったりな、謎解きの時間が始まった。

 物証どころか状況証拠もない、それは七凪の妄想とも言える話。しかし、宵闇よいやみの中で彼女は、どんな名探偵よりも説得力を発散していた。

 そして、突飛とっぴで信じがたい推論が展開されてゆく。


「よくある創作や娯楽作品で、何度も異世界の描写があったけど……言葉が通じたり、同じ生態系だったりというのは、よくある話よね?」

「それは……だって、そうしないと物語として成立しないからじゃないですか?」

勿論もちろん、そうよ。……ふふ、それは誰の物語なのかしらね。それは置いといて」


 あたかも些事さじであるかのように、自分の切り出したテーマを七凪はしまった。

 誰の物語かって?

 創作物、虚構きょこうの世界は作り手と受け手がいる。両者のどちらか、あるいは両者で共有したものと見るのが普通だろう。

 いや、待てよ……!?

 そういうことって、あるのか!?


「ま、待ってよ、七凪。……例えば、現実世界が物語の作者側だとしたら? さっき、七凪は言ったよね。僕の世界があったとしても、それは七凪から見て異世界だって」


 つまり、こうだ。

 今いるこの現実世界……ここは、僕にとって実は異世界だったのだ。

 この九年間、ずっと気付かず過ごしてきた。

 でも、今はこうしてはっきりと差異を目にしている。

 ここは……あの大火災が発生しなかった世界。

 鎮守ノ森チンジュノモリ公園がなかった、あるいはそれが取り潰されて商業施設になった。そういう世界……異世界なのだ。

 僕は突然、足元が崩れ落ちるような錯覚によろけた。

 だが、七凪は嬉しそうに瞳を輝かせる。


「あら、七凪クン……素敵だぞ? そういう言葉を待ってたの。そう、異世界は全てが元の世界と全く違うなんてことはないの。それは異世界じゃなくて、異次元だもの」

「つまり……言葉が通じて、同じ日本で、普通に暮らしてた僕は」

「こちら側、異世界に知らぬ間に迷い込んでいた……改めて、ようこそ異世界へ」


 なんてことだ……ここは、異世界。

 僕が知っているまほろば市とは、わずかに異なる世界なんだ。

 異世界としての相違点が、あまりにも小さく少ない、しかし確実に存在する。

 その証拠に、この場所に確かに社は存在していた。

 まるで忘れ去られたように、隠されたように。

 だが、謎は残る。


「七凪……君は何故なぜ、知ってる? どうして、ここが僕にとって異世界だとわかって、その証拠であるこの場所へ。どうして?」


 僕の言葉に、待ってましたとばかりに七凪は鼻を鳴らした。

 得意げにドヤ顔してみせる、その幼稚さもなんだか不思議とかわいらしい。


「一つ、まずは責任を感じているってことよ」

「責任?」

「それと、もう一つ。キミにとても興味があるの。だって、キミは――」


 そこまで言って、七凪は突然口をつぐんだ。

 急に真面目な顔を作って、僕へと近付いてくる。

 なにか空気が変わったみたいで、どこか興奮気味の彼女はどこかへ行ってしまった。目の前には、透き通る緊張感をにじませた七凪が近い。


「渚クン、ちょっと」

「へ? ちょっと、って……あっ、あの!? え、ちょっと!?」

「そう、ちょっとよ。ほんのちょっと」


 不意に七凪は、僕の右腕に抱き着いてきた。

 そしてそのまま、グイグイと僕を社の裏側へと引っ張ってゆく。

 訳がわからず、僕はあたふたうろたえつつ、逆らうことはできない。

 ただ、ふわりと舞い上がる白い髪から、やっぱりとてもいい匂いがした。

 しどろもどろになった僕を、押し込むようにして七凪が身を寄せてくる。僕はまるで、かくれんぼをする子供みたいにかがまされた。


「渚クン、見て」

「なにを」

「ほら、誰か来たわ……」

「まずいんですか!?」

「そこそこ、ね」


 意味がわからない。

 だが、彼女が小声でささやく、その息遣いが耳朶じだに触れる。

 僕はどぎまぎしながらも、そっと物陰から様子を伺った。

 七凪が言う通り、スロープから人影が上がってくる。

 顕になった姿を見て、僕は声をあげそうになった。

 慌てて口を抑えつつ、声を潜めて七凪を振り返る。


「七凪、変な人が……まさか、例の変質者?」

「ふふ、変質者で済めばいいのだけど」


 なんだか不敵に、そして素敵で無敵に七凪は微笑ほほえむ。

 そのすずやかな笑みが、とても綺麗だ。

 あまりにえとしていて、怖いとさえ思えてくる。

 見惚みとれているのに気付かれたくなくて、僕は再び人影に目を向けた。

 その姿は異様なものだった。酷く痩せた、影みたいな印象の長身で、他に特徴的な部分は見て取れない。そう、見えない。何故なら、全身をマントのようなもので覆って、目深にフードを被っている。体も顔も、露出が全くない。

 そんな格好だから、なるほど確かに不審者だと思えた。

 不審者は周囲を一度見渡し、鳥居をくぐって社に向き合った。

 発せられた声に、僕は驚く。


「……何度来ても駄目か。やはり、ゲートが開く気配がない」


 女の声だった。

 それも、同世代の少女のように思える。

 それにも驚きだったが、さらなる驚愕きょうがくの光景が広がった。

 そっと、謎の少女が手を伸べる。

 社へと向けられた、異様に白く細い腕。

 指輪をした手の平は、次の瞬間……ぼんやりと輝き出す。そして、あっという間に光の文字が無数に宙へと広がった。

 それらは互いに呼び合い図形を構成してゆく。

 安直に例えるなら、魔法陣という感じだ。


「な、七凪」

「静かに」


 振り向く僕のくちびるに、そっと人差し指で七凪は鍵をかける。

 黙って見守れば、少女は低い声で呪文らしきものを呟いていた。何語なにか、さっぱりわからない。強いて言えばフランス語のような響きだが、意味不明な音の羅列だ。

 それでも徐々に、少女は歌う楽器のように声を高鳴らせてゆく。

 そう、まるで歌声のように呪文が響き渡った。

 魔法陣はいよいよ輝きを増して、周囲を煌々こうこうと照らし始めた。

 漠然ばくぜんとだが僕は、大きな魔法らしきものが行使されつつあるのを感じた。

 だが、不意に光が弾けて霧散し、周囲は静寂を取り戻す。


「――ッ! 何故だ。この場所がゲートであることは間違いないのに。それなのに、何故……こうしている間も王国は。私が戻らねば、奴らが……巨神きょしんが民を!」


 僕は今日だけで、自分が本当は普通の人間なんだと思い知らされた。

 そっと右手にこぶしを握って、それを左手で覆う。包帯の奥底に隠された傷は、あの大火事の時の負傷だ。これだけが、確かにあの災厄を立証する証拠。だが、僕は基本的に『』だったんだ。

 七凪や愛生アキ、そしてあの少女は違う。

 違う気がするし、それが今はなんだか悔しいというか、妙に落ち着かない。

 少女は落胆した様子で、去っていった。

 その姿が消えて初めて、僕は社の影から這い出た。


「い、今のは……七凪」

「ここ、異世界ですもの。キミにとっての……私たちにとっての、異世界。魔法使いくらい、いてもいいと思わない?」

「私、たち? じゃあ、七凪も」

「さて、どうかしら。ふふ……でも、よかった。やっぱりここがゲートなのね」

「えっ?」


 七凪はフムフムと頷いて、社へと視線を滑らせる。

 彼女のみどり碧眼へきがんは、真っ直ぐと小さな建物へと吸い込まれていた。


「あの、七凪……ゲートって」

「異世界同士をつなぐ門、それがゲート。おおむね、太古の遺跡なんかに多いのよね。……昔の人はきっと、こうしたゲートを完全に制御して、異世界同士を行き来していたのかも」


 楽しそうに七凪が目を細め、そして振り返った。

 ドキリとするほどに、その姿は美しい。

 そして僕は今、改めて痛感させられた。

 ここは異世界、僕が知っているまほろば市とは違う場所。

 そして、そこで一番異彩を放つ七凪に、気付けば強く強くかれている。

 人に興味を持たず、むしろ遠ざけてきた僕は、そのことを自覚して驚きを禁じ得なかった。

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