異世界、してる?

 僕がまほろば市を離れたのは、小学校三年生の時。

 つまり、九年ぶりの帰郷ききょうということになる。

 九年前、この町は焦土しょうどと化したはずだ。記憶はおぼろげだが、断片的に覚えている。そして、決して忘れられない。

 燃え盛る炎。

 天をく火柱。

 ゆらぐ陽炎かげろうの向こうに、灰となって消える日常。

 そして――


「ッ! ……なんだ? 僕は……まだ、思い出せないことを覚えてる?」


 あの場所へ向かう道で立ち止まり、ズキリと痛んだ頭を僕は抑えた。

 これじゃ本当に、転生した勇者か、はたまた前世を持つヒーローだ。はっきし言って、やばい。信じられないが、嘘から出たまことというやつだ。

 痛い奴を演じてたら、本当に痛い奴になってきた。

 信じられないが、生まれ故郷はここであって、ここではないのだ。

 その証拠に、学校からここまでの道中、大災害の傷跡はなにも発見できなかった。九年という時間は、復興には十分にも思えるし、微妙なところだ。

 なにより、学校の図書室で驚いた。

 新聞のバックナンバーを調べたが、そんな事件はどこにもなかったのだ。


「でも、あの場所に……鎮守ノ森チンジュノモリ公園に行けば! はっきりする」


 スマートフォンで調べた通り、町並みはほとんど代わっていない。

 歩くだけで懐かしさが込み上げたし、昔と全く変わらない商店を何件か見た。

 友達と通っていた、駄菓子だがし屋。

 いつも立ち読みして怒られた本屋。

 揚げ物のいい匂いがする精肉店。

 確かにここは、あのまほろば市だ。

 そして、決定的に違う。

 その現実が今、僕に叩きつけられようとしていた。


「そんな……い、いや、待てよ。そうだ、きっと復興の時に再開発で」


 その森は、どこか清浄な空気に満ちていたと記憶している。小さな子供だった自分にも、そこが特別な場所だとわかった。大人たちは皆、鎮守ノ森公園を大切にしていた。

 今、目の前には……原初の森にも似た、鬱蒼うっそうと茂る木々はない。

 そこには、多くのテナントが入った大型商業施設が建っていた。

 素人目しろうとめにも、新しい建物じゃないのがわかる。

 大きな立体駐車場と並ぶ、やや色褪いろあせたショッピングモールがそこにはあった。


「……い、いや、きっとあのあと……復興の時に建てられたんだ」


 声に出してみて、僕はそれがむなしいと察した。

 こうした大きな建築物には、定礎ていそと彫られた石材が存在する。そこに刻まれた日付を確認すれば、はっきりする筈だ。

 だが、それを見てしまえばもう終わりだ。

 確定する現実を前に、僕はふんぎりがつかない。

 呆然ぼうぜんと立ち尽くす僕は、よほど深刻な顔をしていたのだろう。周囲の主婦や買い物客が、行き交う中で僕を振り返る。

 そんな時、背後から僕を呼ぶ声が響いた。


「どう? ナギサクン……異世界、してる? ふふ……聞くまでもない様子ね」


 振り向くと、そこには七凪ナナギが立っていた。

 夕日をバックに、颯爽さっそうとした姿で長い髪をなびかせている。夕闇を連れてくる風は、春と言えどまだ冷たい。真っ白な髪をそっと手で抑えて、彼女は今も微笑ほほえんでいる。


神薙カミナギ、さん」

「七凪、でいいのよ。むしろ、それがいいわ。そうでなければいけない」

「……七凪さん。どうしてここに?」

「部活動よ。言ったでしょ? 私、異世界部の部長ですもの」


 端的に言って、やべぇ奴にしか見えない。

 危ない発言にしか聴こえない。

 なのに、七凪がとても自然に見える。奇妙な説得力が、さも当然のように彼女を神秘的に飾っているのだ。

 僕みたいに、演じている訳ではない。

 そう強く思わされる。


「七凪さん、一ついいかな」

「ええ」

「このショッピングモールは」

「私がこの世界に……この町に来た時には、すでにあったわ。そうね、さっきの話だけど……確かめてみましょうか」


 そう言うと、躊躇ちゅうちょなく七凪は僕の手を取った。

 そのまま手を引いて、迷いない足取りで歩き出す。強引に引っ張るでもなく、引きずられる感覚もない。

 ついつい、歩調を合わせて僕は歩いた。

 七凪の手は、ひんやりとして柔らかかった。


「えっと、九頭龍クズリュウさん……愛生アキさんは?」

「愛生は今日は、宗教的な理由で先に帰ったわ。部室では一緒だったのだけども」

「はあ……え、ちょ、ちょっと待って」

「駄目よ。それと……さん付けはよくないわね。ふふ……いけないんだから」


 七凪の美貌が、どこか清楚せいそなのに妖艶ようえんさを帯びた気がした。

 漫画やアニメだと、実はラスボスだったヒロインとか、そういうタイプの人間が近い。いて言うなら近い気がするのだが、鼓動を高鳴らせるなにかからは、危機感が感じられない。

 日常の感覚が麻痺してるのかもしれないな。

 ともあれ、七凪は僕を建物の方へと引っ張ってゆく。

 丁度夕方の混雑で賑わう、ショッピングモールの方ではなく……彼女は何故なぜか、立体駐車場の方へと進んでいった。


「あの、七凪さん」

「なに? 返事、してあげないわ。それじゃダメ」

「……七凪」

「うんうん、素直が一番ね。なにかしら?」

「どこに向かってるの? なにが……も、もしかして」

「宿命とか、あるんでしょう? 素敵じゃない。そうそういないわ、キミみたいな子」


 なんだか、年下扱いされた気がした。

 だが、僕の手をしっかりと握って、七凪はエレベーターに乗る。

 高校生には、立体駐車場なんて用のない場所だ。家族と買い物に来る以外で、足を踏み入れることもないだろう。

 静かな沈黙の中で、うなっていたエレベーターがガクンと止まる。

 外に出ればもう、既に夜が迫りかけていた。


「渚クン。キミ、知ってる? ……?」

「それは、どういう」

「それをこれから教えてあげる。だって、ふふ……私、イセカイ系ですもの。ほら」


 不意に振り向き、七凪は真っ直ぐ僕を見詰めてくる。

 握った僕の右手に、もう片方の手を重ねてきた。

 包帯の奥で、古傷がうずくような感覚が走る。


「皆、自分の世界を持っているの。だから、世界同士はそこかしこで触れ合っているし、混じり合ってる。その重なった場所から先は……誰にとっても異世界なの」


 そう言って、七凪は驚きの行動に出た。

 彼女は僕の手を……

 セーラー服の上からでも、はっきりと柔らかさが手に伝わる。五本の指が、弾力の中に吸い込まれそうだ。

 やっぱり、どこか冷たい。

 熱いのは僕の手とほおと、かく全身だ。


「踏み出せば、そこは異世界……違う世界が見えてくる。どうかしら?」

「どうかしら、と言われても、その、ええと……」

「私の世界に踏み込まないの? キミ、男の子でしょ? ふふ……それとも、もっと強引に引き込もうかしら」


 周囲に人の気配は全く無い。

 買い物客の車だけが、整然と駐車スペースに並んでいる。

 なだらかなスロープが螺旋らせんを描いてて……その中心で、最上階に僕たちはいた。

 もう周囲は暗くなっている。

 立体駐車場の中はさらに暗く、蛍光灯のぼんやりとした光も遠く感じた。

 なにより、七凪の胸の奥からは……規則正しい鼓動が伝わってくる。


「誘惑、ですか?」

勿論もちろん。ねえ、どういう世界をこじ開けたい? 私は異世界部部長だもの、あらゆる異世界に興味があるわ」

「……誰にでも、こういうことを?」

「そうだったら私、とてもふしだらね。……まさか」


 じっと見詰めてくる七凪の視線は、僕と同じ高さで注がれてくる。その瞳は、まるで宝石のように青い緑色だ。あおく、あおく、みどりに輝いている。

 だが、彼女は不思議な美少女の雰囲気を脱ぎ捨てた。

 急に、プッ! と笑った顔があどけなく幼い。


「冗談よ、冗談。そういう度胸、求めてないもの。甲斐性かいしょうだって」

「人を棒切れかなにかと思ってるのかよ……」

「そんなことないわ、それは本当。でも、例えばそうね」


 ようやく彼女は、自分の胸の実りから僕を開放した。

 でも、まだ僕の手は彼女の手と結ばれている。


「この包帯を一枚取り除けば……そこにキミだけの世界がある。それは当然、私から見て異世界。そうでしょう?」

「そ、それは」

無理強むりじいはしないけど、無茶振むちゃぶりはしてみたくなるのよ。さ、こっちに来て」


 彼女は再び、僕の手を引いて歩き出した。

 そして、最後のスロープを登って折り返すと……行き止まりに、信じられないものを僕は見た。

 そう、それは……確かにあの日、見た。

 鎮守ノ森公園にあったやしろだ。

 まるで忘れ去られたように、小さな鳥居とりいの奥にそれは確かに存在していたのだった。

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