219.喪失

 長さ3メートル弱。

 太さは直径2センチ程度の細長い鉄の棒。

 色はステンレスの鈍色で、概ね直線ではあるがグニャグニャひん曲がっていた。

 灯りの乏しい屋内にあって冷たく光を跳ね返してる。


 いずこからか飛来した8本の鉄柱が背中から突き刺さった。

 背中の皮膚と筋肉を突き破り胸や腹を貫通した。

 全身から力が抜けた。

 前に倒れ込んだ僕の体は地面に着くことがなく、鉄柱に支えられ中空にブラリと垂れ下がった。


 口や鼻から熱くて鉄の味がする液体が溢れた。

 内臓を損傷して血液が喉を逆流した。

 貫かれた腹部や胸部からもおびただしく流血している。


 悲鳴は上げられなかった。

 即死はしなかった。

 ただ体から急速に力が抜けていくのを感じた。

 酷く手足が重く、鉄柱によって奪われた自由の有無と無関係に動けない。


――ごめん……ごめんよ……


 また声が聴こえた。

 ほんのすぐ近くだった。

 目の前に立っている誰かからだった。


 俯いた視界の上方に靴が見える。

 僅かに残った力を首に込める。

 顔を上げその人物を直視した。


 血塗れの少年が立っていた。

 歳の頃は14ほど。

 真っ白なシャツと紺のズボン。

 母校の男子制服だった。


 いや、その人物は僕だった。

 夕暮 秋貴がいる。

 全身ズタズタに切り傷で負傷していた。

 よく見れば手指の幾つかが無くなっている。


――すまない……赦してくれ……


 彼は震える唇で言った。

 まるで自分に言い聞かせるかのような小声。

 そして泣いていた。

 涙を零しながら謝罪を繰り返す。


 誰に?

 何に対して謝っているんだ?

 何故泣いている?


 その瞬間、僕は全てを悟った。

 理解したことで、頭をハンマーで殴られたような衝撃が襲った。

 およそ知りたくもない事実を。


 そうか……。

 そういうことだったのか……。

 僕は……違ったのか……秋貴ではなかった。


 目の前の夕暮 秋貴は依然として突っ立ったままだった。

 僕を助けようともしない。助けられないのかもしれない。

 顔を左右に振って言う。


――違う……君が……君こそが本来の夕暮 秋貴だ……だからこそ、すまない……


 改めて、分かってしまった。

 自分の存在を。

 自分は本像であると。

 彼は実像の夕暮 秋貴であると。


 だが分かったから何だと言うのだ。

 本来の”居場所”から引き離され現実の世界を生きてしまった。

 交わってはいけないはずの空間で実像の人形とされたのだ。

 既に非実体の影において実像である彼こそが本物であり、本像である僕など偽物と大差ない。

 そして本像でも実像でも姿を失ってしまった僕は……。


 ゴォーン……ゴォーン……。


 自分の体から色が消失していく。

 メッキが剥がれ落ちるようにパラパラと床に零れていく。

 後には境界線もわからないほどのただの真っ白さが残った。


 そうだ。

 元々色などなかった。

 ただの存在だけであり、姿形を構成する情報など何もなかった。


 僕から色が抜け落ちる。

 周囲からも色が消失していった。

 床から壁から、僕を突き刺している鉄柱から、空中の名も知らぬ分子構造さえも色と共に自分を失った。

 いつの間にか目の前の夕暮 秋貴も居なくなっていた。


 何もかもが色を失った。

 後に残ったのは果てしない真っ白な世界と、真っ白な僕だけだった。


 歩き出す。

 この果てなく何もない、世界とさえ呼べない場の連続地を歩いていく。

 もはや僕にはそれしか残されていなかった。

 この歩みの先に何があるのだろう……。


 白の中に、僕は溶けていく。

 存在性を失った。

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