218.緑の教会

 背後に建っていたのは緑色の教会だった。

 静かにおぞましくそこに在った。

 息の詰まるような圧迫感がある。

 鐘の音は、その教会の上部にある釣鐘から鳴っていた。


 街中で見かける日本支社の簡素な建物とは違う。

 外国にある聖堂と呼ばれるカトリック系に近い意匠を凝らしている。


 カトリックの象徴である十字架はどこにもない。

 あくまで教会堂を模しているだけだ。

 印象として宗教施設だと感じる、そんな建造物なのだ。


 かなり老朽化していた。

 数百年くらいだろうか。

 あちこち風雨に晒されて補強もせずに放置されている。

 いまだ主柱は瓦解せずに構造を支えられているが、外壁のレンガは塩類風化でところどころボロボロに崩れている。

 既に塵化の始まっている部品さえあった。


 近づいてみると緑色なのはカビだと分かった。

 全体にびっしり付着した緑カビ。

 この世界でたったここだけカビが生えるのも妙である。

 水分なら見渡す限り血液の泥沼があるが、他にカビている場所はない。


 いや、妙だと言うならこの世界に教会などある方がよっぽど奇妙だ。

 今まで幾度かの異形の世界への訪れで、この教会は一度として見たことがない。

 いずれにしてもこの世界に現世の理(ことわり)など通じないのだろう。


 僕は吸い込まれるようにその教会へ入ろうと思い立った。

 入らなければならない。入りたい。

 ちょうちんあんこうの疑似餌に誘われる魚が如く無警戒で、そうすることに疑念の入り込む余地もない。

 あるいは昔話のツルの恩返しのように、見てはいけないと忠告されている扉の先へ興味が尽きないように。


 教会の扉は厚く重いウォールナット製の両開きだった。

 朽ち始めてはいるものの扉としての機能は失われていない。

 何故かカビも付着しておらず、レンガ材がボロボロに老朽化するほど風化しているにも関わらず木材であるはずのそれは生きている。

 経年劣化の仕方がデタラメだった。

 そして前に押すことで、扉本体の重さ以上の抵抗はなかった。

 鍵はかかっていなかった。




 室内にはスンとしたカビ臭が立ち込めていた。

 灯りもなくかろうじて全体が見渡せる程度に薄暗い。

 静かに長年のなおざりを伺わせられた。


 区切りのないホール状。

 前方に向かって長椅子が配置され行き止まりに壇上がある。

 さらに奥には先へ続くドアがある。

 懺悔室への入口だろうか。


 内装は外観同様に荒れている。

 長椅子は入口の扉同様、推察される経年ほどの老朽化の影響は受けていないが欠けたり腐ったりしている。

 座ることのできる椅子もあれば、足が崩壊してコケている物もある。


 側面の明かり窓のガラスは全てなくなっていた。

 砕け落ち破片さえ風化して塵になっている。

 しかし窓の先は真っ暗だった。

 赤い地平が見えるはずだが、何も遮蔽されていないのにただ黒く塗りつぶされている。


 やはり内部にも宗教性を直喩する意匠はない。

 キリスト像や十字架といった類の物がない。

 教会に似ている構造をしているだけの建物だった。

 異形の世界で打ち捨てられた教会。

 何なのだろうか、ここは。


 ただ、前面上部のステンドグラス。

 それだけがここで唯一風化の影響を受けていなかった。

 奇妙な紋様の描かれた七色の鮮やかさ。

 歪んだ蛇のようにも見える。


 透過光はないはずだが明るく輝いていた。

 光ではない。

 教会内部は薄暗いままなのだから。


 およそ中心にまで来て立ち止まる。

 静かだった。

 風の流れる音さえ聞こえない。

 ツンとした微雑音の混じる静寂の空間ではないのだ。

 本当の無音だった。


 隣にある椅子の背もたれを撫でた時、真後ろから声がした。


――……すまない


 振り向いた瞬間、胸の中心を衝撃が貫いた。

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