216.-Case結城-赤と黒

「…………」


「それじゃ、ダメ……かな?」


 結城が浅く息を吐く。


「……あーちゃんが理屈っぽいのなんて、昔からわかってたことなのにね。それでもボクはあーちゃんのことが大好きで、誰より自分を見て欲しいって思っちゃうんだ……」


 彼が片足をついて立ち上がろうとする。

 弱い足取りだった。

 曲げた膝を伸ばそうとして力が抜けよろりと前のめりにバランスを崩す。


 とっさに僕が前に出した両手の片方が取られた。

 結城は僕の手に幾ばくかの重量だけあずけて体勢を立て直した。

 慣れたものだ。

 口に出さなくても、長年支え合ってきた僕らの息は阿吽の呼吸である。


「結城……僕は生まれてからずっと嫌というほど結城を見てきたし、今も僕の目には君が映っているよ。例え時間が経っても決して離れることはない」


 異形でも赤黒の世界でもない。

 僕の目の前にいるのはいつもの幼馴染の朝顔 結城だ。

 どんな風に見えたとしても、内側にどんな狂気を溜め込んでいたとしてもそれは変わらない。


 彼の異形化は僕自身の心象風景だ。

 心の未知の部分にわずか触れたことで沸き上がった恐怖心の具象。

 それが現実に起こったかどうかも些末なこと。

 目を通して見えた物は僕自身の内在する歪みでもある。


 結城が諦めたような軽い溜息をつく。


「仕方ないなぁ、あーちゃんは。いつもそうやってのらりくらりと逃げるんだから。ボクは待たされっぱなしだ」


「ごめん……」


 結城の髪が夜風に煽られて靡く。

 押さえようとした指先から零れた細い髪糸が手根の間で暴れた。

 誰のものかもわからない血に塗れた顔で彼は微笑を浮かべた。

 その様がおぞましくも美しく見えた。


「でも、いつかは必ず振り向かせてみせるんだからね」


 繋いだ手のぬるりとした血だらけの指。

 細くしなやかで体温低めでひんやりとしている。

 だがそこに確かな温かさを感じた。


 恐ろしいこともある。

 わからないこともある。

 だがどんな一面だとしてもそれは僕の知っている結城の一部に他ならない。

 臆する必要などない。

 今でなくても、共有し理解し合えるはずだ。


 夜。

 非存在の曼殊沙華の花弁が雨のように落ちてくる。

 ハラハラと。

 向かい立つ恋人でも親友でもなく、そのどちらでもある2人。

 宵闇の中、世界は赤と黒でしかなかった。

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