212.-Case結城-あぶく

 別の泡が上ってきた。

 触れる。

 弾ける。


――――好かれたい でも怖い

――――嫌われたくない

――――近くにいたい 近づくのが怖い


 泡に含まれた想いは愛だけではなかった。

 愛し愛されること、未知のこと、それに対する不安や恐れ。

 僕が懸念していたことと似た恐れを結城も抱いていた。

 相手の間合いに入ることは傷つけ傷つけられる危険も伴う。

 器用で強かな結城でもそれは例外ではないのだ。


 大きめの泡が上ってきた。

 触れる。

 弾ける。


――――どうすればいいの? 怖い 

――――好きなのはボクだけかもしれない

――――怖いなら? 怖いなら……

――――失えばいい

――――自分の手で失うなら 永遠にボクのものになる


 愛、不安。

 悩み恐れ続けたその裏に病み沈んだ結論があった。

 暗い闇の中で暗さの恐怖から逃れる方法。

 より暗い闇で覆ってしまうこと。

 自分自身が闇になってしまうこと。


 人間はあらゆる状態に順応する。

 幸せにも慣れれば不幸にも慣れる。

 どんなに深い心の闇にさえ、近くで触れ続ければいずれ慣れてしまうのだ。


 たくさんの泡が上ってくる。

 もうそれに触れようとは思わない。

 わかってしまった。


 この世界は結城の心の中だ。

 精神の深沼なのだ。

 光の指さない真っ暗な世界。

 外見では覗き見ることの出来ない結城の心裏だ。


 底が見えてきた。

 一面の紅い泥濘だった。

 濁り澱んだ泥地面いっぱいに曼珠沙華が咲き乱れている。


 黒い空に紅い地。

 これもまた赤黒の異形の世界に非常によく似ていた。

 もしかするとあの世界は結城の、あるいは誰かの精神世界の顕現だったのではあるまいか。

 心の有り様がそのまま俗世へ浮かび上がったのでは。

 それは、もしかすれば僕のかもしれない。


 この暗い世界は結城の一端だ。

 僕が知る幼馴染の朝顔 結城は真っ暗なだけの心の持ち主ではない。

 人並みの明るさを持ち得ている。

 この暗さは彼が心に構築した暗黒の一部だけだ。

 その暗部を作り出してしまった原因は、おそらく僕にもあるのだろう。


 人は誰しも明るさもあれば暗さもある。

 明暗一体こそ生来の精神の性質である。

 結城の暗さも特別なものではない。

 ただ少し人より深いだけだ。

 誰でも持っている人の二面性なのだ。


 そしてそれは流動的である。

 明るくなったり暗くなったり。

 自分で解決したり他人に救ってもらったり。

 いずれも意思によって変えることができる。

 人はいくらでも変わる。


 彼の心に少しでも触れた。

 それが分かったのなら恐れることなど何もありはしない。

 孤独に震える彼の魂を分かち合う。

 それはきっと幼馴染であり親友である自分にしかできない。


 パチン。

 パチンパチン。

 パチンパチンパチンパチン。


 周辺一帯の泡が一斉に弾ける。

 結城の感情が奔流となって僕に流れ込んでくる。

 彼が溜め込んで鬱屈した悩み。

 その僅かでも僕は背負おう。


 逃げずに。

 やはり本心で。


 僕は浮上した。

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