211.-Case結城-彼の世界
そこは光のない黒の世界だった。
暗い暗黒をどこまでも逆さまに堕ちていく。
ゆっくりゆっくり重力でない何かに引っ張られていた。
もがく手足に感触はない。
上下左右がどこにもぶつからない。
てごたえのない重い液体の中で抵抗するかのように。
それでも底に堕ちていっていることだけは何故か分かった。
”下”ではなく”底”に。
物理的な降下ではなくただその方向に落ちていく。
頭に血も昇らない。
息苦しい。
呼吸ができない。
窒息することはなく空気のない空間で息詰まる。
喉に何かが流れ込んでくる訳でもない。
例えるなら熱のない宇宙空間。
何も見えない。
視界の限り、果ての果てまで黒が広がっている。
たったのひとまたたきさえ光は存在しなかった。
そして見えないのに濁っていることだけは何故かわかる。
ここは地獄か。彼岸か。
死んだ僕の蒸発した意識場がたどりついた無限の虚無か。
死んだら無になるとは、無の世界に放り出されるということなのか。
意識一つがあるままに何もない空間を漂い続けることが業(カルマ)に対する罰なのか。
不安があった。
だがその不安は無限の世界に対する恐れからではない。
漠然とした不安。
心にじくじくと湧き上がる焦燥感。
それはあの赤黒の異形世界に居る時と似たものだった。
紅い泡(あぶく)が浮いてきた。
光のない此処で何故それを視認できるのか分からない。
明かりがなければ、例えどんなに単純な輪郭線でも見ることは叶わない。
事実、泡に照り返しはなくベッタリした球形が下から上に上がっていくのだ。
内側に詰まっている物も空気ではなかった。
ガスに似たドロドロした気体だった。
泡に触れる。
指に柔らかいグニグニとした感触が伝わる。
ゴムとも違う。
わりと弾力があり、シャボン玉のようにすぐに潰れてしまうこともない。
例えるなら内臓の柔らかさだった。
臓腑など触れたこともないのにそうだと思った。
泡が弾ける。
パチンという音が聴こえた気がした。
8つに分離し内側からの圧力で破裂した。
紅いモヤが薄ら漂う。
泡の中にあったのは感情だった。
――――あーちゃん好き
――――大好き
――――あーちゃんを大切にしたい されたい
――――ずっとずっと傍にいたい
それは結城の想いだった。
情動、思念、思考。
それらがない混ぜになった塊だった。
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