208.-Case結城-ズタズタ

「わからない……けれど、どんな関係でも一緒に居られることはできると思うよ。例えば、友人とか……」


「友人……か」


 三郎が肩をすくめる。

 やはり後ろ姿は後頭部しか見えず表情を伺い知ることはできない。

 ただ怒らせていないのも事実だった。


「さーやは……力を貸してくれるってことかい?」


 三郎が軽く息を吸って吐く。


「あーくんの考えに付き合うよ。地獄の底までね。それがあたしの愛、かな」


 前方で結城は依然として禍々しい。

 肩で息をし、頭が少しふらふら左右に揺れていた。

 過呼吸で酸欠を起こしめまいを伴っている。


 彼の足裾から赤黒い筋が伸びていた。

 それは彼の顔に走っていた血管のように見える筋と同じ物。

 いつの間にか足にまで達し、足から爪、爪から雪駄、雪駄から地面にまで這い込んでいる。


 脈動していた。

 生きている。

 有機体であるように思え、その一方で地面の土にまで食いついているのはどういうことだ。


「あーちゃんあーちゃん……あーちゃんあーちゃんあーちゃんあーちゃん……あーちゃん……」


 もはや彼からかつての結城の面影は消えていた。

 情念の入り混じった害意を身に纏った様はオドロオドロしくグロテスクな人間性の深みへと変貌している。

 限りなく人の色濃い情動の奥へ踏みいった結果、何よりもいとわしい人間に成り果てている。

 いつだって人の本当に恐怖する物は人の内側にしかない。


 そして、彼をそうしたのは紛れもない僕自身だった。

 結城から逃げることは許されない。

 49日前のあの日から、ずっとそうだった。


「あーくん、あたしがあいつを止める。その間に”なんとか”してくれ」


 なんとか……なんとアバウトな指示だろう。

 しかし半分の責任は三郎が背負ってくれている。

 もう半分は、僕が自分で考え自分で行動しろということ。

 抱えきれない重荷の1/2も肩代わりしてくれて有難かった。


――――アぁあああああぁああああああ!!!!


 地獄の釜の蓋が開いたのかと思った。

 不気味な絶叫が轟く。

 矯正と悲鳴がない交ぜになった亡者の叫びだった。


 違った。

 発しているのは結城の喉からだった。

 あの鈴が転がるような声を出す声帯から絞り出されたものとは信じがたい。


 全身が凍りつく。

 魂を連れ去られる心地だ。

 死者の声を聞いた鼓膜が幽界に一歩踏み入っていた。


 ガガガガガガガガガガガガ!!

 直後、まるでスクラップになったミキサーを無理やり動かしているような錆びた音がした。

 作動音がなく、ブレードだけが獲物をバラバラにしているような。


 結城が影のごとく滑るようにして三郎を迂回した。

 僕に向かって目玉で捉えられない速度で包丁を振り抜いてきた。


 それを三郎はさらに体を入れ替えて、僕と結城の間に手を広げて体を滑り込ませた。

 盾になってくれたのだ。

 そして結城の包丁はそのまま三郎を斬りつけた。


 切り刻んだ、と表現した方が良かった。

 なにしろ尋常でない速度で振り回された包丁の刃は、それこそミキサーのブレードよろしく三郎の体をズタズタにした。

 正面から。


 顔と言わず首と言わず体と言わず、全身がミキサーにかけられた。

 もはや何をどう斬っているのかさえわからない。

 まるで裁断する工業機械だった。


 皮膚は破れ筋肉繊維は千切れ血管を破壊し原形質さえ切断した。

 血が噴き出した。

 血液分子が粉々になり真っ赤な霧となった。

 風に運ばれ血風となる。


 その中には黄色い膿も混じっていた。

 三郎の傷口は、斬り付けられた傍からまた化膿している。

 結城の包丁に斬りつけられると腐ってしまうのは間違いなかった。

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