203.-Case結城-齟齬

「どうしてそんなに関係を急ごうとするんだよ。49日前のあの日だって、もっと時間をかけようってお互いに納得したはずじゃないか。どうして今になって……」


「…………」


 結城が再び三郎に目をやる。

 先ほどから彼の注意は度々三郎に向いていた。

 恋敵として気にしているということなのか。

 しかし先程も言葉にした通り、今現在の僕が彼とどうこうなることはない。


 不自然だった。

 結城からして三郎は競争相手に立ち並ぶ相手と認知するとは思えない。

 三郎のようなタイプは結城にすれば目に入らないだろう。

 何をそんなに心が引っかかるのか。


「結城、さっきも言ったけれど、僕は結城との関係に答えを出さないからって別の相手を求めることはしないよ。まだわからないんだ、色々なことが。結城が言うように恋愛はもっと衝動的なものかもしれない。でも僕の想いはまだ形になっていないんだ。友情と愛情のどちらに動かしたら良いのかわからない。だから……」


 曖昧な主張が気に障ったらしく、結城が吠える。


「それが理屈臭いって言うんだよ! 常識とか良識って体裁で壁を塗り固めただけじゃない! あーちゃんの本当はどこにあるの! ボクのことどう想ってるの! 本音で答えてよ!」


 駄目だ。

 話がどうしても食い違う。

 僕がテーブルに乗せた食材が理屈で結城が乗せたものが感情だ。

 同じように調理しても出来上がった料理はまったく別物になる。

 そもそもの前提が双方で根っこから違うのだから。


 そして結城の感情的さこそ本気であることの証明に他ならない。

 自身の主張は一歩も譲らない。

 そうした強い想いがある。

 引いてはその想いの強さこそ、僕への愛に向いているのだとしたらやるせない。

 結城の愛情が強ければ強いほど引っ込めることはないだろう。


「…………」


 言葉に詰まる。

 5秒……10秒……。

 まるで永遠に思えるくらい長い体感時間が過ぎた。


 息苦しい。

 酸素が薄い気がした。

 喉を流れ落ちる唾の音がやけに大きく聞こえた。


 ふと、仄かに生臭い異臭が鼻をついた。

 鉄錆の臭い。

 血臭だった。

 口の中が妙な味で入り混じる。


 いつの間にやら、どこからともなく周囲に赤黒い霧が漂っていた。

 現世と異界を繋ぐあの世の気体。

 異常性が引き起こされる前兆だ。


 やがて結城が視線を外してかぶりを振る。

 浴衣の裾を捲くり上げる。

 白い太ももと括りつけられたレースの付いたガーターベルトのような紐が露出する。

 そこから何かをすっと抜いた。


「だったらボクは利己であーちゃんの正義を砕いてやる! エゴだって思われたって、それがボクがボクへの正直な気持ちなんだから!」


 手に持ったそれを振り抜く。

 銀閃が目の前の空間を真一文字に斬り裂いた。

 非存在のはずの霧が線上に分断される。

 結城の包丁が黄泉に干渉していた。


 彼は泣いていた。

 一筋の涙が目元から頬へと流れ落ちている。

 どこまでも透明な水雫だった。


「結城……」


 瞬間、僕の脊髄をおそろしく冷たいものが走った。

 電気でも流されたようにビリビリ痺れる。

 全身から体温が失われ、頭のてっぺんからつま先まで冷たくなる。

 目の当たりにした光景に対し心臓が止まった。


 結城そのものが侵食されている。

 足元から這い上がった赤黒が皮膚と言わず服と言わず、ペンキのようにベッタリへばり付いている。

 それらは生き物のように彼の上を這いずり回り移動している。


 結城の顔からミミズ腫れのように真っ赤な筋が走っている。

 耳や鼻や首やその下の体。それどころか髪の一本一本にすら食い込んでいた。

 血管であるはずがない。

 しかし血管にしか見えない。

 ドクンドクンと脈動していた。

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