199.-Case三郎-一番

 血だらけの手で血まみれの髪を掻きあげる三郎。

 生乾いた血液が髪束を額に貼り付ける。

 血の筋が幾本も頭から顔へ垂れていく。

 頬と言わず額と言わず鉄錆の臭いがする染みだらけだった。

 涙を零していたとしても誰にも分からない。


「あたしには……あーくんが必要で……あーくんしか、居なかったんだ……」


「…………」


「大切な物が欲しかったんだ、一つだけでも……いや、一つだけ、それだけ守って生きていける理由……あたしはそれがあーくんになってほしかった。自分でもロクでもないと思うあたしの真っ暗な生に、あーくんって灯りがほしかった。それだけなんだ……」


 それはおそらく世界で唯一の独白で泣き言だった。

 孤独と孤立の中で奪うことのみで生きてきた三郎が、唯一他人から与えられたいと願った物欲。

 どこにも根付けない彼は土地ではなく物に縋りたいと想ったのだろう。


「あーくんさえ居てくれれば……あたしのことを一番にさえ想ってくれれば満足だったんだ。あたしの何より、自分以上に大切なあーくん。この世界のどんな価値ある物だって霞んでしまう。二番目もいらない。そんな宝物を胸に抱ければ、きっと何千年何億年でも地獄の底を歩いていける。だから、あたしにはあーくんが必要だった」


 人はいつでもどこでも居場所を求める。

 魂が安らげる居所だ。

 空間のみに限った話ではない。

 物質的な場所に限らず、思想、恋人、コミュニティ、宝物。


 自分の存在を投影して確認できる拠り所が必要なのだ。

 信じられるものなくしては、たったの一歩さえその場を動くことなどできない。

 三郎にとって、それがたまたま僕だったのだろう。


「……焦らなくていいんじゃないかな」


 血溜まりに踏み入り、ゆっくり三郎に近づく。

 深く浸水した地面は血の水かさが足首まで浸かってしまう。

 水分を含んだ土が泥濘のように柔らかくなっていた。

 踏みしめる度、泥煙を紅い水溜りの中に巻き上げる。


「え……?」


 三郎がこちらに顔を上げる。

 血塗れになっても尚あどけない少女のような顔が、ドロドロに澱んだ瞳で僕を見上げている。

 夏場にも関わらず、もう付着した血液が乾いてフィブリン化し血球を凝固させ始めていた。

 赤から茶色へ。血がパリパリだった。


「焦らなくても、きっと見つかるよ。大切な物。それは僕かもしれないけど、僕じゃないかもしれない。誰だってそれを探して右往左往しているんだ。さーやだけじゃない、僕も結城も。世の中の誰だってそうさ」


 三郎を凶行に駆り立てた遠因は僕にもある。

 自分の素行に非があるとは思わない。

 しかし結局この事態を引き起こした当事者は紛れもない僕だ。

 知らないは済まされない。

 結城の言でこそないが、自分のケツは自分で拭くしかない。


「……そう、かな。見つかるかな」


 三郎の正面にかがみ込む。

 彼をまっすぐ見つめ、出来得る限りの安心を与える笑顔をする。

 ぎこちない笑い方だったに違いない。


 作り笑いは苦手だった。

 それでも今はやるしかない。

 下手でもなんでも、今の僕に手段を選ぶ権利も器用さもないのだから。


「見つかるさ。だって僕らはまだほんの子供なんだから。たったの14年間で何が見つかるんだよ。数年、もしかしたら数十年かかるかもしれない。でも、みんなそうなんだ。みんながみんな探して探して、そうして見つかった物でさえ実は違っていたりもする。そしたらまた探すんだ」

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