195.-Case三郎-足止め

 カンカンカンカン!

 準備の整った結城が、やや離れた位置に立ち、持っていた包丁同士の刃をぶつけて打ち鳴らしている。

 彼も鬼を察知したらしい。

 仕舞っていたはずのケミカルライトブレスレットや携帯電話のライト機能を光源に、視覚的にもより遠方へアプローチし目を引こうとしている。


「ほら、こっちだよ! 鬼さんこちら!」


 音が妙に大きく遠くまで響く。

 ステンレスの金属音が木立をすり抜け、反響しながら闇の奥まで消えていく。

 周囲50メートルまでは間違いなく届いている。


 果たして鬼は結城に気付き、勢いよく振り返るとそのまま突進していった。

 どすどすどす。

 地面を踏み鳴らす。

 土面に深い巨人の足跡が続いていく。


――グオオォオオオォォオオ!!!!


 憎悪に塗れた咆哮。

 結城へと叩きつける悪意の奔流が一ミリも容赦しない。

 相手を思いやる気持ちも一切なく、躊躇の一切ない純然たる殺意。

 鬼は彼を恨んでいた。憎んでいた。


 走り出した鬼に一拍遅れて僕は草薮から飛び出す。

 歩幅も足を運ぶ速度もまるで違う。

 僕が走り出した時には、鬼は10メートルも先を疾走していた。

 必死で黒い背中を追うが、とても追いつくことは叶わない。


 遠くで結城が腰を落として包丁を構えている。

 足底の基底面を広く取る。

 彼の囮になる、足止めをする方法とは真っ向から鬼をせき止めることだったのか。


 無茶だ。

 止めるなんて不可能だ。

 ダンプカーみたいな巨体の鬼の突撃を喰らえば、女性のように華奢な結城の身体などボールのごとくはね飛ばされてしまう。

 それとも何か考えでもあるのか。


――オオオオオォオオオォォオオ!!!!


 鬼が両手を結城に向かって伸ばす。

 黒く、丸太のような両腕。

 両肩を狙っていた。


「こんにゃろー! 止まれぇえ!!」


 結城が両手の包丁で下から突き上げる。

 鬼が手を伸ばす速度はそれこそボウリング機械のピストン同然で、正確に反応した結城の判断力と反射神経は人のものではなかった。


 その時に気付いた。

 彼の顔に葉脈状の赤い筋が走っていることを。

 いや顔だけじゃない。おそらくは全身に縦横無尽に走り回っているのだろう。


 赤い筋は肩から腕へ、手へ、そして包丁の柄を通して刀身にまで侵食していた。

 無機物であるステンレスにまで。

 刃先に向かって。


 鬼の両手の平に包丁の先端がぶっ刺さる。

 両者の腕力差を鑑みれば、そんな物で鬼の腕が止まるはずはなかった。

 力比べでの押し合いをすれば結城に分が悪い。


 しかし包丁の先端が鬼の手に触れると、先端まで走っていた赤筋が一瞬で一気に鬼を侵食した。

 まるで地割れのように、刃先から鬼の手の平へ、手首へ前腕へ肘へ上腕へ。肩まで侵して止まった。


――ギャァアアアアアアアアアアアアア!!!!


 鬼の前進が止まった。

 それどころか苦しんでいる。

 あの赤筋にまとわりつかれて痛がっている様子だった。

 どうやらあれは苦痛を与える物らしい。


 鬼が苦しみの余り地団駄を踏む。

 ずしんずしん。

 土の地面に深い足跡が刻まれては潰されていく。


 手を振り回そうとしているようだった。

 だが刺さった包丁が抜けず、手首から肩にかけての腕が跳ねるだけだ。


 豪腕による圧は固定している包丁を通して結城に伝わってるはずだ。

 本来なら、包丁が抜けずとも彼は振り回されてしまっているだろう。

 鬼の腕力からしたら体重50kg前後の結城など重りにもならない。


 ところがどうしたことか、結城の足裏は地面から剥がれない。

 どんなに鬼が暴れても、宙に浮かされたり投げ飛ばされたりしない。

 腰を落として必死に耐えている様子はあるもののそんなことで抗えるはずがない。

 耐えようとして耐えられるはずがない。物理的にありえない。

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