194.-Case三郎-何とか作戦
鬼の足止め地点から、十数メートル離れた地点で結城が告げた。
僕の足の具合や疲労から、もはや逃げ切るのは不可能であること。
逃亡が無理なら、この場で決着をつけねばならないこと。
「ボクが囮になるから、後ろから忍び寄ってなんとかして」
それが結城から説明された作戦内容だった。
なんとかして、あまりにざっくばらんな指示。
なんとか出来るならとうにどうにかしている。
もっと細かく効果のわかりやすい戦術はないのか。
だがそれを指摘すると彼は憤慨した。
「元はと言えばあーちゃんのせいでしょ。しっかりフッてやんないから負け犬の暴走を赦すことになるんじゃない。もっと毅然とした態度で決別してやればあいつも大人しく帰ったんだよ。方法なんか、ボクが思いつく訳ないでしょ。あーちゃんだけが、考えて、あいつに、引導を渡してやれんのよ」
腑に落ちないところもあったが、もっともな話だ。
第一者と第二者は僕と三郎だ。
今日のデートが仕組まれたもので納得のいかないものだとしても、白黒つけられるのは当事者である自分たちしかいない。
自分のケツは自分で拭くのが道理だ。
結城と離れて数分。
草藪に潜んで待機する。
北西のやや離れた場所に立っている結城は準備が整い次第、鬼の注意を引くという。
鬼が結城に向かっていったところで、背後から僕が近づきケリをつける。
……そんなに上手くことが運ぶだろうか。
現実は理想通りにはいかない。
鬼が真っ直ぐ結城に向かっていくかもわからず、途中で僕の方が先に発見されるかもわからず。
鬼となった三郎にトドメをさす方法も一応思いついてはいたが、成功する保証はどこにもない。
作戦とは名ばかりで、ほとんど行き当たりばったりなのだ。
ゲームではない。
やり直しは効かない。
命は一個しかない。
にも関わらず計画は杜撰そのもので、環境も一定ではなく、不確定要素に塗れた暗中模索の中を突き進まねばならない。
その結果がヤブ蚊と湿気に溢れる青臭い草薮に息を殺して潜むこの現状である。
妙に湿った泥を踏み、汗まみれになり、結城に手ぬぐいを巻いてもらっただけで浅いわりにドクドク出血した足傷の痛みに耐えながらのしゃがみ込みだ。
活路を努力と根性に見出そうにも、疲労と自責の念から集中力は乱れまくりで自分自身で成功確率を低下させている。
三郎や結城や自分への思惑が頭の片隅をグルグル回り、今に専心しようとしても乱れに乱れる。
いや、心が散漫になるのはそれだけが理由ではない。
ふと視線を下げた先、胸の前を虫のように小さい生き物が飛んでいく。
ハエかチョウか何かだろう。
だが目の前を通り過ぎた生き物は、ハエやチョウの形をしていなかった。
耳だった。
歪に丸まった小さな人の耳。
1対2枚のそれを、まるで翼のようにして羽ばたいて視界の外へ消えていった。
今の耳だけではない。
ちょうど結城と離れた頃からだった。
唇に無数の毛が生えて這っていくものや、くねりながら進む細長い人の腕のようなものや、跳ねる胃腸のような異形たちが見えていた。
サイズはいずれも虫に近く、事実、元は虫だったのかもしれない。
今まで異形は概ね人間をベースに見えていた。
覚醒直後の位置関係からも、何もない場所に見えることはなかった。
今度は虫だ。
虫だけでなく、周囲の草や木など植物も一部異形化していた。
明らかに重症化している。
害がないとわかっていても、冷静になれるほど慣れない。
辺りには依然として赤黒紫の霧が漂っている。
これは景色の色味変化に晒されても影響を受けなかった。
気体のように頼りない存在にも関わらず、己の変容を良しとしない。
もしかすると色味の変化と霧は、共に異質なものであっても別種なのかもしれない。
甘さと獣臭が香って気付いた。
遠くから近づく気配を全然感じなかった。
ぼーっとしていたつもりもないのに、気づけばすぐ近くだった。
重い足音を立てながら、僕が隠れている草薮数メートル先を何かが歩いて通過している。
巨体の、黒い鬼。
黒さで色調による輪郭線の確認はできないが、そこにいる存在感が色濃い。
鬼は呻いていた。
口と思われる箇所から、音が漏れ出ていた。
悲鳴にも似た恨みがましい嗚咽。
鬼はこう言い垂れ流している。
――あークん……好きダヨ……アーくん……どこニイるの、あーくン……寂シイよ……
ぞぞぞっと悪寒に身を震わせる。
明確に僕を探している。八つ裂きにする為に。
猛獣に追われている気分だった。
絶対に見つかってはならなかった。
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