186.-Case三郎-欲しいもの

 僕は袖を掴んでいる三郎の手を取ると、そっと引き剥がした。

 強く掴まれているわりにあっさりと彼の手は離れた。

 拒絶の意思が伝わったからかもしれない。


「鬼三郎、僕は君が怖い……」


「あーくん!?」


 三郎の目が見開かれる。

 鬼三郎、その一言で彼の表情が凍った。

 ”さーや”でも”三郎”でもなく、”鬼三郎”として認識されていたことにショックを受けたようだ。


「確かに今日1日で、君が僕を想ってくれてるのは分かった。けれど、鬼三郎の雷名の恐怖は簡単に拭えるものじゃないんだ。僕は……すぐに君の隣を歩けない」


 いつかは言わなければならなかった。

 2人と今日決着をつけるのならば、いずれにしても僕の胸の内は伝えねばならない。

 表面的は親しげに接しても、彼への本能的な恐怖心を。


 どんなに好意を持たれたとしても、それが害意に変わらない保証などどこにもない。

 すぐ横で爆弾が歩いていたら破裂しなくても安心できない。

 僕は彼を恐れ嫌う街の人々と何ら変わりない。


「おに、さぶろう……」


 三郎の顔が醜く歪む。

 彼からしても忌名なのだろう。

 自分がどう思われているか知らないはずはないから。


「ごめん、でも言わないともっと傷つけると思ったんだ……」


 言い訳に聞こえる。

 傷つけることが嫌なら、もっと早くに告げるべきだった。

 誤解を解くのは早いほうが傷が浅くて済む。

 そうしなかったのは、心のどこかで今日1日のどこかで有耶無耶に出来たり、楽な解決法が見つかるのではないかという楽観があったからだ。

 そして、何も好転しなかった。


「……あーくんから、そんな風に思われてたんだ」


 落胆した三郎の視線が下へと落ちていく。

 断続的な花火の照明しかない暗がりでも、顔から血の気が失せていると察せられた。

 緊張で呼吸が浅く速まる。


「ごめん……」


「……どうしても? どうしても、ダメ?」


 三郎の唇がわなわなと震えた。

 俯いて目元が前髪で隠れてしまっている。

 彼がぎゅうっと掴んだ自分の腹辺りの浴衣のシワからも、苦悶しているのは想像に難くない。


「……ごめん、そういう関係にはなれない。今は……」


 その時、三郎の体が小さく痙攣し始める。


「……くそっ」


 三郎が自分の後ろ頭を引っ掻く。

 声質に猫撫での潤いがなくなり、少年のような高くて掠れた音域に変わった。

 度々目にする機会はあったが、こちらが素の三郎か。


「……くそっ! くそっくそっくそっ! どうしていつもこうなっちまうんだよ!」


 ガリガリガリ!

 爪を立てて両手で頭を掻き毟る。

 皮膚が破れ出血し髪の毛がちぎれる。


「さーや……?」


「なんで! なんで、いつもいっつもあたしは欲しいと思ったもんが手に入らないんだ! どうして手の平の間からこぼれ落ちちまうんだよ! 何もかもぶち壊しになっちまうんだ!」


 自分に言い聞かせるような悲壮なうめき声。

 顔筋を強(こわ)ばらせ、一心不乱に頭を掻き毟る。

 冷静さを欠いている様子だった。

 血走った目に血管が浮いている。

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