185.非存在の川原
ハッと我に返る。
明かりの乏しい境内で花火の最中だと言っても、人気(ひとけ)のある場所のド真ん中ですったもんだしていたら注目を集めてしまう。
悪いことをしていなくても目立ちたくない。
衆人環視の下、惚れた腫れたの言い合いなんて赤っ恥だ。
周囲に気を配らす。
異変に気付いた。
あるはずのものがなく、ないはずのものが存在している。
観客が消失していた。
誰もいない。無人だ。
境内で立ち見していた客、建物の向拝階段に座っていた客、寝転んでいた客、そしておそらく草薮に潜むカップルも。
まだ花火は打ち上がり続けている。
帰る時間ではない。
それまでいた客が一斉に帰宅したとも考えられず、草薮にしけこんだことも有り得ない。
人々がこつぜんと姿を消していた。
そして周囲には赤黒の霧が漂っていた。
境内全体に重たい煙が広がっている。
風が吹いても飛ばされもせず、ただ鬱蒼と中空を流れている。
その幾らかに紫色も混じっていた。
何より目を疑ったのは、今までなかった存在希薄な花畑だ。
毒々しい赤の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)。
辺り一面に群生している。
半透明だった。
花弁も茎も、先が透けている。
幽霊の華達だった。
そして存在希薄な川原。
曼珠沙華の下を半透明な浅いせせらぎが通っている。
やはり透明で真っ赤な川水に赤い花弁の舟が流れていく。
もちろん、神社横を流れる箱庭川の派川であるはずがない。
踏みしめていた石畳に、水場特有の角の丸い小石がゴロゴロしていた。
存在しない花畑、存在しない川原。
非存在の光景が現実に重なっていた。
三郎は迫りながら僕の袖を掴んできた。
結城が憎々しげに睨みつける。
「あーくん、さーやのこと恋人にしてよ! さーやだってあーくんの為なら何でもするもん! その為に女の子になったんだから!」
1つの疑問が融解した。
なぜ三郎は女装していたのか。
その身なりは僕の為だったのか。
だとしたらとんでもない勘違いだ。
僕はその、三郎が女性として向けてくる好意に迷惑していたのだから。
鬼三郎の殺意を向けられるよりずっとマシだなどと思わない。
遥かに面倒な応えを要求されている。
「あーちゃん! ボク達、昔からずっと一緒だったじゃない。これからも、一緒だよね?」
反対隣から結城が袖を引っ張ってくる。
やや震えた、ともすれば涙の混じりそうな濡れた声。
真摯さを前面にしているが、情に訴えかける声色だった。
その一方で、三郎に向ける視線は敵意に満ちている。
「あーくん! さーやは小さい頃からあーくんのこと大好きだったよ! さーやの方が満足させてあげられると思うなぁ」
三郎が負けじと僕を何度も引っ張った。
下から強い力で引かれ、肩がガクンガクンと上下する。
力加減が迷子だった。
声に不安が混じっている。
幼子が取り上げられたオモチャを取り返そうとするそれだった。
彼の愛情は所有欲なのだろうか。
僕は三郎にとってコレクション品やアクセサリーと同質なのか。
「あーちゃん!」
「あーくん!」
応えを迫る結城と三郎。
僕への愛情以外に、お互いを牽制する敵意が秘められている。
愛されたい、負けたくない、愛憎が渾然一体となって溶け合っていた。
……頭が酷く痛む。
チクチクとした痛みがすぐに激しい頭痛へと変わる。
脳の内側からハンマーでガンガン叩かれている。
脳核を打撃音が幾重にも反響する。
いや、違った。
頭痛がしているから幻聴が聴こえるのではない。
頭の奥深くで音がしているから、頭痛がしている。
それは金属と金属のぶつかる音だった。
どこかで聞いたことのある音だった。
鈍く重く、不気味で、どこか物悲しい音色。
錆びた鐘の音だ。
ゴォーン……ゴォーン……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます