184.悔恨

「あの……なに?」


 腕が掴まれたまま離されない。

 怒っている様子もないのに、加えられた圧が強すぎて血管を圧迫している。

 痣が残りそうなほどの力だった。


「ねぇ、今日のデート……どうだった?」


 振り返る彼から表情が消えていた。

 真顔だった。

 わずかに困惑と不安の色がある。

 腕は離されない。


「…………」


 油断していた。

 ここにきて結論を迫られると想定していなかった。

 答えを出すのは帰り道だと、あの日のように。

 せいぜい花火が終わってからだと勝手に平和ボケしてしまっていた。


 何も、考えていなかった。

 言い訳を。


「今日は……こんな形になっちゃったけどさ。ブッキングデートなんて……しっちゃかめっちゃかで、自分でもとても上出来なんて言えやしない。言い訳になっちゃうけど」


 49日前のあの日から停滞した関係。

 そこへ乱入してきた三郎。

 それまでなあなあで済ませてきた問題の解決が一気に流動した。

 目まぐるしく一変した。たった2日がそれまでの渋滞した時間を加速させぶち壊した。


「でもね、ボクがんばったよ。ううん、今日だけじゃない。あの日からずっと。ずっと、あーちゃんに好きになってもらいたくてがんばってきたよ!」


「…………」


 僕が返せないでいる間にも、結城が追撃する。


「ボクね、前の事は反省してるの。ほら……あの、関係を急ぎすぎちゃったこととかさ。あーちゃんの気持ちをしっかり汲んでなかったなって。独りよがりだったかもしれない。でもさ、あーちゃんを諦めるのはどうしても出来なかった」


「……結城」


 悩んでいたのはこちらも同じだ。

 傍目から変わらぬ関係。

 僕たちをよく知らない人間からは何の違和感もなかったはず。

 その実、近いようで遠い1つの薄い壁で隔てられた空気は、富士山の山頂より呼吸が辛い。


「ずっと悩んでいたけれど、やっぱりボクにはあーちゃんしかいないんだ。他の誰でもない。あーちゃんじゃなきゃダメなの。毎日、あーちゃんの笑顔を見られて暮らす事がボクの幸せで願いなの。だからね、あーちゃんに好きになってもらう為なら何だってするよ」


 息苦しい。

 いくら吸っても吐いても肺に酸素が足りない。

 重いドロっとした気体が喉を流れ落ちるだけだ。

 酸欠で心拍が上がり頭痛がしてくる。


 結城が手首を掴んだまま、ずいっと体を乗り出してくる。

 ふわりと清潔な石鹸の香りがする。

 その匂いに混じって、ほんの僅かに何かが腐った甘さがした。


「今日のデートを通して、少しでもボクのこと、幼馴染や親友以上に見てくれたなら嬉しいんだけど……」


 下から見つめてくる結城。

 白い肌。均整の取れた目鼻立ち。

 薄くリップを塗ったピンク色の唇。


 そして深い色の瞳。

 瞳孔の奥でゆらめく火のような何か。

 それは地下深くの暗い底の底に灯された篝火だった。


 女性のものとは違う少年特有の色香。

 実体のない色気という匂いに頭がクラクラしてくる。

 直視してはいけない背徳感に苛まれる。


 背後で雪駄が地を擦る音がして振り向く。

 三郎がそこにいた。

 嫉妬に塗れてこちらを睨みつけている。


「なにそれ! さーやだってさーやだって、あーくんのことすっごいすっごい好きなんだから!」


 炸裂する大声。

 舌っ足らずな口調のはずが、空中で爆散した花火の爆音の中でもハッキリ聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る